第七話 妹
ミラと呼ばれるダンジョンの上に立っている都市――セウは陸地に面した場所が高い壁で囲まれている港町である。
海のすぐ傍に作られた町であり、船と共に大きく発展した街だ。別の大陸から珍しいものを輸入し、カルヴァオンや鉄鉱石などを輸出する。
だからこそ昔から造船業が盛んであり、港には大きな船などを作成するための数多くの大きな工場が並んでいる。
工場では職人たちが威勢のいい声を発しながら、トンカチの音が響くのである。
また海の向こうから珍しいものが数多く輸入されるため、市場も盛んである。商業地区には数多くの店が並び、活気のある商人達がいる。他の町で商品を売る為にわざわざミラの市場で大量に買い付けをする商人がいるほど、市場は活気に満ちていた。
ミラはセウというダンジョンを持った迷宮都市であると同時に、国内で最も造船業が盛んな工業都市でもあり、異国の珍しいものを取り扱う商業都市でもある。
だからミラは様々な職業のるつぼでもあり、職人や商人、冒険者の他に多くの者が集まるのだ。
様々な職業が存在するこの町には冒険者以外にも多くの職業の組合があり、それぞれに徒弟制度は存在する。どうやら多くの人を集める為に、町自体が力を入れている制度のようだ。
例えば鍛冶師組合の徒弟制度だと師事した親方に技術を教えてもらい、船大工組合の徒弟制度だと先輩に仕事を教わりながら多くの船大工と共に船を造りながら仕事を覚える。商人組合の徒弟制度なら宿屋や商店の売り子から始めるのである。
そんな中、僕は冒険者を目指してこの町に訪れたが、当然ながら、他の職業を目指して集まる人も多い。
例えばその一人が、僕の双子の妹であるランファだ。
僕とランファは兄弟として、ミラから遠く離れた島で育った。漁業が盛んな島であるが、島自体の人口が少なく、食い扶持もあまりない。だから大きくなった子供たちは島を出て、手に職を探しに行く者が多い。
僕だってそうである。昔からの夢であった冒険者を目指し、この町へと半年ほど前にやってきた。
ランファは僕と同じ時に島を出たのだが、目的はそう変わりはしない。ランファ自身の夢を叶える為に、僕と共に島を出たのである。
ランファは僕とは違って目指しているのは冒険者ではないけれど、家賃を節約するために僕と一緒に暮らしている。最も僕はその家に半年ほど帰る事はなかった。
僕たちが借りている家に向かうには、商人達が賑わっている大通りを通る必要がある。
そこには様々な職業の人たちが賑わっていて、中には鎧を着た人や踊り子のように過激な衣装を着た人たちの間を僕は抜けていく。人口が少ない島で育った僕には久しぶりに通っても慣れず、この大通りは人の多さで目が回りそうだった。
すぐに僕は大通りから伸びている小道へと体を逃がし、寂れた看板の前を通って行く。裏道にも店は多いが、人の数は少ない。だけど隠れた名店もあるのか、ちらほらと人の横を僕は通って行く。商人の喧騒から職人のトンカチの音へと変わった時に、僕の目指していたアパートについた。
そこは赤くぼやけた煉瓦で造られた二階建てのアパートである。周りの高い建物に囲まれているので太陽の光は届きにくい暗い場所に建っている。
入り口には蜘蛛の巣が張ってあり、裏道は何匹かの鼠が通り、それを狙う黒猫がにゃーと鳴く。
僕はところどころかけた階段を上って玄関の扉を開けた。ぎぃーっと木の軋む音が鳴った。
管理人の掃除が行き届いているのか、中は綺麗だった。床の板間には埃一つなく、灰色の壁紙にはシミ一つない。物は置かれておらず、とても片付いていた。
玄関からすぐに奥へと続く道と上への階段、それに下へと伸びる階段がある。僕たちが借りている部屋は下にあるので、暗い階段を下りて行った。
階段を降りるとすぐに扉があったので開く。
中は淡い光のランプによって照らされていた。生活感にあふれたリビングだった。床には赤いじゅうたんが敷かれ、一人用のソファが二つと長いソファが一つ、テーブルや棚、デスクなどが置かれてあり、すぐ隣には小さなキッチンも併設されている。
長いソファの前にあるテーブルにはマグカップが置かれてあり、中には琥珀色の飲み物が入っているが湯気は立っていない。奥にある二つの扉のうち一つは少しだけ開いており、中からは明かりが漏れている。
僕はその中へと入った。
「戻ったよ、ランファ」
ランファがいたのは、狭い部屋だった。油の匂いがし、部屋中に所狭しと画材道具や幾つもの本が積まれてある。そして三つの大きさの違う画架には、未完成の絵が描かれており白地のキャンパスの上に鉛筆のみでの習作が書かれている。
最も大きな画架の前では少女が鉛筆を持って、真剣にキャンパスと向き合っていた。
少女は僕へと振り返ると眉根を顰めながら鈴を転がしたような声で言った。
「兄さん、ようやく家に帰ったのですね。冒険者になるとはいえ、長い間顔も会わせていませんでした。とても寂しかったですよ」
僕の妹であるランファは、鉛筆をキャンパスに置くと僕の元まで来る。
外見だけ比べれば、僕とは全然似ていないだろう。
僕が黒髪なのに対してランファは白髪で、僕の目が黒いのに対しランファは赤い目をしている。
僕より身長が少しだけ低くて、色素が薄い肌の手で僕の頬をぺたぺたと触ってくる。くすぐったい気持ちを抱えながらも僕は彼女を抱きしめて、耳元で言った。
「ただいま、ランファ」
「お帰りなさい、兄さん」
僕たちは再会を喜ぶように暫くの間抱きしめると、この部屋の前にあるリビングへと移動する。
どうやらお茶を淹れてくれるようで、ランファはすぐにキッチンへと姿を消した。
数分後、ティーポットとティーカップをお盆に乗せて戻ってきたランファは、僕の前にティーカップを置いて湯気が出る茶を淹れ始めた。その所作は精錬されており、一つ一つの動きが優雅だった。ランファは自分のカップにもお茶を注ぐと、僕が座っている向かいの一人用のソファへ座る。
僕は久しぶりに見る妹の顔をじっと見た。
まるで精巧に作られた人形のように可愛らしいと思う。家族の贔屓目も入っているのかも知れないが、とても美少女なのだと思うのだ。
絹のように美しい髪は邪魔にならないように後ろで一つに縛っている。着ている服は麻のシンプルなシャツとスカートで、油絵具で色とりどりに汚れたエプロンを上から付けている。よくよく見てみれば、透き通るような頬と白魚のような手に赤い絵の具がついているので跳ねた油絵具を拭ったのだろう、というのが簡単に想像できた。
ソファーに座っている姿は背筋がピンと伸びており、どこかの深窓の令嬢のような雰囲気を醸し出すが、僕と同じ漁師の家から生まれた実の妹である。
もし町に出れば男が放っておかないだろうが、ランファが進んで外に出る事はない。
ランファは生まれつき太陽の光に弱く、あまり外に出た事はない。どうやら太陽の光もとても眩しく感じるようで、いつもこのような暗い部屋にいるのだ。地下にある部屋を選んだのもランファの体質を考慮しての事だった。
「兄さん、冒険者の徒弟制度はどうでしたか? どんな事があったのか、教えてくれると嬉しいです」
「いいよ。でも、そんなに面白い事はしていないよ。殆どが訓練だったからね」
ランファは僕が外に出ると、何をしていたのかいつも聞きたがる。自分で外に出られない分、僕の経験を自分が味わうように聞きたがるのだ。実家のある島にいた頃も、僕は数々の物語を語った。海で珍しい魚に出会った話だったり、山を探検した時の話だったり、外に出る度に多くの事をランファに伝えた。
ランファに頼まれて、家で本を読むことも多かったけど。
だから僕はランファにこれまであった事を全部告げた。
彼女に嘘をついたことはないのだ。
それが僕たち兄妹の約束だからだ。




