第16話 休むことも大事
「はぁ~」
今日、朝一番の占いを思い出すだけで、口からため息が零れた。目の前に出された食事からは、美味しそうな匂いがしてくるのに、フォークを持つ手がなかなか伸びない。
「どうかしたのですか?」
グリフィスの声にハッとなる。私がこんな態度をしていれば、彼が心配そうに私の顔を覗き込むことは分かっていたのに。それでも隠せなかった。
この家を住み心地よくしてくれたグリフィスのお陰で、帰宅した途端、私の心は武装を解除してしまうのだ。
「ちょっと、ね」
あまり自分の失敗を口に出したくない。それを分かってほしいというのは、都合のいい考えだろうか。
視線を逸らすように顔を横に向けたが、グリフィスは……やはり諦めてくれなかった。頬に当たる視線が痛い。
「体の調子は?」
「えっ?」
「具合が悪いのであれば、これらをスープにしようかと思ったんです。何も食べないのは、体に悪いですから」
「だ、大丈夫。無理にスープにすることはないよ」
目の前に置かれた白身魚のフライと添え物のサラダ。これらをスープに、なんてさすがのグリフィスでも無理がある。だけど今の私に脂っこい食事は……ちょっと難しいかもしれなかった。
だからなのか。口ではそう言いつつも、フォークがお皿へと向かわなかった。申し訳なさ過ぎて、思わず俯いてしまう。
「無理をしているのは、アゼリアの方です。それに、言いたくないのであれば聞きませんので」
そうしてグリフィスは、テーブルの上の食事をキッチンへと持って行く。私が「違う」とか「食べる」とか、言い訳をする退路さえも防いでくる。
「……卑怯だよ」
思わず呟いたら、キッチンの方からガタンっと大きな音が聞こえてきた。床を強く叩いたような音に、私は顔を上げる。すると、なぜか驚いた表情のグリフィスと目が合った。
「グリフィス?」
「すみません。驚かせてしまいましたね。つい、足が…… 」
「足?」
「いえ、なんでもありません。それよりも、先ほどの話ですが、詳しく聞かせてもらっても構わないということですか?」
「え?」
急になんで? あっ、もしかしてさっきの言葉を聞いたから? グリフィスはキッチンにいたし、私は手で口を隠しながら小声で言ったのに。あの距離から聞き取ったとでもいうの?
しかし、それを口に出すことはできなかった。グリフィスが向かい側に、再び座ったからだ。
「帰り道も、ずっとそのような顔をしていたでしょう。けれど仕事のことだと思い、踏み込めなかったのですが……卑怯だというのなら」
「ち、違うの! 卑怯だといったのは……普段、やたらと構う癖に、いきなり距離を置かれたというか」
何を口走っているのよ、私。まるで、恋人に放っておかれて寂しい女みたいじゃない。恋人どころか、偽装結婚をしている、まったく関係性のない女なのに。
だけど言ってしまったものは、もう取り返せない。
「置いたつもりはありません。仕事のことは安易に話せないでしょうし、ましてや占いに関することでしたら、尚更です。相談内容を私が聞くわけにもいきませんから」
「……うん。分かっているわ。でも、これは相談内容とは違うことだったから、思わず」
「相談内容ではない? 親身になっている内に、抱え込んでしまったわけではないのですか?」
「抱え込むような相談は来ないわ。相談者には事前に、重い案件は占えないことを伝えてあるから」
病気や賭け事、勝負事に関することは勿論のこと、探しものだとか、そういう案件は遠慮させてもらっている。あと、私を試すようなことも。
図書館の催しで相談所など目新しく、実は最初の頃、そのような相談者が多かった。何処の世界でも、暇を持て余した人間はいるもので、「暇なんだろう。俺の話相手くらいしてくれよ」という感じでやって来るのだ。特に図書館や博物館、美術館などの施設には。
今は行列ができるほど盛況になったため、絡んでくる相談者は減った。だけど、たとえ当たらなかったとしても怒らないでね、と事前に了承していても、再度やってきて叱咤して来る者もやはりいるのだ。
どうやらグリフィスは、そちらを連想したらしい。顔が険しくなっている。だけどなんだろう。それさえも様になっているように感じて……あまり怒られている感じがしない。
まぁ、私に怒っているわけじゃないんだろうけど。
「その……なんというか、今日は朝一から上手く占えなかったの。相談者は納得していたみたいだけど」
「でしたら、何を悩む必要があるのですか? といいたいところですが、アゼリアが拘っているところは別ですよね。上手く占えなかったことが原因で、プライドが傷ついたのですか?」
「プライド……そんな大それたプライドは持ち合わせていないけど」
そうなのかな。占いは未熟だし。だからこそ、相談者に寄り添うと頑張った。
「実は心配だったんです。毎日アゼリアから、「今日も朝から行列ができていた」と聞く度に、無理をしていないかと」
「無理?」
「そうです。アゼリアは司書として図書館にいるのですよ。占い師として雇われたわけではないでしょう」
「……確かに。言われて見ると、最近、司書の仕事すらしていないかも」
出勤すると、急いで相談所に駆け込み、テーブルクロスをかける。掃除は退勤時にしているから、軽く済ませて、本日の相談者を待つのが日課になっていた。
「それがいけない、とはいいませんが、少しだけ占いから離れてみるのはいかがですか?」
「で、でも……私の占いを待ってくれている人がいるのよ」
こんな拙い占いしかできない私を頼ってくれている。期待してくれている。
「離れられないよ」
「……アゼリアは優しいですからね。すぐに決断するのは難しいと思っていました。だからこんなのはどうでしょう。隔週で相談所を開くんです」
「隔週?」
「はい。一週間、相談所を開けて、次の一週間は休みにするんです。ずっと頑張っていたのですから、周りも分かってくれますよ。もしも無理なら、私から館長に言いましょうか?」
あぁ、そういう隔週か。一週間おきに一日だけ相談所を閉めるのかと思った。でもそれなら、今週分は開けて、次週はお休みにします、と先に知らせることはできるかも。
ここのところ、三人目を過ぎた段階で疲弊してしまう。だから午前中は二人。三時休憩前まで一人。定時まで一人、としていた。
「ううん。実はヘルガたちから、何かと配慮してもらっているの。だから館長に言っても、すんなり通してくれると思うわ」
「ということは、やはり無理をしていたのですね」
「う~ん。慣れないことをしていたから、疲労とストレスじゃないかな」
「でしたら今日はもう、温かいものを飲んで休んでください。寝る前に用意しますから」
「ありがとう、グリフィス」
その言葉だけで、十分心の中が温かくなるよ。




