第1話 カップル配信の誘い
――ダンジョン配信なんて文化、廃れちまえばいいのになと思っている。
わたしは放課後の教室でひとり、「巡葉恵」のダンジョン配信アーカイブをスマホで眺めていた。静かな森を想わせるグリーンの長髪と、素顔を隠すように付けられた狐型のお面が印象的なダンジョン配信者だ。
『こん! それでは今日も、配信始めていきますね〜』
巡葉恵の透き通った声がイヤホンから聞こえる。それと同時に、リスナーからのコメントも続々と表示されていく。
〈めぐめぐ、こん!〉
〈こん〜〉
〈こん!〉
めぐめぐというのは巡葉恵の愛称で、こんというのは「こんにちは」と「狐」という二つの要素の重ね合わせで定着した挨拶だ。
『そういえばわたし、リスナーの皆さんにお聞きしたいことがあったんです〜。わたしね、最近、お料理がマイブームなんですよ!』
他愛もない雑談をしながら、巡葉恵はいとも容易く合間に魔法を紡ぎ、画面に映る魔物を薙ぎ払っていく。
彼女が歩いているのは、決して攻略が容易な雨龍ダンジョンの上層部ではなく、危険な中層部をさらに進んだ先にある下層部だ。その分出てくる魔物も強力で、一人前の探索者であっても死と隣り合わせの戦いになる。
だからこそ――巡葉恵の異様さは、際立つ。
〈相変わらずめぐめぐヤバすぎるwww〉
〈魔物何が起きてるか理解してないだろ〉
〈お料理ブームなめぐめぐかわいい〉
〈オムライスつくってほしい〉
〈わかる〉
湧き立つコメントをリアルタイムでチェックしながら、巡葉恵は『オムライス! 美味しいですよね〜、ふふっ』と反応する。それも、新たな魔物を倒しながらだ。
『それで、美味しい目玉焼きをつくれるようになりたいなあって思うんですけれど、気が付くとスクランブルエッグができてるんですよね〜……とっても、摩訶不思議で……』
〈めぐめぐ卵といてて草〉
〈卵を割ったらそのまま焼いてください!〉
〈まあダンジョンでも魔物をスクランブルエッグにしてるようなもんだし……〉
〈画面外まで吹き飛ばしてくれるのがめぐめぐの優しさ〉
〈グロへの配慮助かる〉
『卵をとかずに、そのまま焼く……はっ、その手がありましたか! さては、天才ですね!?』
〈天才認定ゆるすぎるwww〉
〈それだと世の中の大半の人が天才になっちまうよ〉
〈というか天才なのはめぐめぐだろ〉
〈天才なのに天然……それがいい〉
〈めぐめぐかわいい〉
巡葉恵は照れたように、狐面の奥にある頬を掻く。
それは、巡葉恵の癖だった。
わたしの喉が、勝手に、彼女のことを呼ぼうとしたときだった。
「――佐山さん」
驚いて、わたしは慌ててイヤホンを自分の耳から引っこ抜くと、座ったまま振り返る。
そこに立っていたのは、クラスメイトの遠川詩だった。
ただのクラスメイトだ。友達でも何でもない存在。
百七十センチメートル以上は余裕でありそうな高身長で、すらりとしている。紺色の長髪をポニーテールにしていて、顔立ちはダンジョン配信者なんて余裕でできそうな整いっぷりだ。
そしてそれだけではなく、イケボで性格もイケメン。わたしたちがこの女子高に入学してまだ一ヶ月も経っていないというのに、遠川詩には「王子様」というあだ名が付けられ、クラスの人気者になっていた。
教室の隅っこでいつもスマホを操作している陰キャなわたしとは正反対の陽キャだ。正直に言うと関わりたくない。
でも、無視するのも何だか悪いので、わたしは言葉を返した。
「そうですけど……何ですか?」
「急に声をかけてごめん。今、少し時間いいか?」
「いいですけど……」
「ありがとう」
遠川詩が笑顔を浮かべる。多分こいつのファンはイチコロであろう、パーフェクトスマイルだ。別にわたしには刺さらない。
「単刀直入に言おう。実は――ボクと、カップルダンジョン配信者になってほしいんだ」
カップルダンジョン配信者……
…………!?
わたしは眉根を寄せながら、早口で捲し立てた。
「え、あんた意味わかって言ってます? 二人組のダンジョン配信者は『コンビダンジョン配信者』って呼ばれてて、『カップルダンジョン配信者』だと要はあの危険なダンジョン内でイチャイチャを配信するとかいうクソやべえコンセプトのダンジョン配信者たちを指すことになっちゃいますよ?」
「…………? 勿論わかっているよ?」
首を傾げる遠山詩。
わたしは頭がくらっとするのを感じながら、額に手を当てつつ「あのねえ」と言った。
「どう考えても誘う相手を間違えてますよ? まずあんたとわたしはカップルでも何でもないし、そしてあんたとわたしが仮にカップル(笑)になったとしたらイケてるあんたとイケてないわたしの間のカップル(笑)格差エグいし、加えてあんたモテるんだからもっとあんたに好意的な人間に頼みなさいよ」
「一つ一つ答えていこうか。まず、ボクと君はビジネスカップルということで構わない。そして、格差だなんてとんでもない、佐山さんはとてもお綺麗だ。加えて、ボクは人の好意を利用するようなことはしたくない」
色々とツッコみたいところはあるが、一番は。
「わたしが、お綺麗……!? 目が腐ってるのでは?」
「何を言っているんだ。確かに、分厚い眼鏡に隠されていてわかりにくいが……佐山さんは、すごい美人じゃないか」
「待ってください鳥肌すごいんですが」
「そんな君とボクがカップルダンジョン配信者になれば、同接数も伸び、一躍人気者になれるに違いない。どうか……お願いだ」
深く頭を下げる遠川詩に、わたしは首を横に振ってから、机のフックに掛けていたスクールバッグを持って立ち上がる。
「申し訳ないですが、お断りします。……わたし、ダンジョン配信とか、嫌いなんですよ」
自分の声が、随分と冷たく響いたのがわかった。
「そこを何とか」
「嫌です。大体、何でカップルダンジョン配信者なんて悪趣味なことやりたがるんですか?」
「……お金に、困っているからだ」
「お金ぇ?」
怪訝な顔をしたわたしに、遠川詩は寂しそうな眼差しをしながら告げる。
「……実は、うち、貧乏で。でも、妹が私立の高校に行きたいみたいで……だから、妹の学費を、ボクが稼ぎたいんだ」
……帰ろうとしていた足が、ぴたりと止まってしまう。
わたしは思わず、遠川詩を睨んだ。
卑怯だと思った。そんな優しい意味を提示してくるなんて。
――そんなの、まるで……
睨んだまま、口から勝手に、言葉が零れ落ちてしまう。
「……一回きりですよ」
遠川詩は目を見張って、それから表情をぱあっと明るくする。
さっきのつくりものみたいなパーフェクトスマイルよりも、その方がましだと思った。