第14話 決意(グリフィス視点)
スヤスヤと小さな吐息を立てながら、私の腕の中で眠っている。黒いまつ毛がよく見えるほど、近くでアゼリアの寝顔を見たのは、これが初めてだ。
寝室を共にしているが、ベッドはそれぞれ別れている。偽装結婚ということもあるが、自身にかけた魔術がいつ切れてしまうのか、それを恐れてのことだった。
気を抜いているつもりがなくとも、体が悲鳴を上げてしまうと、ウサギに戻ってしまうのだ。
この街を最初に案内した時のアゼリアの驚きぶりが、今でも目に焼きついている。驚愕した表情の中に垣間見える、恐怖だと明らかに分かる小さな震え。私の腕にしがみつきたいのに、遠慮する態度も含めて。
「もっと頼ってください」
だからすぐに寝たい、というアゼリアの願いを叶えた。街中で魔術を使いたくはなかったが……やむ得ない。
「アゼリアの体が第一、ですからね」
この疲労がただの仕事疲れなら、私もここまではしない。図書館で、司書の仕事をしているのであれば。
しかしアゼリアがやっているのは、司書の仕事ととはほど遠いもの。だが、占い自体を否定しているのではない。アゼリアの趣味でもあるし、できればそれを応援したいとは思っている。
問題なのは、あのタロットカードを使っているからだった。
視線をアゼリアから鞄へと向ける。意識していなくても、自然と注視してしまう。姉が封じられたタロットカードへと。
「何か、影響を受けていないといいのですが……」
視線を向けても、鞄からタロットカードを取り上げようとは思わない。アゼリアに使ってほしくないと望んでいても、それを排除することすら、私の頭にはなかった。
なぜならアゼリアが、毎日、生き生きとしているのを見ているからだ。好きな本に囲まれた空間で、好きな占いをする。アゼリアにとっては、理想の職場なのではないだろうか。
それを取り上げるくらいなら……密かにサポートに回っている方がいい。
「ん〜」
アゼリアが僅かに眉を顰めて唸った。耳を澄ませると、帰宅時間というのもあるのだろう。外が騒がしい。
私はウサギ獣人だが、聞こえ過ぎる耳を魔術で調整している。そう、たとえばこんな風に。
『静寂結界』
今回は車室に施したから、これでアゼリアも安心して寝られるだろう。問題なのは、今、襲撃にあったら、だ。外部の音が聞こえなければ、対応もできない。
あぁ、これだから魔術が使えると厄介なのだ。本当はいけないと分かっていても、叶えてあげたくなる。これが私の本質であり、姉は逆だった。
誰よりも手を伸ばし、届かぬと知っていても、諦めなかった。それが、破滅の始まりだと知っていたのかは分からない。いや、たとえ知っていても、手に入れないと気が済まなかったのだろう。
そんな姉だが、他人が持っているものには興味がない人だった。欲しいのは、けして自分には届かない領域。そう、魔術を極めるためなら、なんにでも手を出したのだ。文字通り、躊躇いなく。
そして自分の魔力の限界に気づき、禁忌にまで手を染めた。
稀代の魔女ウルリーケ・ハウエル。
あの黒フードの男たちは、おそらくウルリーケの魔力が欲しいのだろう。あのタロットカード、七十八枚には、ウルリーケの魔力が分散されている。禁忌を冒してまで手に入れた魔力は、そのくらい膨大なのだ。
本来、使用すること自体が危険なのだが、なぜかアゼリアは平然と使っている。
「本当に、どこも異常がないのですか?」
この質問がお気に召さなかったのか、アゼリアは顔を隠すように、私の体にすり寄ってきた。彼女はウサギではないのだが、嬉しさが拭えない。私の傍にいることを、安心だと捉えているように感じてしまうからだ。
「そんなことをされたら、私も応えたくなるではないですか」
アゼリアの体をさらに引き寄せ、彼女の頭に顎を乗せる。先ほどのような唸り声が聞こえないことをいいことに、家に着くまでそのままの体勢でいた。
分かっている。こんなことをしても、私たちは偽装結婚をしている間柄。本来の目的を忘れてはいけない。共にいることさえ、互いの利害の一致だということを。
***
そう自分に言い聞かせ、アゼリアをベッドの上にそっと置いた。
「本当に魔術への耐性がないんですね」
ほんの少し眠慰をかけただけで、これである。馬車から降ろしても、移動している間も、アゼリアが起きることはなかった。時折、唸り声を上げることはあったが、抱き方を変えると、すぐにまた穏やかな顔になる。
しかし今はそんな心配をしている暇はなかった。私には私のやるべきことがある。アゼリアが寝ている今しか、それはできないのだ。
私はアゼリアと共に馬車から降ろした鞄を、寝室のテーブルの上に置いた。タロットカードを取り上げなくとも、確認をするだけなら、許されるだろう。
罪悪感は拭えなかったが、それでも私には向き合う資格がある。まるで自分を洗脳するかのように暗示をかけた。
そっと鞄からポーチを取り出す。あまり見たことのない形だったが、アゼリアが開けているところを何度も見ているから、やり方は知っていた。摘みのようなものを掴み、一気に横に引く。ジャーという変な音に驚いたが、これはアゼリアがやっていた時にも聞いた音だ。
思わず後ろを振り向き、アゼリアの様子を探る。寝返りを打ったのか、後ろを向いていて、起きた様子はない。
ホッと胸を撫で下ろし、再びポーチへと視線を向ける。中にはそれぞれ大きさの異なった二つの小さな箱が入っていた。
私は迷わずに、大きい方の箱を取り出す。白いウサギが描かれた、タロットカードの箱を。
アゼリアは前にいた世界で購入したものだと言っていた。
「これを可愛いというのですから、アゼリアも物好きですね」
私には邪悪なウサギにしか見えない。箱から滲み出ている僅かな魔力が、それを物語っているからだ。
だからこそ、確かめなければならない。
「ウルリーケ」
姉の名を呼び、箱を開ける。すると、円が何重にも描かれたカードが目に入った。おそらく魔法陣だろう。複雑すぎて、ざっと見ただけでは読み取れない。
中身を取り出すと、全てのカードにそれが描かれていた。
「いや、印刷されたもののようですね」
手書きでなくてもいいとは……それくらい、この魔法陣を作った者が優秀だったのだろう。だが、今はこれを分析するために、カードを手に取ったのではない。
私は一番上のカードを捲った。
「『|THE HANGED MAN』(吊された男)」
そう書かれているが、描かれているのは宙吊りにされた白ウサギである。垂れた耳が吊るされたことによって、耳が立っているように見えるのが、なんとも滑稽な姿に映った。
しかし足は縛られ、手も後ろに回されている。
拘束された姉の姿を見ても、なんの感情も抱かないどころか、そのまま縛られていてくれ、と望んでしまう。
しかし奴らは、おそらくそんな姉を解放するのが目的なのだろう。稀代の魔女を復活させて何をさせたいのか、までは知らないが、よくないことであることは間違いないだろう。
私はそっとカードを箱に仕舞い、再びポーチの中に入れた。勿論、そのままにはせず、鞄に戻す。そしてアゼリアが眠るベッドへと足を向けた。
「絶対に守ってみせますから」
ベッドの前で跪き、祈るようにその背中へと決意の言葉を述べた。




