特使20 ユエ執務官
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こちらは「婚約破棄?その言葉ずっと待ってました!〜婚約破棄された令嬢と氷の公爵様〜」の続編的な位置付けです。もちろんそのままでもお楽しみ頂けます。
設定や人物像については、前作をご覧頂けるとより楽しめるかと思います。
部屋中がむせかえる様な香りで、私は息苦しさを感じた。
気分が悪い。
しかしながら、香のせいだけではないだろう。
私がこれからすることはただの自己満足だ。
だから、こんなにも気分が悪いのだろうか?
「ユエ執務官のお名前は『ユエリャン』の略称でしょうか?我が国で言う『月』のことだと、昭国の本で学びました」
私は窓際に移動して、バルコニーに繋がる鍵を開ける。
「綺麗な響きですね。
ああ、今宵は満月のようです」
私は月を見る振りをして、バルコニーに出る扉を開け放つ。
外の新鮮な空気を吸い、少し呼吸が楽になった。
「名前をお褒め頂き、ありがとうございマス。アレクさんは良く勉強していらっシャル」
「かつて昭国で幼くして廃嫡された王子殿下と同じ名前ですね?」
「……」
クローディア公爵閣下に調べて頂いた資料には、廃嫡された王子の名前と当時の年齢しか書いていなかった。
もしその王子が生きていれば、ユエ執務官くらいの年齢になっているはず。
「……」
ユエ執務官は答えない。
短い沈黙が続いた後、ユエ執務官の纏う雰囲気が変わる。刺々と重苦しく。
「……何が言いたいのデスカ?」
「ヤン殿下の正式なお名前は『タイヤン』様、昭国では由緒ある伝統のお名前だそうですね。
それに対になるのが『ユエリャン』様。
貴方はヤン殿下の異母兄でいらっしゃるのでは?」
私は微笑みを崩さない。
隙を見せたら付け込まれる、彼はそういう相手だ。
「何の事でショウカ?」
「ヤン殿下はご存知なのですか?」
「何を言っているのか分かりかねマス」
ユエ執務官の細い目の奥に、剣呑な光がともる。
「ヤン殿下が生まれる前に廃嫡されたからご存知ないのでしょうか?
廃嫡された幼い貴方を助けたのは、ヤン殿下の母君ですね?」
「憶測で話されるのは控えられた方が良いデスヨ」
いつものユエ執務官とは違い、余裕がない様子だった。
この感触をもって、私は言葉を続けることを決める。
「貴方がヤン殿下を見守る姿はまるで月のようです。殿下と一定の距離を保ち、居場所を住み分け、殿下に見えないところから彼を守る。
それは『太陽』と『月』の関係と同じ。
貴方は分かっているはずです。
ヤン殿下が輝かないと、自分も救われないことに」
「アレクさんが何を言っているのかわかりマセン」
「今回をもって、ヤン殿下の命を狙う者は一掃されるはず。
そろそろ兄として、殿下をお支えする時期では?」
「貴方に何がわかるのというのデスカ⁈」
初めて彼の感情に触れたと思う。
隠していても、隠しきれない、
触れられたくない一線。
そこに私はあえて触れる。
「確かに私には何も分かりません。
出過ぎた事を申し上げている自覚もあります。
しかしヤン殿下が一国の主として立たれるのならば、殿下がわざと甘えて貴方を繋ぎ止めようとする行為は卒業するべきと考えます」
「殿下が私を繋ぎ止メル?」
ユエ執務官は心外そうな顔だ。
彼もまた、ヤン殿下の母君が亡くなってから目を背けていたのだろうか?
殿下が本当に求める存在が分かっているから。
「私が外部の者だから見えることもあります」
「貴方には何が見エルト?」
「ヤン殿下が本来の姿になれば、聡明な王になるでしょう。
殿下に必要なのは執務官よりも精神的に近い位置で、彼を支える者の存在です」
「それが私ダト?」
「殿下は全てを受け止める度量をお持ちです」
沈黙。
私の言葉は彼に届いたようだ。
だからこその、沈黙。
そして彼はどう受け止めるのか?
「もし貴方の言う事が正しいとしたら、尚更貴方に殿下の側に居てもらわなケレバ」
ユエ執務官がゆっくりと近付いてくる。
ああ、言葉は届いても、当初の目的は変えないか。
ユエ執務官としては今後の昭国のために、我が国との確かな繋がりがほしかった。
ヤン殿下の即位の後ろ盾が。
だから王宮内で何者かと接触した。
そこで私の情報を得た。
「無駄デスヨ。
貴方はもうすぐ動けなくなりマス」
私はゆっくりと後ろに下がるが、バルコニーの手摺に阻まれる。
チラリと下を見る。ここは2階だった。
「身体の自由を奪う香でも焚かれていましたか?」
私は部屋に充満していた香を指摘する。
昭国は香の文化が進んでいて、身体に影響を与える成分の含まれる香もあるようだ。
「ふ……鋭いデスネ。その通りデス。
だからアレクさんはバルコニーへ出たのでショウ?
しかし本命は、この部屋に入った者の精神の自由を奪う術デス。
なに、しばらく眠るだけのものデスヨ」
あくまで逃がさない気か。
私を無理に昭国に連れていっても、大して価値があるとは思えないが。
繋がりが欲しいだけなら妃でなくても、いくらでもあるだろうに。
「そうでしたか。ユエ執務官は隙がないですね。
今回は私の負けです」
バルコニーがあってこれ以上下がれない私は、両手を上げて軽く息を吐いた。
相手の思惑を、これ以上考えることはやめた。
「相手が貴方でなければ、ここまでしまセン。
ヤン殿下には貴方が必要デス」
ユエ執務官は安心したのか、歩みを緩める。
「いいえ、ヤン殿下に必要なのはユエ執務官です。
それに私には好きな人がおりますので」
「貴方には申し訳ないと思っていマス」
「いいえ、ユエ執務官。
申し訳ないと思う必要はありません。
私は貴方に負けましたが、彼はこの状況も読んでおりましたので」
私はバルコニーの手摺りに腰掛ける。
私の名を呼ぶ、聞き慣れた声が聞こえた。
「何ヲ⁈」
私の動きが予想外だったか、ユエ執務官が一瞬怯む。
「だから私も本気で逃げようと思います」
私は微笑んで、背を傾ける。
バルコニーから外に身体が投げ出される。
ふわりとした浮遊感が私を包んだ。
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