第11話:泥まみれの王冠、黄金の軍靴
王国側から届いた使者は、三日前から帝都の財務府の前で待たされていた。
正式な謁見の許可が下りたのは、王国が三度目の債務不履行を宣言した翌朝である。
――つまり、この訪問は「招待」ではない。
清算手続きの開始通知だった。
***
王都の正門に、かつてのような華やかな装飾はなかった。
掲げられているのは、帝国の軍旗でも、歓迎の旗でもない。
白地に黒字で刻まれた、たった一文。
――「財務管財下」
「……街が、静かすぎますな」
馬上から王都を見下ろし、カシアンが低く呟いた。
一月前まで人で溢れていた通りには、怒号も悲鳴もない。
あるのは、価格表の消えた店、閉ざされた工房、そして地面に座り込む人々の沈黙だけだった。
「暴動が起きる余力すら、もう残っていませんのよ」
レティシアは感情の起伏を一切含まない声で答えた。
「信用が尽きた国は、最後に“音”を失いますわ。
叫ぶことも、怒ることも、もう意味を持たない」
彼女は王都を見ていない。
見ているのは、数字の末尾に現れた「ゼロ」だけだった。
***
王城の大広間は、かつてよりも広く感じられた。
調度品は売り払われ、絨毯は剥がされ、玉座の金装飾も既に消えている。
そこに座っていたのは、王ではなかった。
痩せ細り、衣服も整えられない男――
かつて王子と呼ばれていた、エドワードだけだった。
「……レティシア」
その声には、怒りも威厳もなかった。
ただ、延命を願う債務者のそれだった。
「来てくれたのだな。
この国は……限界だ。民も、城も、何もかもが――」
彼は立ち上がろうとして、よろめいた。
助ける者はいない。
カシアンの剣が床に触れたが、それは威嚇ではなく、単なる位置調整だった。
「状況報告は不要ですわ」
レティシアは静かに言った。
「財務諸表、交易履歴、担保一覧。
すべて拝見しました。……結論は、既に出ています」
彼女は玉座を見なかった。
代わりに、城の中央に据えられた簡素な机へと向かう。
そこに置かれた一枚の書類。
**「国家清算計画書」**と題された、それがすべてだった。
「エドワード殿下。
現在、ヴァインベルク王国は、私個人に対し、返済不能な負債を負っています」
淡々と、事務的に。
「利払い停止。
担保喪失。
信用格付けは――」
彼女は一瞬、紙から目を上げた。
「――評価不能、ですわ」
王子の喉が鳴った。
「……返せない。
だが、君なら……君の家なら、民を救えるはずだ。
昔の情で――」
「情?」
レティシアは、首を傾げた。
「申し訳ありません。
その項目は、帳簿に見当たりませんでしたわ」
彼女は椅子に腰を下ろした。
それは玉座ではない。
ただの、執務用の椅子だ。
「救済は行います。
ただし――国家としてではありません」
書類が一枚、滑るように差し出される。
「本日をもって、ヴァインベルク王国は解体。
領土、資源、人口は、すべて私の管財下に置かれます」
「……国を、個人が?」
「ええ。“法人格の整理”ですわ」
王子の理解が追いつくより早く、言葉は続く。
「あなたの身柄も含めて。
債務者として、最も合理的な配置先を用意しました」
床に置かれた一通の契約書。
そこに記されているのは、刑罰でも、奴隷条項でもない。
――終身雇用契約。
「炭鉱会計部、帳簿係。
数字だけを見て、生きていきなさい」
王子は震えた。
「……それが、罰か?」
レティシアは、初めて彼を見た。
「いいえ。
最適配置ですわ」
その隣で、聖女が何かを言いかけ――
言葉を失った。
祈りも、奇跡も、ここでは換金できない。
***
城を出るとき、カシアンは振り返った。
泥にまみれた王冠。
そして、行進する帝国兵の黄金の軍靴。
「……剣で斬る方が、まだ慈悲があったのかもしれませんな」
レティシアは答えなかった。
ただ一言、事実だけを告げる。
「いいえ。
斬れば終わります。
――これは、続きますのよ」
国家は滅びた。
だが、帳簿はまだ閉じられていない。




