第4話 巡葉恵?
煉獄の門番の鮮やかな赤い瞳が、好戦的な感情を滲ませている。
「な、何だ、あの魔物っ……!」
わたしの腕の中で、遠川詩が声を震わせながら呟いた。
〈煉獄の門番やんあれ!〉
〈何で地下一階に!?〉
〈たまにあるぞ、つええ魔物が気まぐれで上層部に出てくること!〉
〈やばいやばいやばいやばいやばい〉
〈これまずいやつだろ〉
〈早く逃げて!〉
わたしは〈堅牢な守護〉を展開したまま、遠川詩の背中をそっとさする。
「……大丈夫です。わたしのユニーク・スキルを使えば、すぐ逃げられるので」
「そ、そうなのか……?」
「はい」
遠川詩へとそう頷いた瞬間――わたしの脳内に、言葉が流れ込んでくる。
【――逃げるのか?】
わたしははっと目を見開いて、それから煉獄の門番を睨んだ。
ダンジョンの奥に存在する強力な魔物は、こうして人語を扱ってテレパシーのように語り掛けてくる。
何度経験しても、不愉快な感覚だ。
【逃げたいのなら、逃げてみればいい】
【その逃げ惑う身体を、炎で燃やす感覚。肉の焦げるにおい。気味の悪い叫び声】
【――あれが、堪らないのだ】
煉獄の門番の口角が、つり上がる。
わたしの口から、言葉が滑り落ちた。
「…………黙れよ」
ダンジョン・リングに右手を添える。
「〈深淵の濁流〉」と唱える。
駆ける。
押し寄せる水の裁きに溺れる煉獄の門番へ、わたしは隠し持っていた短剣を抜くとぐさぐさと刺していく。血のように赤い肉体に流れている血は綺麗な赤さだった。煉獄の門番が悲鳴を上げる。【痛い】【やめてくれ】【何でもするから――】わたしは煉獄の門番を嘲笑した。何でもする?
「…………それなら、巡葉恵を、返して」
小さな声で乞う。煉獄の門番はもう、何も語り掛けてこなかった。真っ白な光の粒に少しずつ包まれていくから、死んだのだとわかった。消えてしまう前に、刺せるだけ、刺さなくては――
「サヤっ!」
後ろから、温かな体温に抱きしめられる。
はっとなって、わたしは振り向いた。
「すまない……もういいから。ボクを助けてくれて、本当に、ありがとう……」
遠川詩の声が、耳元で聞こえる。
少しして、彼女はわたしから腕を離した。
わたしはゆっくりと立ち上がり、自嘲するように笑う。
「ああ、クソ……眼鏡、汚しちまった」
呟きながら、煉獄の門番の血液が付着した眼鏡を取って、取り敢えず着ているシャツに掛ける。
結わいていた髪もぼさぼさになってしまった。不快感から結び直そうと思って、解いた。
ふとダンホを見ると、同接数がすごいことになっていた。チャット欄のコメントが、どんどん更新されていく。
〈よかったああああああああ〉
〈ほんとに助かってよかった〉
〈グロかったけどマジで一安心〉
〈ていうかサヤさん強すぎて草〉
〈マジでヤバすぎた〉
〈もうサヤさんが王子様だよ〉
〈百合の間に挟まった煉獄の門番が死んで安心〉
〈やっぱ百合は遠巻きに見るべきなんだよな〉
〈涙目のトワさんかわいかった〉
〈それな〉
どこか気の抜けたチャット欄に、わたしは思わずふっと笑ってしまう。
〈……ていうか、似てない?〉
ふと、そんなコメントが表示された。
〈似てるって何に?〉
〈いや、サヤさんってさ〉
〈何だっけ、あの〉
〈何年か前にいなくなった、有名なダンジョン配信者の〉
わたしは、ひゅっと息を吸う。
〈巡葉恵?〉
――時間が、止まってしまったかのように思う。
〈そうそうその人!〉
〈言われてみれば確かに〉
〈髪色も、背格好も、そのまんまだ〉
〈髪結んでたし眼鏡だったしで印象違ってて全然気付かなかった〉
〈確かにそっくりだぞ!?〉
〈さっき使ってた水魔法も、めぐめぐがよく使ってた〉
〈そういえばそうじゃん〉
〈狐面の中、こんな美人だったの!?〉
〈狐面いらなかった説〉
〈でも、巡葉恵は魔物に食われて死んだはずじゃ……〉
〈うん〉
〈アーカイブに残ってる〉
〈まさか、生きてたのか……?〉
遠川詩は、不思議そうにダンホの画面を見つめていた。
きっと、「巡葉恵」が誰なのかを知らないのだろう。
わたしは口角を歪めながら、ダンホへと微笑みかける。
「…………人違い、ですよ」
それだけ告げて、ダンホの配信終了ボタンを押した。
わたしは遠川詩と目を合わせた。彼女は心配そうに、わたしのことを見つめている。
「……帰りましょうか」
わたしの言葉に、遠川詩はこくりと頷いた。
それから何も言わずに、わたしの右手に左手を重ね合わせてくる。きっと優しさ故の行動だろうから、振り解くのは気が引けてそのまま手を繋いで歩いた。