第十話 訓練Ⅱ
「そうだよ。アビリティを使うのは普通の感覚と違うから戸惑うかもしれないけど、ティエ君は剣を操るアビリティだからね。君自体の剣の腕を上げて、それをトレースするようにアビリティを使えば、きっと今より随分と強くなるよ」
この日、僕はプリムラさんの前で時間の許す限り、力の続く限り、ひたすら剣を振るい続けた。
だけど、急激に実力が伸びたのはこの日だけ。
次の日から、全く実感のない成長の為の地味な努力が続くのだ。
体で扱う剣の振りなんて、そんな簡単に成長するものではない。そもそも基本的な技術は見習いの時に教官から学んでいる。
剣の基本的な振りは八つ。
唐竹割り。上から下への単純な振り下ろしだ。
袈裟切り。相手の左肩から右脇腹にかけて斜めに振り下ろす。
逆袈裟。相手の右肩から左脇腹にかけて斜めに振り落とす。
右薙ぎ。右から左への水平に切る太刀筋の事だ。
左薙ぎ。左から右への水平に切る太刀筋の事だ。
左切り上げ。袈裟切りとは真逆であり、相手の右脇腹から左肩へと跳ね上がる太刀筋だ。
右切り上げ。逆袈裟とは真逆であり、相手の左脇腹から右肩へと跳ね上がる太刀筋の事だ。
逆風。下つまり股下から上に上げる剣。
刺突。そのままだ。相手を突き刺す事。だけどつく部位は特に決まっていない。
この国の冒険者達に最も広がっている剣であるパライゾ流剣術においては、まずこの八つの重点的な振りを教わる。
それ以外の特殊な振り方や奥義については、迷宮でモンスターを殺すのにおいては多くの教官が不必要だと言う。
何故ならモンスターを一撃で殺すための“必殺技”が欲しいのならアビリティで十分だし、特殊な剣術の奥義の中には人を相手として想定したものが多い。そんなものは人型が少ないモンスターにはあまり通用しないので学んでも意味がないという。またそういう特殊な技は総じて“威力が低い”のだ。人の隙をつく技が多く、モンスター相手には刃が経たない場合が多い。
教官たちは剣の振り方の中でも、特に唐竹割り、もしくは袈裟切りを特に重点的に教える。上から下へ振り下ろす斬撃の方が重たく、固い皮膚を断ち切るのに最も有効だと体で知っているからだ。
僕だって先の二つを重点的に教わったから、それらを重点的に体にもう一度染み込ませて浮いている剣へと反映させていく。
思った通りの剣の動きにはならないけど、時間の許す限り僕は訓練場で剣を振るい、アビリティを使った。
体が動かなくなるまで続き、この日は迷宮内で動き続けた。もちろんプリムラさんがいなくなっても変わらない。夕食時になると家に帰ってランファと共に食事を取ってまた迷宮内で訓練を積む。
この日、僕は土の上で寝転がりながら星空のような迷宮の天井を見上げながら眠りについた。
次の日からの僕の日常は、こんな日々が毎日続いた。
漁業のアルバイトに出かけて、迷宮で剣の訓練を積んで、家に帰ってランファと夕食を取って、また訓練を積んで固い土の上で眠るのだ。
たまにプリムラさんが見に来るけど、それ以外は常に一人で訓練だ。他の冒険者がこの訓練所を利用することはあるけれど、誰もが短時間である。僕のように長時間利用する人は一人もいない。
当然なのだ。
モンスターを殺す力を持つ冒険者なら、新しい力を試す際には普段戦っているより弱いモンスターを相手にすればいい。
ここで長時間訓練を行うのは僕のような“冒険者未満”だけなのだ。
これで本当に強くなるのか、そんな不安を抱えながら僕はひたすら訓練に励んだ。他に道などないのだから。
それから、一年ほどが経った。
◆◆◆
「さて、ティエ君、私が見る限りだけど君が振るう剣の振りは“マシ”にはなった。最も冒険者の中では最底辺の部類だと思うけどね」
僕は地面に横たわったままプリムラさんの話を聞いていた。
この日、僕はプリムラさんと試合をした。
僕は木剣を使って、プリムラさんは木で作られた短剣を使って。
当然ながら僕は止めた。渾身の僕自身の剣の振りも、アビリティを使ってプリムラさんの死角から狙う事もあったけど、一本しかない短剣によって全てを防がれた。その上で剣と剣が当たるたびに凄まじいスピードで僕の体に一太刀入れるのである。
それが続いた結果、僕は体が痛くなって、それでも剣を振るって抵抗していたのだけど、最終的には左胸を強く剣で打たれて呼吸が止まって、足を払われて地面へと倒された。そしてプリムラさんは僕の上で馬乗りになって、首元に短剣を突き付けるのだ。
「そう……ですか……」
新米冒険者よりも弱い僕と、英雄に近いと言われているプリムラさんの力の差は絶対だ。
アビリティを使わない、短剣しか使わない、などのハンデをプリムラさんからたくさん与えられても僕は剣を当てる事さえできなかった。
「そう落ち込まなくてもいいよ。徒弟制度が終わった冒険者なんて私から見たらまだまだ子供だよ。皆、君と同じような扱いさ」
僕の上から立ち上がったプリムラさんは手を差し出した。
「分かっています。でも僕は……」
僕はそれを掴みながら立ち上がる。多少は身長が伸びたと思うが、今でもプリムラさんの方が背が高い。
十二歳の頃に冒険者を志して故郷を出てからもう二年も経つ。
同期の冒険者達は既に中堅冒険者として活躍している人もいるのだ。そんな人たちと比べると、どうしても僕は自分でまだまだだと思ってしまう。
「そうだね。他の人は先に行っているのに、君一人だけがここで足踏みしている」
プリムラさんは人差し指を僕に突き付けてくる。
「そうです」
「でもね、人と比べても仕方ないよ――」
プリムラさんは残念そうに言った。
「どういう事ですか?」
「この世界にはね、確かに天才と言えるべき人がいる。迷宮に潜った最初の日には強いモンスターを、例えるなら君が殺されかけたオーガを狩る人だっているし、武器が折れてなくなってもその辺りに落ちている石でモンスターを殺す冒険者もいるらしい」
「はい」
物語にある英雄たちでなくても、最初から強い冒険者なんて多く存在する。そういう者が中層に挑み、やがては深層へと至るのだ。
駆け出しの冒険者がやっとの思いで苦労して倒すモンスターを、迷宮に潜って初日に倒すような冒険者もいると聞く。遠い噂ではレイチェルもその一人らしい。徒弟制度から卒業したレイチェルは、中層の攻略を目指す冒険者として頑張っているらしい。
「君はここでずっと訓練をしているね?」
「はい」
あの日から僕はずっと頑張ってきた。
朝から漁師の一員として働く。一年も過ぎれば親方も僕を仲間の一人だと認識してくれて、色々な仕事も任されたし、お賃金も上がった。気のいい人たちだった。思わず、このまま漁師の一員になるのもいいと思うほどに。
それから仕事が終われば迷宮に出かけて訓練を積む。いつもは手を使って剣を振るい、アビリティを使って剣を振るうだけだけど、たまにはこうしてプリムラさんが訓練に付き合ってくれる。
こうやって試合に励むこともあれば、僕の剣の振りや戦い方に対して指導を受ける事もある。
「ティエ君、あの日と比べて君は強くなった――」
「はい」
本当に強くなったのか、という疑問はあるけれどここまで訓練に付き合ってくれるプリムラさんが言うのだからきっとそうなのだと思う。
「そろそろいいんじゃない?」
「何がですか?」
「ここから出るのさ――」
「え?」
「そして外に行って、モンスターを倒す。当然だろう? 君は冒険者なんだから。もう新人としては十分な実力を持っていると思う。行っておいで――」




