第35話 困惑する日常
私たちはその後、遺跡の内部をサラッと見ただけで、帰宅した。この世界で初めての旅行だったが、終始悲しそうな表情でいるグリフィスを見るのが忍びなかったからだ。
誰かの思い出の地だからこそ、もっと見たい私と、辛い記憶でも向き合いに来たグリフィス。それも本人の希望ではなく、私の望みとして。
だから他に観光することもせずに帰宅するのが、ベストのような気がしたのだ。寛げる我が家へと。
「やっぱり、その姿の方が楽なの?」
一日の行程を終えたグリフィスは、カップを一つ持ってリビングに現れた。テーブルに「どうぞ」と置く姿を見て、当然「グリフィスのは?」と聞いた瞬間、すでにその予定でいたのか、ウサギの姿になって私の膝に飛び乗った。
「最近、そうやって私の膝に乗るわよね」
「嫌ですか?」
その姿で問いかけるのは卑怯というものである。膝枕をされたこともしたこともないけれど、人一人分の頭の重さを膝が受け止めるのだ。ロマンチックかもしれないけれど、膝への負荷を考えると……。
「ううん。その姿のグリフィスは軽いから、全然」
「……どなたか、重い方を乗せたことがあるのですか?」
「ないけど、そうだなぁ。図書館でアレもコレもってキープした本を膝の上に乗せながら、一番上に置いていた本を読み始めてしまったことがあるの。座っていた時には感じなかったんだけど、立った瞬間、痺れちゃって」
「……アゼリアらしいですね。因みにどのような本を読んでいたのですか?」
あれは学生の時だったから、歴史だ。多くの署名人が調べ、小説や研究書などに落とし込んでいたから、史料もまた、たくさんあった。それと同時に、狙っている者たちも多くて、いつもホームページの所蔵一覧には貸出の文字ばかりで、悔しい想いをさせられたのを憶えている。
「一時期、歴史にハマっていたの。だから、用意してくれるのなら、この世界のをお願いね」
「それはジェマナキア遺跡を探索できなかった腹いせですか? それとも、旅行を満喫できなかった方でしょうか?」
「違う違う! 旅行も遺跡も、また今度いけばいい話でしょう? 私が言っているのは、もっとこの世界のことを知りたいの!」
先日、その旅行先から帰ってくると、館長経由で魔塔から連絡があった。なぜグリフィスではないのか、というと、その内容を見て納得した。
『元の世界への帰還を希望しますか?』
なんでも、黒いフードの男たちがタロットカードを召喚した魔術を解析したらしい。魔術師ではないため、説明が書かれていてもまったく理解できなかった。
それを寝室に放置した私も悪い。家事全般を担うグリフィスに見つかるのは、自然なことだった。
けれどグリフィスは、敢えて何も言わず、今に至るというわけである。
「もっと知れば、行きたい場所が増えるし、変な人にも騙されないでしょう?」
「アゼリアのことですから、それは分かりません。ただ、そこに私もついて行っていいのなら、ご希望通り、用意いたしますよ」
「勿論! グリフィスがいてくれないと困るわ。一人だと不安だし、それに私たち……夫婦でしょう? 一緒に行動するのは、当たり前じゃない」
自信満々に言ったものの、最後は恥ずかしくて小さな声になってしまった。けれど私とグリフィスの距離は、あってないようなもの。
顔を下に向けると、嫌でも目が合ってしまうため、横に逸らした。するとグリフィスは、私の膝から降りて、隣に移動した。その瞬間、不意をつくように人の姿に変わった。
「っ!」
相変わらず心臓に悪い。ウサギになった時は、目を細めてしまうほど愛らしいのに、人の姿になった途端、逆に目を見開いてしまうのだ。
「どうかしたのですか?」
「ううん、なんでもない。それよりも、どうしていきなりそっちの姿にしたの?」
「いけませんか?」
「悪いとは言っていないわ」
むしろいいから困っている!
ウサギの時は可愛くて、人の時はカッコいい。ズルいと思ってしまうほど、私好みなのだ。
「それは良かったです。この姿になったのは、アゼリアをお誘いしたいためだったので」
「お誘い?」
「ちょうど明日、近くの公園で慈善バザーが開催されるんです。一緒に行ってみませんか?」
「行ってみたい! 前にヘルガから聞いて、ずっと気になっていたの」
ヘルガ自身はお相手を探すために立ち寄った場所だけど、私が興味を惹かれたのは、慈善バザーの方だった。その後、どんなものかと聞いたら、フリーマーケット、もしくは市やイベントのようなものだと察した。
貿易関係の人も立ち寄るくらいだから、バザールの雰囲気もあるのかしら。でも、公園でやるくらいだから、市かフェアの方に近いのかもしれない。
「……私もまだまだですね」
「何が?」
「守りに必死で、日常がおざなりになっていました。折角、アゼリアが行ってみたいと思える場所が、近くにあったというのに、見逃していたとは」
「えっ、これってそんなに反省すること!?」
そもそも、グリフィスにはウルリーケのこととか、考えることはいっぱいあったわけだし、仕方のないことだと思うけど。あと、書店経営から魔塔のこと、家事だって完璧にこなし、私の身の安全にまで気を遣っていたのよ。
「すべて気にかけていたら、体を壊してしまうわ」
「大丈夫です。特にアゼリアに関しては、私の楽しみでもあるので、禁止されると困ります」
「……分かったわ。でも、自分のことは自分でできるから……ほどほどにね」
「善処します」
つまり止めないってことね。
この言葉を使って、本当に改善された例を、私は知らない。




