第24話 グリフィスがいないこと
「アゼリア」
本日の仕事を終え、帰り支度をしている最中、ふいに後ろから声をかけられた。それも馴染みのある声に、私は驚いた。
だって彼女は、用事があるといい、今日の仕事は午前中だけだったのだ。そんな彼女がどうして定時で帰る私に声を? と思うのは無理のないことだった。私は恐る恐る振り返る。
「ヘルガ?」
やはりヘルガだ。長くて美しい青い髪を持っているのは、この図書館ではヘルガのみ。その鋭い眼光を覗かせる金色の瞳も。
「そっ。で、今、帰りだよね」
「うん。そうだけど、なんでヘルガがここにいるの? 今日は半休だって言っていなかった?」
「半休で用事を済ませたんだけど、その帰り道にグリフィスの店の前を通ったんだよね。それで――……」
「グリフィスに何かあったの!?」
どこか回りくどい言い方に、私は何かがあったんだと悟った。ヘルガの様子も変だし、わざわざ職場に戻って来る辺りなど、余計に怪しかった。
そんな私の態度に、ヘルガが慌てた様子を見せる。
「特に何かあったわけじゃないんだけど、しばらくアゼリアを預かってくれって頼まれたのよ」
「えっ? なんで?」
「ほらっ、アゼリアは家の鍵を持っていないでしょう。今帰っても、入れないし」
そうなのだ。あれから鍵を持たせてほしい、と頼んだのだが、結局「持たせてもいいですが、使いどころはないと思いますよ」だから持たせるだけ無駄だと言われてしまった。
今がその、使いどころだと思うけど! だけど本題はそこではなかった。
「つまり、グリフィスはどこかに出かけたってこと?」
「うん。そう、そうなのよ! さすが、アゼリア! 察しが良くて助かるわ~」
ヘルガは胸の前で手を叩き、まるで今、妙案が思いついたような嬉々とした顔をした。
「おだてても無駄よ。本当のことを教えて。グリフィスに何があったの?」
「アゼリアが言った通りのことよ。本の仕入れに急遽、行くことになったんですって。それでたまたま前を私が通りかかったから、アゼリアのことを頼まれたの」
「急遽? たまたま?」
私は訝しげにヘルガを見つめた。けれどヘルガはニコリと笑うだけで、明らかに真相を話すつもりはないらしい。
「図書館だって、時々問屋さんから本を仕入れることがあるでしょう? 向こうが来てくれたり、私たちが行ったりしているじゃない。本屋を経営しているグリフィスだって、同じなのよ」
「……それはまぁ、そうだけど」
そんな話、私だってグリフィスとしたことがないのに。なんでヘルガが?
「アゼリア。そんな顔をしないで。グリフィスだって残念がっていたんだから。直接言えないこととか、私に任せることとか。本当にアゼリアのことしか考えていないんだなって思うくらい、注意事項を言われたのよ」
「……ごめんなさい。つい、なんでって思っちゃって」
「無理もないよ。ずっと欠かさず迎えに来ていたんだから、それなのにいきなり人伝に連絡をもらったら、私だって悲しくなるもの」
「ヘルガも?」
「うん。だから今日はね。アゼリアのために、彼に頼んでちょっと豪華なディナーを用意したの。グリフィスと一緒じゃなくて寂しいかもしれないけど、美味しいものを食べに行こうよ」
思わず私は両手で顔を覆った。一瞬でもヘルガに嫉妬を向けた自分が嫌になったのだ。
ヘルガが好きなのはグリフィスじゃないのに。
「あ、アゼリア!? 大丈夫? 豪華なディナーよりも、素朴な方が良かった? 今なら変更できるから言ってね」
「ううん、大丈夫。キャンセルしないで。折角、ヘルガが私のためにしてくれたんだもの。それが嬉しかったの」
「良かった。そうだ! アゼリアには相談所のこととか、色々と迷惑をかけたから、今日はその愚痴を聞くよ。たぶん、言い辛かったんじゃない?」
「それは……」
嘘とは言えない。職場で言えない愚痴を、グリフィスに聞いてもらっていたのだから。それでも、ヘルガに聞いてもらいたいことはいっぱいあった。
「グリフィスの愚痴も大歓迎よ。ちょっと過保護が過ぎるというか……」
「まぁ……うん、否定できないかも」
「あとは、最近調べ物を手伝っているっていう利用者のこととか……大丈夫?」
「え? 何が? どっちかっていうと、構い過ぎじゃないのかって怒られると思っていた」
普通、一利用者に、何日も付きっ切りで相手をする方が異常なのだ。とはいえ、臨時の仕事では皆の足を引っ張ってしまうから、他にやることもない。禁書区画の周辺の見回りだって、元々ラモーナ一人で事足りていたのだ。
図書館自体、閑古鳥が鳴いている状態だったから、人手はすでに足りている。少しずつ利用者が増えたといっても、猫の手を借りたいほどではなかった。
「怒りはしないけど……そうね。相手に色々と要求されているんじゃないか、とかさ」
「あぁ、図々しい利用者もいるからね。でも、マックスはそういうタイプじゃないのよ」
「えっ、もう名前で呼び合っているの!?」
「だって、その方が調べ物がしやすいでしょう?」
「そうだけど……アゼリア、結婚しているのよ。少しは危機感を持ったら?」
ヘルガに言われて、ハッとなった。私とグリフィスは偽装結婚だから、あまりそういう意識を持っていなかったけれど、本当はよくない行動だったのかもしれない。
どうしよう。とりあえずここは話を合わせて終わらせることにしよう。
「うん。結婚したばかりだったから、そこのところの危機感が足りなかったのかも」
「なんだか、グリフィスが心配になるのも分かる気がするわ。アゼリア、隙だらけなんだもの」
「そうかな」
確かに、グリフィスの世話になっていたから、色々と油断していたのかもしれない。マックスを相手にする時は、もっと気を引き締めていかないと。




