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#5

 僕と高島先輩は、お昼休憩に会社の近くの中華料理屋にきていた。

「今日は中華って気分だな。辛いやつ、一発言っとくか」

「午後からスーパーで店頭営業ですよね? そんなの食べて口臭大丈夫なんですか?」

「平気平気。主婦ってのはな。ちょっと危険な香りがするくらいの男が好きなんだよ」

「危険な香りとニンニクの香りは違うと思うんですけど」

 僕の勤める会社は、小さな商会会社で、昔は牛乳屋を営んでいた商店だった。今は〈明治〉のヨーグルトとかチーズとかそういった健康食品の宅配サービスの営業代行を主軸としている。僕と高島先輩は営業担当で、定期的に近所のスーパーを回って店頭営業をさせてもらっているのだ。もちろん僕もやっている仕事だが、高島先輩程は上手くできない。買い物している奥様方を捕まえて、話をするのは至難の技なのだ。急いでいる人もいるし、そもそも通路に立っているだけで邪魔そうな顔で見てくる人もいる。そんな中で明るく声を掛けて、相手の脚を止めるのは、なかなかに難しい。

「俺は、麻婆豆腐とチャーハンにするわ。お前は?」

「じゃあ、餃子定食にします」

「お前、餃子だって臭いするぞ」

「僕は、午後は内勤ですから」

 注文をするとすぐに料理が運ばれてきた。このお店はとにかく提供が早い。お昼休憩の限られた時間でしっかりとご飯を食べて活力をつけたいサラリーマンにはありがたいお店だった。

「なんか人事部の赤城さん、休職するらしいぞ」

 高島先輩がアツアツの麻婆豆腐を啜りながら言った。

「え!なんでですか?」

「詳しくは知らないけど、精神的に辛くなっちゃったみたいだな」 

「そうなんですか。赤城さんとこの前話しましたけど、特に変わった様子はなかったですけど」

 僕は、数日前に赤城さんと給湯室で、どのカップ焼きそばが好きか、という他愛もない話をしていたことを思い出した。

「みんなそんなもんだよ。大人になると表面上は何でもないように取り繕うことだけ上手くなって、内側ではすごい苦しんでたり、誰かを恨んでたり、妬んでたり、精神はいつまで経っても大人になれないんだよ。もっと素直になれたらいいのにな」

「でも、高島先輩は、いつも楽しそうで、そんな暗い感情を持ってるようには見えないですよ」

「俺だっていろいろ思ってるよ」

「例えば?」

「あんな可愛い女の子といちゃいちゃできる神崎が憎いくらい羨ましいなって」

 僕は、動揺して口の中身を吹き出しかけた。

「いちゃいちゃなんてしてませんよ」

「なんだよ。まだ付き合ってねぇのかよ」

「まだっていうか。一回遊びに行っただけですよ」

「あ、ってことは、付き合いたいとは思ってるんだな」

「そりゃあ、そうですよ」

「だったら、早いとこ告白しろよ」

「そうは言ってもですね」

「言ったろ? 恋愛は早いもの勝ちがなんだって」

「だけど⋯⋯相手の気持ちもあるし」

「どうした? 嫌われたのか?」

「いや、嫌われたわけではないとはおもうんですけど⋯⋯どうでしょう」

 僕は、この前お花見に行った時、彼女が友達から隠れるように、僕の手を引いたことを思い出した。

「ほんと、自信がないんだな。仕事のときは、はっきり意見を言うくせに」

「だって、仕事は仕事ですから」

「まあ、あんまり細かいことまで詮索したら、セクハラだがパワハラになりそうだから、ここでやめておくけど、とりあえず俺が言いたいのは、女の子からしたら、勝手に嫌われたとかどうとかうじうじされんのが一番嫌なんじゃねえってことだ」

 高島先輩は、そう言って、残りの麻婆豆腐をかき込んで、水を一気に飲んだ。それから、財布から二千円取り出すと机に置いた。

「お釣りはやるから。先行くわ。じゃあ、午後も頑張れよ」

 お店を出ていく高島先輩の後ろ姿がいつもより大人の背中に感じた。

「僕もシャキっとしないとな」

 僕は、餃子とご飯を口に詰め込んだ。


 夕方六時頃。

 僕が仕事をあがろうとデスクの片付けをしている時だった。

 高島先輩が外勤から戻ってきた。

「なんだ、まだいたのか?」

「お疲れ様です。先輩も遅くまでたいへんでしたね」

「おお。まあ、ちょっとな」

 高島先輩は、イスにドカッと座り、大きく息をついた。それから、手に持ってた缶コーヒーを開けて一口飲んだ。いつも冗談ばかり言っている先輩らしくない感じだった。

「なにかありました?」

「なんだよ。気にしてくれんのか。優しいやつだな」

「いや、なんか珍しく真剣な表情してたもんですから」

「珍しくって失礼だろうが」

 そう言って、高島先輩は笑った。それから、もう一口コーヒーを飲んだ。

「じつは、店頭営業の時に偶然、赤城さんにあったんだよ」

「そうなんですか」

「俺も声かけようか迷ったんだけど、なんかここで会ったのもそういう縁なのかなって思って、赤城さんとちょっと話をしたんだ。まあ、赤城さんと俺はほぼ同期でずっとこの会社でやってきた友達だったからさ。なんかほっとけなくてな」

 会社の同僚を『友達』と表情する高島先輩に好感を抱いた。ずっと人との関わりを大事にしてきて人から信頼されてきた高島先輩ならではの言い方だと思った。

「赤城さん。思ったより元気そうで、まあ、ちょっと安心したよ」

「ああ、そうですか。それはよかった」

「ただよ。聞いたら、人事部の木村部長が、けっこうパワハラっぽいことやってたみたいなんだよな。今、辞める人も多いし、求人出してもなかなか募集がなくて、ほら、どこの部署も人手不足だろ? それで社長からも結構、圧をかけられてたみたいでさ⋯⋯木村部長も追い込まれてたんだろうな」

「それで、そのしわ寄せが赤城さんにってことですか?」

「まあ、そういうことだな」

「そんなのって⋯⋯酷いですよ」

「そうだよな。人に当たったって状況変わるわけじゃないからな」

「なんだか、やるせないですね。でも赤城さんも、そんなに辛い状況なら誰かに、それこそ高島先輩に相談すれば良かったに」

 僕が言った言葉が即座に軽率な発言だったと、心の中で思った。

「それも、そうだよな。俺も、そう思うよ。俺だったら、みんなに言いふらすよ。あんなことされた。こんなことされたってな。だけど、赤城さんに聞いたら、自分でもわからないうちに誰にも言っちゃいけないような気になって、どうにも身動き取れなくなってたんだってさ」

「そういうもんなんですかね」

「人って難しいな。自分でも想像しないような形で追い込まれていってしまうこともあるんだろうな」

 高島先輩は、そう言うと缶コーヒーを飲み干して、ゴミ箱に捨てた。

 それから、「じゃあ、帰るわ」と言って事務所を出ていった。

 取り残された僕は、なんだか無性に山田さんに連絡を取りたい衝動にかられて、ラインをした。

 あのデートの日から五日開けての連絡だった。特に理由はないのに連絡するきっかけがなく、連絡をしていなかったのだ。

〈この前は、ありがとうございました。あれから数日経ちましたが、お元気ですか?〉

 すると、予想外にすぐに連絡があった。

〈元気です! なんだか桜を見に行ったのがずっと前のように感じます。もう桜も散っちゃいましたね⋯⋯〉

〈桜が散るのは早いですね。今日は仕事ですか?〉

〈今、仕事が終わったところです♫ 神崎さんは、まだお仕事中ですか?〉

〈僕も今終わって帰るところです〉

〈一緒ですね! 今日もお疲れ様でした!〉

 さっきまで、赤城さんが休職した話をしていたこともあり若干落ち込んでいた気持ちが、山田さんと数回ラインでやりとりしただけで、パッと明るくなるのを感じた。すると、次は会って話がしたいという欲求が湧き出てくる。そこで僕は、もちあわせる勇気をかき集めて、ラインを送った。

〈よかったら、この後ご飯でも行きませんか? もちろん、都合が良ければで大丈夫です〉

 数分間、ラインは返って来なかった。

 僕は、永遠にも感じられる数分間をドキドキしながら待った。

〈いいですね!ちょうどお腹が空いてました!〉

〈よかったです! そちらに行きますので、待っててください〉

 僕は、急いで青いコンビニに向かった。

 なんでもないただの平日が、まるで大好きなバンドのライブ当日みたいに、華やな日になった。

 僕達は、青いコンビニで待ち合わせをして、近所の定食屋に入った。本当だったら、お高いレストランなんかを用意してると格好良かったのかもしれないが、山田さんの方から、「あそこに行きましょう」と提案してくれたのだ。

「僕もこの定食屋好きなんだ。よく来るんですよ」

「そうなんですね! 私もです」

「何が好きなんですか?」

「えーとそうですね。唐揚げ定食も好きですし、カレーも好きですし、トンテキ定食も好きです」

「どれもおいしいよね」

 あれこれ悩んで、結局僕は、トンテキ定食を注文して、山田さんは唐揚げ定食を注文した。

 ご飯を食べながら、あれこれと話をした。山田さんがコミュニケーション力があるからだと思うが、普段は女性とはあまり話すのが得意じゃないのだが、山田さんとは会話が弾んだ。テレビの話とか、好きなタレントの話とか、世間話のような内容だったが、山田さんから発せられる言葉が、どれも新鮮で刺激的に感じた。

「神崎さんは、どんなお仕事されてるんですか?」

 山田さんに、そう質問をされて、そう言えば仕事の話を、していなかったなと思った。

「なんていうか、職種は営業なんですけど。明治の商品とかの販売代行をしてますね。中小企業とも呼べないくらい小さい会社です」

「神崎さんはすごいですね。しっかりお仕事されて、自立されてるわけですから」

「そんなことないよ。家事なんてサボってばかりだし、仕事も人に自慢できるようなものでもないから」

「そんなことないです。ほんとにすごいです」

 山田さんは、そう言うと黙り込んでしまった。

 僕は、慌てて何かを話そうと思って、口を開いた。

「そう言えば、最近、僕の会社で休職した人が出ちゃったんですよね。それも急だったから、びっくりしちゃったんですよ」

 山田さんは、顔をあげると僕の目をじっと見た。

「その人、どうしたんですか?」

「どうやら上司から厳しい態度とられてたのが原因だったみたいで、精神的に辛くなっちゃったらしいんだよね」

「神崎さんは、そういう人のことどう思いますか?」

「え? どういうこと」

「精神的に辛くなってお仕事休んでしまう人をどう思いますか? 弱い人だって思いますか?」

 彼女が、あまりにも真剣に聞いてくるので、僕は少し驚いてしまったが、きっと彼女にとって重要な話題なんだと思い、僕も真剣に応えようと思った。

「弱いだなんて思いません。誰だって精神的に追い込まれれば、そうなると思ってます。自分だって何かのきっかけで心の病むかもしれません。ただ、もしも辛い時に気づけてあげれたら、あるいは周りの誰かが気づくことができてたら、少し違ったのかなとは思うんですよね。だから、なるべく気がつけるようにしたいし、自分が辛くなったときには、僕は周りの人にたくさん相談しようと思うよ」

 山田さんは、ホッとしたような表情をみせた。

「その時に、私にも相談してくれますか?」

「え、もちろんです! ぜひ、相談させてください!」

 山田さんに感情の内側をさらけ出すなんて恥ずかしくてできないかもしれないが、それでも悩んだらまず山田さんに話をしようと心に決めた。

「神崎さんなら、話できると、思うから、一つ聞いてほしいことがあるんです」

 山田さんが、そう言って深呼吸をした。僕も思わず身構えた。

「実は、私、大学に通ってるって言ったんですけど⋯⋯今は、休学してるんです」

「⋯⋯そうなんだ。大学で辛いことがあったんですね」

「自分でもよく分からないんです。大学でみんながおしゃれして、サークルに入ったりして、毎日のように遊んで、でも課題はやらなくちゃいけなくて、周りの人と同じように自分も楽しみたい気持ちもあったんですけど、ちゃんと単位取らなきゃとか思ったりもして、結局、全部中途半端になって、どうしたらいいか分からなくなって気がついたら大学に行けなくなってたんです」

「そっか⋯⋯たいへんだったね」

「休学してしばらく経って、バイトは行けてたので、もう少ししたら復帰しようと思ってたんですけど、この前、神崎さんとお花見に行った時に、同じ大学の友達とすれ違って、その時、ものすごい動悸がして、ああ、まだ無理だなって思ったんです。あの時、私、変でしたよね」

 僕は、不謹慎なのかもしれないが、その話を聞いて少し安堵してしまっていた。

「そうだったですね。いや実は、あの時、僕みたいなヤツと一緒いるところを見られるのが嫌なのかなって思ってました」

 彼女は、吹き出すように笑い出した。

「そんなわけないじゃないですか」

「で、でも安心したよ」

「神崎さんって面白いですね。なんだか、元気でました」

「そ、そっか。よかったよ」

 僕も彼女の笑顔がみれて嬉しかった。何より、彼女が自分の話をしてくれたことが嬉しかった。

「山田さん、お酒飲みますか?」

「そうですね。飲みましょう!」

 僕たちは、ビールを注文して乾杯した。

「私、大学だと全然静かな人なんですよ」

「え? そうなの? すごいコミュニケーションが上手だなって、思いますよ」

「不思議と神崎さんには気を負わずしゃべれるんです」

 そう言って、彼女はにっこり笑った。

 僕は、ふと高島先輩の言葉を思い出した。


 ――大人になると表面上は何でもないように取り繕うことだけ上手くなって、内側ではすごい苦しんでたり、誰かを恨んでたり、妬んでたり、精神はいつまで経っても大人になれないんだよ。


 無邪気に可愛く笑う彼女も、悩みを抱えている。

 人は辛い時に辛い顔をするわけではなく、辛い時に笑ったりもするのだろう。

 だからこそ、彼女が辛いときに感情のままに話せるような人間でいたいし、その時には、力になりたいと本気で思った。


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