77.連行
―― 地上 本部教会 ――
~ ロフィ視点 ~
俺は本部教会の高楼、その最上階にあるドルト様の執務室に立っていた。重厚な扉の向こうには、磨き上げられた白い大理石の床と、天井まで届くステンドグラス。柔らかな光が差し込み、室内を神聖な色彩で満たしている。つい数日前まで、血と煙と怒号に包まれていた貧民街とは、まるで別世界だ。
「……以上が、貧民街での一連の件の報告です」
俺は一礼し、顔を上げた。ドルト様は深く椅子に腰掛け、穏やかな目でこちらを見つめている。その視線は相変わらず優しく、そして鋭い。
「よくやってくれた、ロフィ」
その一言で、胸の奥に溜まっていた緊張がわずかにほどけた。
「大貴族の粛清、黒骸の壊滅。治安の回復。……貧民街はもはや“貧民街”と呼ぶには相応しくないほど改善されたと報告を受けている」
「はい。巡回を強化し、炊き出しと職の斡旋を進めています。灰狼団も表向きは解散し、再編した自警組織として動いています」
「ふふ、そこまで整えたか」
ドルト様は小さく笑った。
「完璧だな。貧民街の民はお前を救世主のように語っているぞ」
「誇張です。私は少し背中を押しただけですよ。皆、自分で立ち上がった」
「謙遜するな。お前がいなければ、今もあの地は黒骸に蝕まれていただろう」
隣でリーナが胸を張る。
「そうだよ! ロフィは寝る間も惜しんで働いてましたから! ちょっとは自分を褒めてもいいよ!」
「お前が寝ろと何度も言ったんだがな?」
「ロフィが無茶するからでしょう!」
ドルト様が微笑みを深める。
「良い部下を持ったな、ロフィ」
「……はい。自慢の副官です」
リーナが一瞬だけ照れた顔をして、すぐに咳払いで誤魔化した。穏やかな空気が流れる。これで一区切りだ。そう思った、その時だった。
控えめだが、迷いのないノック。執務室の空気が変わった。ドルト様の表情がわずかに引き締まる。
「……どうぞ」
扉が静かに開く。現れたのは、純白の法衣に金の刺繍を施した男だった。年の頃は四十代半ば。整った顔立ちに、氷のように冷たい瞳。その胸元には、上級聖職者の中でも最高位を示す紋章が輝いている。
教会の中枢を握る、実質的な最高権力者の一人であるアイク。俺は一瞬で姿勢を正した。リーナも同時に頭を下げる。
「初めまして、ロフィと申します」
「副官のリーナです」
アイクはゆっくりと室内を見渡し、最後に私へ視線を固定した。
「……貴様がロフィか」
その声には感情がない。評価も、賞賛も、敵意も見えない。ただ、測るような冷たさ。
「はい」
「貧民街の件、ご苦労だった」
口では労いの言葉を述べているが、声音は硬い。俺は違和感を覚えた。ドルト様が口を開く。
「アイク殿、突然どうされたのですか?」
アイクは一歩前に出た。
「ロフィを連行する」
空気が凍った。リーナが息を呑む音が聞こえる。
「裁判にかける。即時、身柄を拘束する」
俺は瞬きを一つしてから、冷静に問い返す。
「理由を伺っても?」
アイクの視線が鋭くなる。
「貧民街において、犯罪組織【灰狼団】と共闘した。これは事実だな?」
「……はい。黒骸殲滅のため、一時的に協力関係を結びました」
「犯罪組織と手を組むことは、教会法第三章に明確に違反している」
リーナが一歩踏み出す。
「ですが、それは黒骸壊滅という緊急事態への対応で」
「言い訳は裁判で聞こう」
冷たく遮られた。俺はリーナの腕にそっと触れ、制して止めた。アイクは続ける。
「教会は秩序だ。法の上に立つ存在ではない。例外を認めれば、組織は腐る」
「黒骸は大貴族と結託し、街を支配していました。通常の手続きでは被害が拡大していたでしょう」
「だからといって犯罪者を利用してよい理由にはならん」
俺はアイクの目を見つめた。そこには揺らぎがない。だが、何か別の意図が隠れているようにも感じる。
「ドルト様は、この件をご存じでした」
俺が言うと、アイクの視線がわずかに動いた。ドルト様は静かに答える。
「報告は受けている。私の判断で黙認した」
「……ならば、ドルト殿にも事情聴取が必要だな」
アイクの声に、わずかな圧が混じった。アイクの言葉で俺は悟る。これは単なる法の問題ではない、権力の衝突。教会内部の力の均衡。俺の行動が、どこかの利権を揺らしたのだろう。
リーナが小声で囁く。
「ロフィ……どうするの?」
「どうもこうもない」
「裁判なら受けましょう。隠すことはない」
アイクがわずかに眉を上げた。
「抵抗はしないか」
「する理由がありません。私は教会のために動いた」
その言葉に嘘はない。たとえ手段が危うくとも。アイクは背後の聖騎士たちに視線を送る。
「連れていけ」
アイクの後ろにいた人物の鎧の音が響く。リーナが私の前に立とうとする。
「待ってください! ロフィは」
「リーナ」
俺は彼女の肩に手を置く。
「心配するな。すぐ戻る」
「でも……!」
「大丈夫だ。私は間違ったことはしていない」
教会は光の組織だ。だが光が強ければ、影もまた濃くなる。アイクの冷たい視線が背中に刺さる。
「裁判で真実を明らかにしてもらおう、ロフィ」
「望むところです」
俺は聖騎士に挟まれながら歩き出す。扉が開き、外の廊下の白光が差し込む。振り返ると、ドルト様は静かにこちらを見つめていた。その目に、わずかな憂いと信頼。
リーナは唇を噛みしめている。俺はうれしくなり小さく笑った。貧民街の戦争より、厄介な戦いが始まりそうだ。教会の中枢での裁判。これは俺一人の問題ではない。だが逃げはしない。




