第五話 彗星
プリムラさん達が狩っていると思うから、もうオーガはいないと思うけど注意しながら森の中を僕は進む。
先ほど出会ったオーガについての知識を思い出す。
このような迷宮の中でもとても浅い場所に出現するのはとても珍しいモンスターであるが、ダンジョンにいるモンスターではポピュラーな種類である。カルヴァオンも良質だからこれをメインに狩る冒険者もいるぐらいと聞く。
本来ならオーガは中層に出現するモンスターで、冒険になれた冒険者が対峙する相手である。一体のオーガを狩れてパーティーとしては一人前、と言われる事もあるほどには強いモンスターだ。
一人で簡単に勝てるようなモンスターではない。
それはきっと一流の冒険者しか倒せないだろう。
少なくとも僕には無理だ。
――そんな時だった。
遠くに大きな音が聞こえたのは。
慌ててその方向を見てみると、そこにいたのは先ほどと同じオーガだった。
どうやら森をのそのそと歩いていたようで、血走った目で先を見つめていた。僕のことはまだ視界に入ってすらいない。
数分前のオーガは一体のみだったが、今回のオーガは全部で三体もいる。
「ひえっ!」
思わず腰を抜かしてしまった。
まだ気づかれていないのが幸いだった。
三体のオーガの威圧感は、まだ冒険者になったばかりの僕が立ち向かうにはあまりにも強大な敵だった。
すぐに僕の足は踵を返そうとしていた。
直後、森の木を追うような轟音が聞こえる。
プリムラさんは激しい音を立てながら、光の帯を空中に残しながら地上に降りた。その際に足元にあった数本の木々をなぎ倒す。
強大な敵であるオーガを前にしても、やはりプリムラさんは決して焦る様子がない。
輝く剣を右手に持ったまま、オーガから目を外し僕へと微笑みかける余裕さえあった。
プリムラさんは余裕そうな顔で剣を輝かした。
瞬間――星のようになったプリムラさんは瞬く間にオーガの間を駆ける。僕の目では見切れないほど早さだった。
瞬く間にオーガを細切れにして、三体のモンスターを殺す。
そして剣を持っていない左手には、モンスターの体内から取り出したカルヴァオンがあった。
これが一流の冒険者の実力だと思うと、感動しそうにもなった。憧れた冒険者の姿が目の前にあったのだ。この日の光景は二度と忘れる事は出来ないだろう。僕にとって最高の思い出だ。
――これが、冒険者の仕事の仕事とばかりに僕に見せつけるようだった。
簡単に人を殺せる力を持つモンスターを、太い腕を振るうだけで人の骨は折るモンスターを、肉を簡単に斬り裂く固い牙や爪を持つモンスターを殺すのが、冒険者の仕事だと。
プリムラさんは僕とは違って、強力なアビリティを持っていた。
だから強いモンスター相手に、人はアビリティを持ってやっと土俵に立てる、と教えてくれているようだった。
だけど、僕は訓練時代に教官からしつこく教えられていることがある。強いアビリティを持っていても、モンスターに殺される人は数多くいる、と。
ダンジョン内の死亡率は決して低くはない。
パーティーが行方不明になったり、誰かが死ぬことはそう珍しくはなかった。冒険者組合ではいつもそんな情報が飛び交っているのだ。
――その時に教官が言っていたこんな言葉を思い出していた。
「ひよっ子どもよ、いいものを見せてやろう。これは死んだ私の友人の形見だ。」
屈強な教官が胸の中から取り出したネックレスは、長方形の形をした銀のものだった。
ドッグタグだった。
それは迷宮に入る証であると共に、冒険者の身元確認にもなるのだ。死んだら遺体をダンジョンから地上に持って帰る事は不可能に近いので、ドッグタグだけを持ち帰って遺族に渡すのだ。
「これは同じパーティーに所属していた仲間のだが、ちょっとだけモンスターが強くて死んだのだ。このことを胸に刻むように。皆が強いとしても油断しないようにな!」
教官はあの時、僕たちに教えてくれたのだ。
冒険者になろうと思ったら、強いモンスターを殺さないといけない。そんなモンスター相手に人は勇気を持って、ちっぽけな力で挑まないといけない。
強いアビリティでもモンスターには油断するなと、教官は言っていた。
なら、弱いアビリティなら?
答えは決まっている。
冒険者を諦めた方が幸せだと言うのだろう。
冒険者以外にも素晴らしい職業は沢山あると。
冒険者だけが人生じゃないと。
だが、同時に教官は言うだろう。
それでも冒険者になりたいのなら、戦え、と。
だが、教官は優しいのでこんな話も教えてくれた。
「いいか?――弱い冒険者は悲惨だぞ。死ななくても、腕や足を失うことだってある。その後の人生はとても惨めで、空しい者もいる。諦めるなら早い方がいいぞ」
そんな話を思い出しながら僕はプリムラさんの戦いを見ていた。
プリムランさんはオーガを倒すと忙しそうに空を飛んだ。
また僕は『ロシャ・フォルミガ』を探すのだ。
その結果は――お粗末なものだった。
幸運な事に何度かロシャ・フォルニガと遭遇することはできた。
最初は試しにアビリティを使ってみたけれど、僕の操る剣はあまりにも遅すぎてモンスターには避けられた。実際に手で持って剣を振るってみたけれど、固いロシャ・フォルミガの甲殻の上からだと僕の剣は通じなかった。
僕の剣技がお粗末だからだろうか。それとも剣のランクが低いからだろうか。きっと両方だと思う。
モンスターを殺す、それが冒険者の基本なのに、僕は弱いから満足にできない。
自分に冒険者としての才能がないことは分かっていたのだ。
訓練場でどれだけ鍛えても、剣の振り一つまともにできやしない。同期はどんどん強くなって、僕は模擬戦においても勝てる事は出来なくなっていた。模擬戦でも活躍していたレイチェルとは大違いだ。
きっと僕に冒険者は向いていなかったのだ。
彼らの言う通り、別の職業を目指した方がいいのだろう。
木々を背にして地面へと座り込みながら、そう自分を納得させようとした時――遠くで物音がした。
ロシャ・フォルミガだろうか。
いや――違う。
「――グゥガアアアアアアアアアアッ!!」
雄たけびが聞こえたから分かった。
決して人の声ではない。おぞましい怪物の声だ。それは確かに僕の聞いたことのある声で、先ほど僕に恐怖を植え付けたモンスターの声だった。
行かない方がいい。
そう頭では警鐘を鳴らしているが、足元にあった枝を踏んでしまった。
木々の隙間からぎょろりとした見慣れた目が、僕を見つけた。
数多くの木々がなぎ倒された場所に、恐ろしいオーガはいたのだ。そんなオーガの周りには血まみれの冒険者が五人ほど倒れている。
きっと彼らは死んでいるのだろう。夥しいほどの血の量が、そんな単純なことを僕に教えてくれた。
彼らの顔は見たことがあった。昨日まで僕と同じ見習いだった者達だ。きっと先ほどの戦いでプリムラさんに助けられなかったら、僕も彼らと同じように血まみれで亡くなっていたのだ。
なんて、まだ冒険を続けるなんて無茶なことをしたんだと、僕は思う。
後悔は、今になって押し寄せて来た。
すぐに逃げ出そうと、僕はその場から足を動いた。
すると、オーガは高らかに叫んだ。
まずい。完璧に僕が獲物になっている。
「プリムラさん、助けて……」
そんな情けない声が口から漏れてしまうが、絶望が空を通る。
爆発音が鳴り、流星が奔ったのだ。
きっと仲間の合図にプリムラさんが向かったのだろう、と思った。彼女たちは別の場所で戦っているのである。
そんな僕の絶望感をよそに、オーガは前傾姿勢になって僕を狙って来る。
もう、逃げられない。
それが分かると、どうしてか僕は――嗤ってしまった。
戦う覚悟が完了したからだ。
オーガに剣を構える。
こんな剣による抵抗なんて無駄だって分かっている。だって僕と同じような剣が、冒険者達の死体の傍には転がっているのだ。
だが、もしも、だ。
もしもここでオーガに一矢報いることができれば、ロシャ・フォルミガすら倒せなかった僕でも、冒険者を続ける“資格”があるかも知れないのだ。
どうせ死ぬのが分かっているなら、最後に勇気を振り絞って戦おうと思ったのだ。
だから僕は――僕は諦めたように言った。
「来てみなよ、でか物。僕が相手してやる!」
「グゥガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
ああ、怖い。
オーガの絶叫で、僕の脳裏に少し前の恐怖が蘇る。
でも!
死にたくない。
生きていたかった。
だから戦うのだ。
だが、そんな僕の威勢とは関係なく、オーガの大きな威嚇が僕の体を硬直させて動きを止める。
剣を幾つも操ってオーガへと反撃するが、傷一つつけることなど出来なかった。
オーガの振り上げた拳が、僕に直撃する。
何とか拳と体の間に剣を差しこむと、僕の体ごと遠くに飛ばされた。折れた剣の破片が空中にきらきらと舞い、木に背中を強く強打したことで僕の体は動きを止める。
僕は口から血を吐いた。いやそれだけじゃない。オーガの拳を強く打った胸が痛い事に気づいた。この血は折れた肋骨が肺をひっかいているのだろうか。どうしようもなく痛かった。
もう立つことすらままならない。
あらぬ方向に曲がった腕は動かず、足は力が入らない。
「ははっ――」
結局、僕のアビリティは瀕死になっても“覚醒”することはなかった。これが現実なのだ。
僕は最後の抵抗と何度も剣を浮かしてオーガへと振るうが、やはりそれはオーガに何の傷も負わせることができなかった。
もう剣を動かす力も失った。
動くのは口だけだ。
「これで終わりか――」
オーガは足を上げていた。足の裏が見える。太い足で僕を踏み潰すつもりなのだ。
頭の中に十三年ほどの短い人生が蘇る。
これが走馬灯だろうか。
願いは何一つ叶わなかったけど、いい人生だったと思う。
だって、今は、確かに僕は、僕が憧れる夢の途中にいたのだから。
ただ願わくばもう一度だけ家族に――
そんな事を考えていると、僕の体に足が近づいてきた。死ぬのを見るのは嫌なため、そっと目を閉じる。最後に思い出すのは少し前のプリムラさんに助け出された時の事だ。
あの時も最後はこうやって目を閉じた。
少し前の事なのにそんな事を懐かしみながら、僕は運命を受け入れる。
「――少し遅れてごめんね!」
だけど、僕に死が訪れる事はなく、艶やかな声が耳に届いた。
そんな夜空に輝く星と見間違うほど彼女の姿は、僕の目にとても鮮やかに写る。まるで女神のようであった。
ああ、恋をするならばまるで彼女のような――
そこで僕は意識を手放した。




