第九話 訓練
僕の朝は、まだ日が昇っていないような時間から始まる。
選んだ仕事は漁業であった。
僕を雇ってくれた親方と共に朝早くから船に乗って海に出かけるのだ。
親方が行っているのは定置網漁であり、元々網を設置している場所に船で移動して手で網を引き揚げるのである。揺れる船の上での引き揚げ作業はかなりの力仕事で、冒険者として訓練を積んだ僕でもかなり厳しいものだ。
それから港に帰って魚の選別や清掃などを行う。これらもとても力仕事であり、体の小さな僕は屈強な男たちに囲まれながら必死に行う。
それが終わって親方たちなどの漁師仲間と食事を取ると、今度は迷宮内に潜る。
僕の訓練が始まるのだ。
僕が足を運んだのは迷宮の中にある冒険者の為の演習場だ。アビリティなどを試す場所であり、利用する者はほとんどいないけど確かな需要があるので未だに無料で開放されているエリアである。
芝生の上に冒険者は僕一人で、この日も利用する冒険者は誰もいなかった。
僕は持ってきた見習い時代にも使っていた木剣とプリムラさんから貰った鉄の剣を地面に置いた。この鉄の剣は刃がぼろぼろで戦うには不十分な剣だけど、鞘ごと紐で巻いて固定してしまえば素振り用の少し重たい剣になる。
僕はそれらの剣に左右の手をそれぞれ伸ばして、アビリティ――『空の剣』を使う。手のひらから出たキラキラとした光の粒を纏わせる。これがないと、僕の思い通りには剣は動かない。
僕はそのまま、二本の剣を空中に上げた。鉄の剣の方が動きが遅いのは、重たいのが原因だろう。
僕はそれを分かっていながらも、剣を振るう。鈍重で遅い動きだけど、ひたすらに剣を振るうのだ。
この一振りが、未来につながると信じて。
「――やってるねえ!!」
そんな事を続けていると、どこからともなく現れたプリムラさんはいつの間にか僕の隣に立っていた。
若干の獣臭がプリムラさんから感じるのは、冒険に出た後だからだろうか。そんなプリムラさんの冒険がどんな冒険だったかは分からにけど、きっと過酷な冒険だったのだと思う。傷ついている鎧が物語っていた。
「プリムラさん、どうしてここに?」
「君の様子を見に来たんだよ。頑張っているかなって。でも、私の予想通り訓練に没頭しているようだね」
「はい! 言われた通りひたすらに剣を振ってます!」
僕はこの一週間の結果を見せつけるように二本の剣を操る。
アビリティに目覚めた頃の剣の動きはぎこちなかったけど、少しはまともに剣を操れるようになってきた。まだまだ剣の速さは遅いけど、この剣たちは以前よりも僕の思い通りに操ることができる。
「そっか。じゃあ、そんな頑張っているティエ君にアドバイスをあげるよ」
「ありがとうございます!」
「アドバイスの前にまず、これを君に上げる」
そう言ってプリムラさんが投げ渡してきたのは白と黒の二本の剣である。抜いてみるとどちらも刃が錆びていたり、刃が欠けていたりとどちらも使い物にならない剣だ。
軽くていい剣なのかも知れないけど、鞘をつけるとどうしようもなく重たい。鉛が鞘の中に入っているかのようだった。
「これは?」
「君の為の練習用の剣だよ。捨てる奴を持ってきたんだ」
「ありがとうございます。でも、僕のアビリティはこの通りはまだ二本も満足に扱えないのですけど……」
三つの剣を操ろうとした時もあったけど、どうにもうまく行かずに地面へと落ちるのだ。僕の意識の問題なのか、それともアビリティ自体が二本しか操れないアビリティなのかは分からないけど三本以上の操る事は諦めている。
僕はそれを示すかのように二本の剣を操った。
この一週間の結果をプリムラさんに示すかのように。
僕は左右の剣を右に左に操る。まるでそれは宙に文字を書いているような動作に近くて、キラキラとした粒子が尾を引くのだ。
「知っているさ。ちょくちょく見ていたからね。誰もこの剣も浮かせ、とは言っていないよ。これは君が持つ剣だ」
「僕が、持つ剣?」
「そうだよ。君のアビリティで操れる剣は二本かも知れないけど、その二本の手は空いているでしょう? この剣はその手で持つ」
「こうですか?」
僕は黒の剣を右手に、白の剣を左手に持った。
少し重たいがしっくりと来る。
短剣なのがいいのだろう。僕は鍛えているが、まだまだ体は細い。普通の直剣ですら両手でも少し重たいと感じる。刃渡りが20センチほどしかない短剣だから片手でも持てるのだ。
「そうだよ。それで振るうんだ」
僕はプリムラさんに言われるがまま、黒と白の短剣を振るった。
持つ分には問題はなかったけど、振るうとなると剣の重さに振り回される。今にも剣が飛んで行ってしまいそうだ。
「どう? 難しいでしょ? 見習いの時に振っていた木剣とは違うでしょ?」
プリムラさんの言う通りだ。
単純に僕の筋量が足りないのだ。片手だけではまだまだ扱えない。
「もしかして今、筋肉が足りないから剣に振り回されると思った?」
「はい!」
「ちょっと貸してみて。実はね、私ってそれほど力がないの。ほら。腕が細いから。でも短剣を振るうにはコツさえあれば簡単よ――」
プリムラさんは僕にお手本を見せるかのように、細い腕で持った黒と白の短剣を振るう。
黒の短剣を振り下ろしたかと思うと、白の短剣を振り払う。それは力で制していると言うよりも、リズムで制していると言った方が正しいだろうか。剣の重さを考慮し、力の流れに沿って逆らわない。流麗な剣の動きはまるでシーソーのようだった。右を引けば左を出し、左を出せば右を引く。
無理な動きはせず、力の流れを整えるだけだ。その軌跡は新円のようだった。
そんな動きを一通り行うとプリムラさんはもう一度僕に短剣を投げ渡した。僕はそれを慌てながら受け取ると、短剣を左右の手でそれぞれ持って振るい始めた。
まだまだ剣に振り回される。けれども短剣は少しずつ、僕の動きについてくる。先ほどのプリムラさんの動きに僅かだけど近づいて行く。
「そうそう。力の流れを感じるの。そして刃は必ず“立てる”。寝かせては駄目。そうじゃないとモンスターは切れないから。そして、“円”を意識する。剣で斬る時は円の動きが最も切れやすいんだ。直線の押すではなく、少し引くように刃を立てる。それが円の動きだよ」
プリムラさんの言葉に返事はしない。
出すのは荒い吐息だけだ。
プリムラさんに堪えるのならば、動きだけで十分なのだ。
右の剣を縦に振るって、左の剣を横に振るう。剣の重さに決して逆らわず、けれどもまだまだ短剣に振り回される僕は未熟なのだろう。
「で、一旦持っている剣の動きを止めて、その動きを思い返しながら君のアビリティを使うといいかも」
僕はプリムラさんの指示に従うように体の動きを止めて荒い呼吸を整えながら、『空の剣』を使った。
思い出すは先ほどのプリムラさんの動き。
それを再現するかのように木剣と普通の剣を振るう。
少しだけ動きが素早くなったように感じる。
先ほどまでは漠然と剣を操るだけだった。ただ剣を宙に浮かせて早さのみを求めて動かすだけ。それしか頭になかった。よくよく考えればそんな振り方では遅くなって当たり前なのだ。僕が今までアビリティで使っていた剣の振りは、剣を持ったまま腕を動かさずに走っているに等しい。酷く非効率だ。
だが、剣とはそうではない。柄を持った手首を起点にして、円を描くように動かすのだ。そうすれば剣の飛距離はただ走る時よりも格段に伸び、自由になる。よりすくない力で早くなる。
そうやって、剣の術理を意識しながらアビリティを使う。
僕が実際に振るうより随分と遅いけど、それでも速さは“少しだけ”ましになった。
「なるほど。こうやって動かすのですね!」
僕は感動しながら剣を動かしていた。
一度振るうたびに鋭くなる。一度振るうたびに鋭くなる。それがとても楽しいのだ




