第38話 新しい日常
慌ただしい日々を送っていると、一カ月というのは早く過ぎ去ってしまう。この間、早春だと思っていたら、沿道に置かれたプランターに、色とりどりのチューリップがもう咲いている。
私がいた世界のような春を知らせてくれる桜の木はないけれど、こうして家の外に出ると、街中を飾る花々が、代わりに教えてくれるような気がした。
「アゼリア、行きますよ」
玄関の前で柔らかい風を受け止めていると、夫であるグリフィスが私に向かって手を差し出している。階段のような段差があるわけではないのに、月日が変わろうと、相変わらず私の世話を焼きたがる人だった。
それなのに、ウサギになると甘えん坊になるのよね。
手を取らずにふふふっ、と笑っていると不機嫌な顔をされた。そろそろ応えないと、お小言が飛んでくるかもしれない。
「ごめんなさい、グリフィス」
「……何か気になることでもありましたか?」
「ううん。ただ……今日はいいことがありそうって思っただけ」
なぜそう思ったのかは分からない。相談所もまだ再開できていないのだ。それは偏に、新しいタロットカードが手に入っていないから、というのもある。あの日、想いが通じ合った時に、グリフィスに頼んだけれど、未だ私の手元にはない。
ルノルマンカードはこの世界になかったけれど、図書館にはタロットカード関係の本が置いてある。また、相談所でもルノルマンカードを不思議そうに見る方はいても、タロットカードをそのような目で見る方はいなかった。だからそこまで時間がかかるとは思えないのだ。
まぁ、タロットカードとルノルマンカードの成り立ちがそもそも違うから、仕方がないんだけどね。私もルノルマンカードのように、自分でカードを作れたらいいな。
むしろ作るんだったら、オラクルカードのように、枚数や内容が決まっていないカードがいいかもしれない。アドバイスの幅も広がるし。
「よく分かりませんが、アゼリアが楽しそうで、何よりです」
「……グリフィスのことだから、バカにされていないのは分かるけど、なんだか腑に落ちないわ」
「そうですか? ではお詫びに、このまま手を繋いで行くのはどうでしょうか」
グリフィスは私が手を乗せる前に掴み、指を絡めてきた。
「構わないわよ。でも今日が初めて、みたいな言い方はやめて。結局、私がグリフィスの書店を手伝い始めてから、毎日こうしているじゃない」
そう、実は事件の後処理で、なかなか相談所が再開できていなかった間、私は休職扱いとなっていた。事件の被害者、とまではいかなくても、該当者であったため、表に顔を出さないことがいいだろう、と周りが配慮してくれた結果だった。
とはいえ、再び相談所を開くのであれば、またどこかの部署に、期間限定でお邪魔することになる。ラモーナのところのように、ほぼ一人でいる部署ならともかく、大勢となると……それはそれで負担がかかってしまうため、休職の方を選んだ、というわけである。
けれど病気で休職しているわけではない。日々、やることを失ってしまった私を見兼ねたグリフィスが、書店の手伝いをしてほしい、と申し出てくれたのだ。
以前は手伝いたくても許してくれなかったのにどうして? と思ったが、それは私がグリフィスの正体を知らなかったからだ。
今は家でもウサギの姿になって甘えてくるほど、私に気を許してくれている。だから書店への出入りも許可してくれたのだ。
「ですが、相談所が再開すれば、このような機会も減ってしまいますからね」
「えっ? 前みたいに迎えには来てくれないの?」
「行きますよ、勿論」
「なら十分、できるじゃない」
そんな今生の別れみたいな声で、わざわざ言わなくてもいいのに。
「……以前とは違い、アゼリアが相談所に慣れてしまえば、書店を手伝うことなどなくなるとは思わないのですか?」
「確かに。始めたばかりの頃は慣れていなかったから、疲弊してしまって。だからその後は、隔週でやろうということになったけど……」
回数を重ねていけば、それは分からなくなる。あれだけ図書館に行列ができるのだ。なるべく多くの人たちの相談に応じたい。それによって図書館に活気が戻るのなら、尚更だった。
「誰もその先は分かりません。それに私が今、こうして妻と手を繋ぎたい、と願っていることを叶えてもらえると有り難いのですが。ダメですか?」
「ううん。今後は相談所に専念するって決めたんだもの。迷える子羊ならぬ、ウサギに手を差し伸べるのは当たり前のことよ」
「ではしばらくは、その優秀な相談員を独占できる喜びを、理解してもらえると助かるのですが」
も~! ウサギの時とは違って、回りくどく甘えてくるんだから。分かり辛いわよ!
私はグリフィスの期待に応えるように、体を寄せた。通りを歩くと、未だに外野の声は聞こえてくるけれど、今はあまり気にならなくなった。
だって、私たちは夫婦なのだから。
***
グリフィスが経営する書店は、店主の華やかさとはうって変わって、地味な店構えだった。そう、書店というより、古書店に近い雰囲気を持っている。
扉を開けると、独特な本の匂いと、きちんと並べられた本棚。閑古鳥が鳴いているわりに埃がないところも、グリフィスらしいと思えた。けれどカウンターの上やバックヤードには、届いたばかりの本が無造作に置かれている。
これらをチェックするのはグリフィスの役目であり、私はそれを本棚へと入れる。図書館と同じでカートもあるし、踏み台もあるから、それほど大変な作業ではなかった。
ほとんどお客さんが来ないから、その合間に気になる本を読むこともできたからだろう。過保護なところがあるグリフィスも、こればかりはダメだと言わなかった。
カランカラン。
扉に付けているドアベルの音が鳴る。それと同時に、カウンターから物音が聞こえ、グリフィスが応対に行ったのだと分かった。
これはお客さんではなく、問屋さんか、知り合いのどちらかだろう。私はそのまま視線を手元の本へと戻した。
「アゼリア。そろそろお昼にしましょうか」
しばらくすると、グリフィスが声をかけてくれた。もうそんな時間かと思ってバックヤードへ入ると、テーブルの上に見かけない包みが置いてあった。
「もしかして、さっき届いたもの?」
「はい。注文していたものが、ようやく届いたんです。開けてみてください」
「えっ、私が?」
「アゼリアのために、特注で作ったものですから。是非!」
自信満々にいうグリフィス。特注にしては、文庫本よりも小さい包み。けれど絵本よりも厚みがある。いや、数冊という可能性も否定できない。
私はおそるおそる包みを開けた。
「これって……」
「随分、お待たせしてしまいましたが、ご注文のタロットカードです」
「な、中も見ていい?」
「どうぞ。これはもう、アゼリアの物ですから」
無地の箱に手をかけ、そっと開ける。敢えて絵柄を描かなかったのは、私を驚かせたかったのか、それともグリフィスの照れ隠しなのかは分からない。
けれど目に飛び込んできたのは、これから旅に出ようとする、可愛い淡い黄色がかった茶色の垂れ耳ウサギのイラストだった。
「ふふふっ」
「お気に召していただけましたか?」
「えぇ。これなら、相談所を再開しても、心強いわ」
だってこれは、ウサギ姿のグリフィスが描かれているんだもの。離れていても、寂しくなったらこれを見ればいい。
「ありがとう、グリフィス。使うのが勿体ないくらい、素敵なタロットカードだわ」
私はニコリと笑い、同じように満足げに微笑むグリフィスに向かって抱きついた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
これにて完結となります。
色々と事件などありましたが、これでもスローライフを目指した作品でして(初めてなので、そう見えなかったかもしれません)
そのため、タイトルは異世界恋愛風ですが、異世界ファンタジージャンルにしました。
また、占いではなく相談所という名称にしたのは、占いを怖いものだと捉えてもらいたくなかったからです。日々の星座占いと同じく、当たるも八卦当たらぬも八卦、という気持ちで受け取ってもらいたい、と思っています。
因みに前作の『転生王女の私はタロットで生き延びます~護衛騎士様が過保護すぎて困ります~』同様、占いは私自身がルノルマンカードとタロットカードを使って出したものです。
少しでも興味を持っていただけると幸いです。




