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#1

 僕はいつも仕事帰りに家の近くの青いコンビニに寄る。

 お酒を買うにしても、ご飯を買うにしても、それほど離れていないスーパーや薬局の方が安くてお得なのだが、どうしてもコンビニに足が向いてしまう。

 理由は、恥ずかしいくらいに単純な話で、ものすごくタイプな店員さんがいるからだ。名前は山田さんという。ただ、これは名前を知っている間柄というわけではなく、名札を見て知っているだけだ。年齢はおそらく20代前半。髪型は、黒髪でショートボブ。真面目そうな雰囲気のある人だ。特別愛想が良いというわけではないが、買い物をした際には「いつもありがとうございます」とひかえめに笑いかけてくれる。品出しなんかをしている姿を見ると、テキパキと作業をしていて、手際はいい方なのだと思う。少なくとも3年はこのコンビニで働いている姿を見ているため、おそらくベテラン店員で、他の新人店員が困っている時に助けに入る姿を何度も見ている。派手ではないので目立つような感じではないが、真面目に仕事に取り組む姿や、素朴な見た目が僕の心に刺さるのだ。にっこりと笑った時に、猫のように目が細くなるのもすごくかわいいと思う。いつも小さなピアスをしていて、それがほぼ毎日違うのも、おしゃれで好印象だ。

 とにかく、僕は彼女を一目見るために毎日このコンビニに通っている。

 そして今日も、仕事帰りに青いコンビニへ向かった。

「いらっしゃいませ」

 レジに立っている男性店員が、細い声で挨拶した。

 僕は、カゴを手に取って、入って右手の雑誌コーナーを経由する形で、飲み物売り場へ向かう。もちろん、彼女がいないか店内を見渡しながら。すると、パックドリンクの品出しをする彼女の姿が見えた。

 僕は、二メートルほど後ろでお酒を選んでいるふりをしながら横目で彼女の姿を眺めた。

 我ながら、思う。僕はなんと虚しい男だろうか。

 今年で二十六歳。大学を卒業して、働き始めてから三年が経った。もう大人になったつもりだが、恋愛に関してはいつも臆病で、自分から声をかけることがどうしてもできない。

 いつだって片思いだった。

 高校の時に好きになった人は図書委員の女の子だった。

 昼休みになると、いつも廊下に出て、その子が一人で図書室に向かうのを見送るのだ。今日こそ声をかけようと毎日思いながら、何日も何日も過ぎて、そしてある日から、背の高いバレー部の部長が彼女の隣を歩いていた。

 大学の時も同じだった。同じ学科の女の子で、明るくてノリのいい子がいた。しょっちゅう一緒にお酒を飲みに行ったり、カラオケに行ったりと、遊びに行くような仲になった。いつの間にか好きになっていて、いつか告白しようと思っていたのだが、結局言えずじまいで、そうこうしているうちに、その子から、僕の友人に告白されたと告げられた。今思えば、わざわざ報告してくるなんて、僕に止めて欲しかったのかもしれないなとも思う。しかし、僕にそんなことが出来るわけはなく、「あいついいやつだよ。お似合いだよ」と、心にもないことを言ってしまった。

 そして社会人になった今でも全く変わらない。ただ、こうして好きな子が働いているコンビニに足しげく通うだけで、声をかけることもできず、離れたところから見るだけなのだ。

 僕は、いつものように缶ビールを三本と、おつまみ用に生ハムと魚肉ソーセージをカゴに入れて、レジに向かった。

 その時、自動ドアが開き、来店を知らせるチャイムがなった。

 男性店員が、相変わらず細い声で「いらっしゃいませ」と言った。

 入ってきた客は、中年の男性で酔っぱらっているのか、顔が赤くなっている。男性は店内に入るとすぐにレジの前に立った。

 僕がその後ろでレジを待っていると、彼女がすぐに気づき、小走りでこちらに向かってきて「こちらへどうぞ」と隣のレジを開けた。

 僕は心の中で酔っぱらいのおじさんに感謝した。おかげで彼女が対応してくれることになった。

 彼女の顔をまじかで見ると、胸がドキドキした。肌は白く透き通っていて、まるで絹ごし豆腐みたいに柔らかそうだった。

「お箸はお付けしますか?」

「ください。あと、『からあげさん』ください」

「いつもありがとうございます」

 たった数回の、事務的な会話。しかし、僕にとってはそれでも嬉しかった。彼女の鈴の音みたいなかわいらしい声が聞けるだけで幸せな気持ちになるのだ。

 突然、怒鳴り声が聞こえた。

「てめぇ、何やってんだよ!」

 先ほどの酔っぱらったおじさんだった。

「す、すいませんでした」

 細い声の男性が、謝りながら床に落ちた『からあげさん』を拾っていた。この状況から、おそらく男性が注文した『からあげさん』を店員が落としてしまったのだろう。

 山田さんはすぐに反応して、「すみません。失礼します」と僕に声をかけて男性店員のもとに走った。彼女も一緒に謝ったことで男性客も勢いを失って、「とりあえず、早くしてくれよ」と言った。

 彼女がすぐにあたらしい『からあげさん』を用意しようとしたその時、表情が曇った。

 僕もその理由をすぐに察した。

 『からあげさん』があと一つしかないのだ。僕も注文していたため、足りなくなってしまう。

 彼女は数秒悩んでから、男性客に声をかけた。

「申し訳ございません。あの——」

「僕のいいですよ」

 無意識に僕の口から言葉が出ていた。

 彼女がこちらを見る。

「え?」

「あの、だから、僕は大丈夫なんで、どうぞ、『からあげさん』。そちらのお客様に」

「いや、でも……」

「いいですよ。ほんとに、大丈夫なんで」

「ありがとうございます」

 彼女が深々と頭を下げた。

 男性客の対応が終わると、すぐに彼女は戻って来て、「すみませんでした」と頭を下げた。

「いやいや、全然大丈夫です」

 僕はなんだかいい気分だった。

 少しでも彼女の役に立てたような気がしたのだ。

 今日のお酒はきっとおいしいはずだ。

 山田さんも少し焦ったのか、頬がピンク色に染まっている。

「お会計、1038円です」

 僕はお金を払い、お釣りを受け取った。

 その時、彼女の手が一瞬僕の手に触れた。たったそれだけのことで、僕はドキッとしていた。また、そんな自分を恥ずかしくも思った。

「あの、すみません」

「え? はい」

 いつもであれば、お会計をしたら、明るい声で「いつもありがとうございます」そう言われて、僕は家に帰るのだが、違った展開に驚いてしまった。

「この後、少しお時間ありますか?」

 彼女はまじまじと僕を見てきた。

 彼女の目は、まるで黒い宝石の様にキラキラと光っていた。

 僕の脳内はフルスピードで回転していた。


 ——この後、少しお時間ありますか?


 彼女は確かにそう言った。

 それもあんなキラキラした目をして。

 そこにいったいどんな意味があるのか。

 いやいや、時間があるかを聞かれているんだから、僕の時間をください、そういう意味に決まっている。ということは「このあと食事でも」なんて展開になるのか……。となると、いよいよ僕と山田さんの交流が深まっていく記念すべき第一歩が今日ということになるのだろう。

 しかし、何も準備をしてきていない。さっき牛丼を食べてきてしまった。口臭は大丈夫だろうか。ブレスケアも買っておけば良かった。

 今日は仕事が結構ハードだったから少し汗をかいてしまった。それも気になる。

 そうだ、何か理由をつけて、一度家に帰って着替えてくるか。いや、それでは山田さんを待たせてしまう。どうするべきか……。


「待っていただけたら、『からあげさん』ご用意します」

 彼女の言葉に僕の妄想はストップし、現実に引き戻された。

「あ……そうですか。そうしたら……一つください」

「かしこまりました。これから調理しますので、十分前後かかります。少々お待ちください」

 彼女はそう言って、レジの奥にある調理場に向かった。

 僕は、聞こえないように小さくため息をついた。

 変に期待をしてしまった自分がアホらしい。

 自分から何もしようともしないで、都合よく誘ってもらえるなんてことがあるわけがない。

 僕は、雑誌コーナーで『からあげさん』ができるのを待ちながら、雑誌をパラパラとめくった。

 旅行雑誌を見ながら、また、僕の脳内で妄想が始まった。——彼女が僕の見ている旅行雑誌を覗き込んで、「ここ行きたかったんですよねー」なんて言って、僕も勢いで「じゃあ、今度一緒にいきますか」なんて言って、二つ返事で「いいですね!行きましょう!」なんて展開になったり——僕は頭を振って妄想を振り払った。

 馬鹿な事ばかりが頭に浮かんでくる。

「お待たせしました」

 山田さんが、『からあげさん』を袋に入れて持って来てくれた。

「あの、これは、私からのお礼です。お代金はいりません。今日はありがとうございました」

 山田さんが言った。

「そういうわけには」

「いいんです。受け取ってください。実は、さっきのお客さん。良く怒る人で、参ったなと思ってたんです。ほんとに助かりました」

「じゃ、じゃあ、遠慮なく。いただきます」

 彼女は、猫のように目を細めてにっこり笑った。

「好きなんですね。『からあげさん』。いつも買ってくださってますよね」

「……はい。好きです」

 本当は、彼女がレジをしてくれた時に少しでも会話をしたいから、注文していただけで、特別好きというわけではなかったが、今日から大好物になることは間違いなかった。

 帰り道、僕は揚げたての『からあげさん』を食べた。

 温かくて、最高に美味しかった。

 ついでに缶ビールも開けた。

 とても気分がいい。

 山田さんと少し話が出来ただけで、たったそれだけなのに、こんなに嬉しいのか。

 僕はしみじみ思った。

 それから、ある欲求がまるでシェイクしたコーラのように心の奥から噴き出してきた。

 なんとかして、もっと彼女と仲良くなりたい。


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