#2
あれから一週間、僕は考えていた。
どうすれば自然に、よりスマートに、山田さんをデートに誘うことができるだろうか、と。
しかし、いっこうに良いアイデアは出てこない。
いっそのこと、ストレートに「仲良くなりたいです。遊びに行きましょう」と誘ってみるか。
さすがに、いきなり過ぎて相手も困惑するにするに違いない。
ならば、もっとさりげなく、「会社の接待で、いいお店を探してまして、この辺に美味しいレストラン知りませんか」なんて聞いてみて、「教えてもらったお礼に、一緒にどうですか」なんて誘ってみるのはどうだろうか。
いくらなんでもキザ過ぎるか。
悩んでも答えが出てこないので、僕は、会社の先輩に相談をしてみることにした。
「いいね。恋愛してるんだね」
相談相手は、五つ上の高島先輩だ。高島先輩は、いつも僕をお昼に誘ってくれて、時々奢ってくれる優しい先輩だ。それに仕事も一生懸命で頼りになる人である。今日もお昼ご飯を食べながら、先輩に相談を持ちかけた。
「茶化さないでください」
「茶化してなんかないよ。なんかうらやましくてさ」
「先輩には美人な奥さんがいて、もう十分じゃないですか」
「まあ、そうだけどさ。恋愛って楽しいだろ」
「楽しいというか……。どうしたらいいか分からないですよ」
僕は、ラーメンを啜った。今日は会社の近くのラーメン屋に来ていた。
「ちなみに、先輩は最初どうやって奥さんをデートに誘ったんですか?」
「俺の場合はちょっと特殊だよ。その日パチンコで大勝してて、そしたら、奥さんが積み上げられたドル箱見て声かけてきたんだよ。『この恩は忘れませんので一箱恵んでください』ってね」
「だいぶ変わってますね」
「それから、奥さんとパチンコ屋で合うようになって、帰りにご飯行ったりして仲良くなったって感じだな」
「そこですよ」
「……どこ?」
「その、ご飯行ったりしてってのは、どういう流れでそうなるんですか?」
「いや、まあ、普通に、ご飯でも行く?って聞くだけだよ」
僕は大きくため息をついた。
「そんな、簡単に言わないで下さいよ」
「神崎。お前は考え過ぎだな。女の子だって男にご飯誘われたら嬉しいもんなんだよ。そのコンビニの子だって、この前話して、お前のことも知ってるんだろ。だったら、大丈夫だよ」
「そうですかね……。ほんとうにそうなんですかね……。ほんとうにほんとうにそうなんですかね」
「わかったわかった。お前は自信がないんだな」
高島先輩は、ギョーザをラーメンのスープにつけて食べた。
「その食べ方変ですよ」
「お前は、人の目を気にし過ぎなの」
「……そうかもしれませんね」
「自分がこうしたいと思ったら、思ったとおりにやればいいんだよ。それにあれだぞ。恋愛は基本的に早い者勝ちだからな。ぐずぐずしていると、その子、誰かに食われるぞ。いや、もしかしたら、もう——」
僕はドキッとして、その続きを言わせないように言葉を挟んだ。
「じゃ、じゃあ、あれですか。コンビニの彼女にも、ストレートにご飯行きましょうって言えばいいんですね」
「そうだよ。それしかないだろ。よし、そうと決まれば、お前も食え!」
「わかりました!ありがとうございます!高島先輩!あなたを信じます!」
僕は先輩に促されて、ギョーザをラーメンのスープにつけて頬張った。
「どうだ!うまいか!」
「おいしくありません!」
高島先輩と話をして、ようやく決心がついた。
あれこれ考えても仕方がない。
はなからいい方法なんかないのだ。
これまでの失敗を繰り返さないように、今度こそ、自分から行動を起こす。
とにかく単純に、思い切って行こう。
そう決心した日の帰り、電車の中でそわそわしていた。僕の心臓は口から飛び出してどこかへ行ってしまうのではというくらいに暴れまわっていた。
頭のなかでは何度もシュミレーションをした。
少しでも間をあけたら言えなくなってしまいそうだから、コンビニについたら、まっすぐ山田さんのもとへ行き「今度ごはんに行きましょう。連絡先を教えてください」これを伝える。
電車が最寄り駅に着き、僕は駅の売店でタカラ缶チューハイを二本買った。続けて二本一気に飲んだ。
とてもじゃないが、これからやろうとしていることはシラフでできることではない。
だからこそ、アルコール度数七パーセントのタカラ缶チューハイに頼るしかなかった。
一歩二歩と脚を進めるたびに青いコンビ二に近づいていく。
緊張感は天井知らずに高まっていった。
そして、だんだんと酔いも回ってきているのを感じた。いい感じだ。
これならいけそうな気がする。
いよいよ青いコンビニに到着した。
まずはお店の外から店内の様子をを確認する。
店内には、数名のお客さんがいて、割と混み合っていた。
レジ前には店長らしき人がいて、レジ打ちしている。
そして、山田さんを発見した。
山田さんは、お菓子類の品出しをしていた。
僕は胸の前で十字架を切った。
周りを気にしない。思い切って。
自分に暗示をかけるように言い聞かせた。
まるでこれから世界記録に挑戦する走り幅跳びの選手のように目をつむり集中して、大きく息をついた。
これは冗談や比喩なんかではなく、僕にとってはまさに世界記録を狙うような行為そのものなのだ。
僕は決心を固め、店内に入った。
自動ドアが開き、チャイムが鳴る。
何度となく聞いた音だ。しかし、今日だけまったく違う音に聞こえる。
まるで戦いの合図を告げるゴングのようだ。
「いらっしゃいませ」
店長らしき人が挨拶してくれたが、見向きもせずに、まっすぐに、山田さんのもとへ向かった。
そして品出し作業をする山田さんに声をかけた。
「山田さん」
「は、はい!」
山田さんは、驚いたようで体をびくつかせて、こちらを見た。
「あ、この前は、どうもありがとうございました」
「山田さん。お話があります」
「え、は、はい。なんでしょうか」
「あの、今度——」
僕が話しかけた時、横を通ったおばちゃんが僕と山田さんの間に手を伸ばしてポテチをとった。
「ちょっと、すいませんね」
僕は身を引いた。
「あ、すみません」
数秒沈黙した。
「お話しって」
山田さんが言った。
「そうでした。あの、えっと、今度、もしよかったら、僕とご飯に行きませんか? 問題なければ連絡先を教えてください」
僕はなかば目をつむりながら言った。
心臓は皮膚を突き破らんばかりに大きく鼓動していた。
それからじんわりと、ちゃんと言えたことへの達成感が沸き上がってきていた。今までに感じたことのない感覚だった。
「え!」
山田さんは、両手で口を覆って、目を見開いた。
「あ、あ、あ、あ、えええっと」
山田さんは動揺して言葉にならない言葉を発していた。
「今は、その……」
その時に、ブザーが鳴った。
レジが混んできたため山田さんが呼び出されたのだ。
「す、すみません!」
そう言って山田さんは小走りにレジに向かった。
僕は放心状態だった。
お麩からお出汁が染み出るように、油汗がじわっと染み出てきた。
それから我に返って、ふと見ると山田さんは忙しなくレジ打ちをしている。
さっきポテチを取っていったおばちゃんがレジに並びながら、こっちを見ていた。
僕はいたたまれなくなって、走り出した。
家まで止まらずに走った。
家に着くと冷蔵庫に直行した。中には買いだめしていた缶ビールがあった。心からビールの存在に感謝をした。それから、缶ビールを開けて一気に飲んだ。続けて二つ目も開けた。
体が異常なくらいに熱くなっていた。
息をするのがやっとだった。
これも全部、高島先輩のせいだ。今度あったら焼肉でも奢ってもらおう。
そして慰めてもらおう。あるいは、笑いものにしてもらった方がまだマシだ。
これだから、僕には恋愛はできないのだ。
どうしよう。もう青いコンビニには行けないな。
せっかく『からあげさん』が大好きになったところなのに。
僕は、自暴自棄になり缶ビールを飲み続けた。
どうしてこうも上手く行かないのだろうか。
いつも片思いだ。
もっとオシャレになればいいのだろうか。
もっとお金持ちになればいいのだろうか。
もっとマッチョになればいいのだろうか。
それとも、もう諦めた方がいいのだろうか。
酩酊状態になった僕は、ベッドに倒れ込んだ。
もうどうにでもなれという気分で眠りに落ちた。