第2話 初配信
――この世界には、数多のダンジョンが存在する。
ダンジョンには稀少な資源や未知の生態系が眠っていて、そうしたものを求めて冒険する人々は「ダンジョン探索者」と呼ばれた。
そして、文明の発展を契機に、ダンジョン内部を配信するという娯楽が現れる。
「ダンジョン配信者」の登場に、当初は疑問の声も上がったものの、停滞していた経済が彼らによって活気を取り戻したことで、やがて政府公認の存在となった。
勿論、全ての人間がダンジョンに入れる訳ではない。
一定の要件を満たした者に「ダンジョン・リング」が贈られ、それが通行証代わりとなる――
*
「……遠川さんは」
「ん?」
高校から最も近い場所にあるダンジョンを目指して、わたしと遠川詩は橋の上を歩いていた。
段々と傾いてきた陽の光が、川に反射してきらきらと光り輝いている。
「ダンジョン・リング。勿論持ってますよね?」
「ああ、勿論さ。ダンジョンに入るのには不可欠だろう? ……って、待ってくれ、佐山さんは持っているのか!? 肝心なことを聞き忘れていた……!」
あたふたとする遠川詩を、わたしは思わず鼻で笑ってしまう。かなり重要な部類の、誘う前に聞いておくべきことだと思うが。「王子様」とかいう大層なあだ名が付いているけれど、もしかしたらこいつは天然なのではないだろうか。
それに気付いて、胸がずきりと痛んだ。
思考を振り払いながら、口を開く。
「持ってますよ。ほら」
わたしは羽織っているパーカーのポケットから小さな箱を取り出し(ちなみにうちの高校には制服がない)、そこに仕舞ってあるダンジョン・リングを遠川詩へと見せる。
「そうか、よかった……安心した」
「……ちなみに、遠川さんは、ダンジョンに潜った経験はどれくらいあるんですか?」
理想は上級者、せめて中級者であってくれと思いながら尋ねる。
そうすると、遠川詩はわたしへと例のパーフェクトスマイルを向けてきた。
「――今回が、初めてだ」
わたしは思わず、遠川詩を橋の下に広がる川に投げ捨てたくなった。
「は、はあああああ!? もしかしなくてもあんた、初めてのダンジョン探索でカップル配信やろうとしてるんですか!?」
「ああ、そうだ。ふふ……緊張するな」
「『ふふ……緊張するな』じゃねえわ! いいですか心して聞きなさい、あんたはダンジョンというものを舐め腐ってます。たとえ地下一階のような上層部でも、安心安全って訳じゃないんですよ? 怪我する危険だって、最悪の場合……命を落とす危険だって、あるんですよ」
不覚にも、最後の方の言葉が震えてしまう。
遠川詩はぱちぱちと瞬きしてから、口を開いた。
「……佐山さんは」
「何ですか」
「ダンジョンに潜った経験、あるのか?」
「……ありますよ。数え切れないくらい」
わたしの返答に、遠川詩は優しく微笑んだ。
「よかった。佐山さんが今回の配信で痛い思いをしてしまったら、嫌だからね」
何で自分自身じゃなくてわたしへの気遣いなんだよ、と心の中で叫ぶ。
口にしなかったのは、遠川詩が余りにも優しい顔をしていたからだ。何だか、憚られてしまった。
「あっ」
遠川詩が遠くの方を指さすから、わたしはその方向へ視線を動かした。
見ればそこには、目的地のダンジョンがある。
「もうすぐだね。楽しみだよ」
にこやかな遠川詩に、わたしは最初から断っておけばよかったかもしれないと目を伏せた。
*
雫猫市にあるから、ここは雫猫ダンジョンと名付けられている。
全部で十階層までしかない、比較的小さなダンジョンだ。とはいえ、最下層である地下十階まで潜れば、とんでもない強さの魔物が跋扈する危険地帯となる。
雫猫ダンジョンの入り口手前で、遠川詩は配信の準備をしていた。
「……貧乏だって言ってましたが、ダンホは持ってるんですね」
ダンジョン・スマートフォン――「ダンホ」と省略されるそれは、形状は普通のスマホと似ているが、勝手にダンジョン配信者の周りを飛び回ってくれ、インターネットに接続し、内蔵カメラと内蔵マイクによって質の高い配信を行ってくれる優れものだ。
その分、値も張るはずだが……そんなわたしの疑問に答えるかのように、遠川詩がダンホから顔を上げる。
「いとこからの貰い物なんだ。いとこの家は裕福だから、いとこが貯めていたお小遣いでダンホが買えたみたいでさ。でも、いとこの親はダンジョンなんて絶対に行くなっていう考えで、バレて叱られたみたいで。行き場のなくなったダンホを、こっそりボクが貰えた」
「ああ、なるほど……というか、裕福な親戚がいるなら、妹さんの学費も少し手伝ってもらえばいいじゃないですか」
「ふふ、流石に申し訳ないよ。それに、うちの家族の問題は、うちで解決したいんだ」
ダンホへと指を滑らせながら、遠川詩はそっと微笑う。
「ところで、ボクたちの配信者としての名前だが、佐山和歌と遠川詩の下の名前を取って、『ワカ』と『ウタ』でどうだろうか?」
「いい訳ねえでしょうが! ダンジョンリテラシーはおろかネットリテラシーもないんですか!? 危ねえって!」
「そうか? 別にいいと思うんだが……」
「せめて本名そのままはやめてください。もじるくらいならいいですけど……例えば苗字から取って、『サヤ』と『トワ』にするとか」
佐山だから、サヤ。
遠川だから、トワ。
安直な気もしたけれど、まあ本名そのまんまよりはだいぶマシだろう。
「なるほど……いいな、それ! そうしよう!」
遠川詩が楽しそうに鼻歌をうたい始める。こいつはお気楽そうでいいな、と心の中で呟いた。
*
ダンジョン・リングを管理人に見せ、ダンジョンの内部へと踏み入れたわたしと遠川詩は、早速配信を始めた。ちなみにグループ名は『らぶらぶ♡ サヤトワカップル♡』である。提案されたときは余りのダサさに思わず鼻で笑ってしまったが、逆にダサすぎて目を引く気がしたので採用した。確実にわたしの黒歴史となりそうだが、妹さんの学費のためなら致し方ない。
画面の左上に表示されている同接数が、ちょっとずつ増えていく。ダンジョン配信は数ある配信動画の中でもトップを誇る人気ジャンルなので、新参者の配信にも少しではあるが人が集まってくれる。
ぽん、ぽんと音を立ててリスナーからのコメントが表示されていく。
〈新しいカップル配信者!?〉
〈しかも百合!?〉
〈どっちも美人だ……〉
〈ポニテ女子も眼鏡女子もいいよね〉
〈それな〉
わたしは視線で、遠川詩に(あんたから自己紹介しなさいよ)と促した。
「こ、こここここ、こんにちはっ! ボ、ボクの名前は、とお……じゃなくて、トワだ! よ、よよよよよ、よろしく頼む!」
こいつ本名言いかけたな?
わたしは遠川詩にジト目を向けながら、「……どんだけ緊張してるんですか」と言う。
〈ボクっ娘とか俺得すぎる〉
〈トワさんって言うのか〉
〈緊張してて草〉
〈眼鏡っ娘からの冷めたツッコみ助かる〉
〈グループ名を見るに、眼鏡の方がサヤさん?〉
「……あ、はい。わたしが、サヤです」
〈名推理〉
〈サヤさんのダウナーな感じよき〉
〈「サヤトワカップル」ってことは、サヤさんが攻め……!?〉
〈トワさんかっこいい系っぽいのに受けなんだ〉
〈これはいい百合〉
攻めとか受けが何を示すのかはよくわからないが、深掘りしない方がいいような気がした。
わたしは再び視線で、(あんたがいい感じに進行しなさいよ)と遠川詩に伝える。
「ふっ、そ、そうなのさ。サヤは人の目があるにも関わらず、至るところでキスしてくるから困りも……いたぁいっ!」
あ、いけないいけない、つい拳が出てしまった。
〈至るところでキスを……!?〉
〈もっと詳しく聞かせろください〉
〈殴られてて草〉
〈サヤさん照れ屋なんだろうな〉
〈俺も殴られたい〉
〈おい、百合に挟まるな。◯すぞ〉
好き勝手書かれているチャット欄に冷ややかな視線を送りながら、わたしは口を開く。
「トワ。今回の配信で何をするか、説明したらどうですか?」
わたしがそう促すと、遠川詩は「そ、そうだな」と頷いた。
というのも、遠川詩には今回の配信でやりたいことがあるらしいのだ。聞いてみたら「お楽しみだ」とウインクされてしまったので、わたしも今初めて聞くこととなる。
「今回の初配信では――ボクが魔物を一体倒すごとに一回、サヤからほっぺたにチューをしてもらおうと思う! ……いたぁっ!」
そういう企画なら先に言えぇッッッッッッッッッ!