50.祝勝会
―― 地上 王城のパーティー会場 ――
レオンの治療が完全に終わった頃、国は、静かな狂騒に包まれていた。
街に降りれば、どこもかしこもその名で溢れている。酒場では吟遊詩人が即興の英雄譚を歌い、広場では子供たちが木剣を振り回し「レオンごっこ」に興じていた。平民たちは、己と同じ出自の者がここまで辿り着いたことに、心の底から酔っている。
ゼロマから、スカマ。スカマからレズマ。そしてオーブマへ。
彼らにとって、それは単なる昇格ではない。夢が現実になった証明だ。だが当然、光があれば影もある。王都の奥、重厚な石壁に囲まれた貴族街では、別の会話が交わされていた。称賛ではない。祝福でもない。
「さて、どう使う?」
「平民の英雄、か……扱いを誤れば厄介だぞ」
「だが外国への牽制には最適だ」
彼らの目に映るレオンは、人ではない。国益の駒だ。
「……相変わらずだな、人間というものは」
私の呟きに、隣を歩くリフコがくすりと笑う。
「それでも今回は、少しは健全ではありませんか?平民が希望を持ち、貴族が計算を巡らせ、国が未来を誇示する」
「健全、ね」
俺は肩をすくめた。
貴族の一部は、祝杯の裏で算段を弾いていた。英雄とは、剣であり、旗であり、時に駒だ。それらすべてを承知したうえで、国王は式を開くことを決めた。
戦争の勝利。レオンという英雄の顕彰。そして、オーブマ誕生の予告。内外へ向けた、最大級のアピールだ。
場所は、王都中央宮殿。天井の高い大広間は、各国の使節と貴族、聖職者で埋め尽くされていた。外国に見せつけるための、国家的演出だ。だからこそ、国王自らが主催する。だからこそ、私は“神として”招かれた。
正直に言えば、興味はない。国と深く関わる気もない。私はこの世界の管理者であって、政治の一部ではないからだ。それでも来た理由は、ひとつだけ。
「……一言、言わねばならん」
「ふふ。師匠の顔ですね」
リフコはそう言って、俺の腕にそっと自分の腕を絡めた。会場は、王城最大の大広間。天井から吊るされた無数の灯が、夜空の星のように輝き、各国の使節、将軍、重鎮、筆頭貴族たちがずらりと並ぶ。
ざわめきは、俺たちが姿を現した瞬間に凍りついた。神である俺と、女神のリフコ。それも、エスコートという形で並び立つ存在。
「……神様、だ」
「本当に降臨なされたのか……」
誰かが息を呑み、次の瞬間、まるで波のように、全員が跪いた。音が消える。豪奢な広間に、衣擦れの音すら響かない。
「楽にしろ」
俺が短く言うと、恐る恐る顔が上がる。その中に、見覚えのある顔があった。レオンだ。正装に身を包み、胸には勲章。だがその立ち姿は、飾り立てられた英雄というより、場違いなほど静かな剣士だった。
民衆の熱狂も、貴族の打算も、この男の中ではまだ整理がついていない。国王が進み出て、深々と頭を下げる。
「神様。本日は、我が国の勝利と、英雄レオンの新たな門出を祝う場にお越しいただき、感謝いたします」
「形式的な挨拶は不要だ。今日は祝宴なのだろう?」
「……はっ」
俺は女神を伴い、ゆっくりと歩を進める。人々が自然と道を空ける中、俺はレオンの前で足を止めた。視線が、交わる。彼の目に浮かぶのは、畏怖でも驕りでもない。戸惑いと、覚悟だ。
俺は周囲の視線を気にすることなく、静かに口を開いた。
「レオン」
「……はい」
「ゼロマから、ここまで来たな」
それだけで、彼の喉が小さく鳴る。
「だが勘違いするな。オーブマとは、祝われる立場ではない。試され続ける立場だ」
会場の誰もが、息を潜めて聞いている。
「民はお前に夢を見る。貴族はお前を利用しようとする。国はお前を掲げ、敵はお前を狙う。それでも剣を握れるか?」
レオンは、ほんの一瞬だけ目を伏せ、そして真っ直ぐに私を見た。
「……はい」
「ならばいい」
それ以上、言うことはない。祝福も、称賛も、神として与える言葉ではない。
俺は踵を返し、リフコと共に歩き出しパーティー会場を後にする。背後で、ようやく音が戻った。喝采、音楽、祝宴の始まり。
「これで満足ですか?」
「ああ。十分だ」
~ レオン視点 ~
神様である御方が会場を去った後も、広間の熱は冷めなかった。むしろ、あの存在が去ったことで、張りつめていた空気が一気にほどけた気がする。
「レオン! お前、完全に主役だな!」
声をかけてきたのはカイルだった。杯を片手に、いつもの豪快な笑顔を浮かべている。
「やめてくれ……さっきから視線が痛いんだ」
実際、周囲からの視線は刺さるようだった。称賛、好奇心、計算。いろいろ混ざっているのが、はっきり分かる。
「でもよ、あの神様……すげぇよな。威圧感が半端じゃなかった。俺、戦場より緊張したぞ」
「……うん」
僕は、グラスを持つ手を見つめながら答えた。
「不思議なんだ。確かに神様なんだけど……どこか、師匠みたいだった」
カイルが目を丸くした。
「師匠?」
「威圧してくるのに、突き放さない。見てるだけなのに、背中を押される感じがしてさ」
「じゃあ、相当いい師匠だな。普通の神様は、そんな面倒なことしねぇ」
その会話を聞いていたかのようなタイミングで、重厚な足音が近づいてきた。
「レオン」
騎士団長だった。白髪混じりの厳格な顔に、今日は珍しく柔らかい笑みがある。
「よくやった。戦場でも、国の内でも、お前は剣を抜くべき時と、抜かぬ時を選んだ」
「……恐縮です」
「その判断力こそ、騎士団に必要だ。これからも期待している。」
騎士団長は俺の肩を軽く叩き、去っていった。続いて、国王陛下。重鎮たちを連れて、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「レオン」
「陛下……!」
「堅くなるな。今日は祝宴だ」
国王は、穏やかな声で言った。
「お前の存在は、国に希望をもたらした。平民にも、貴族にもだ」
後半に、わずかな含みを感じたが、それを責める気にはなれなかった。
「これから先、重荷も増えるだろう。だが、孤独ではない。この国は、お前を支える」
その言葉に、胸が熱くなる。
「ありがとうございます」
重鎮たちも、それぞれ祝いの言葉を述べて去っていった。気づけば、僕は何度頭を下げたか分からない。
「……疲れた顔してるぞ、英雄様。まだ始まったばかりだ」
「これ以上、何があるんだ……」
そう思った、その時だった。
「レオン様」
鈴の鳴るような声。振り向くと、そこにいたのは、見事なドレスに身を包んだ、貴族の令嬢だった。淡い色の髪。計算された微笑。
「本日は、まことにおめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
距離が、近い。
「平民出身でありながら、ここまで登り詰められるとは……まさに、運命に選ばれた方。もしよろしければ、今度――」
言葉を続けようとする彼女の背後から、別の令嬢が現れる。
「レオン様、こちらでもお話を――」
……あれ?さらに、もう一人近くにいた。気づけば、包囲されていた。
「え、えっと……?」
助けを求めてカイルを見ると、あいつは完全に楽しんでいる顔だった。
「モテ期だなぁ、レオン」
「お前、助けろ!」
「無理無理。これは戦争より厄介だ」
僕の耳元で、カイルが囁く。
「いいか、まず落ち着け。愛想を良くして、優しく接しろ。そして、誰か一人を特別扱いするな」
「経験ないからできる気がしない……!」
「大丈夫だお前は英雄だ。今はそれでいい」
令嬢たちの視線が、期待に満ちて輝いている。
(……戦場より難しい。)
心の中でそう呟きながら、必死に笑顔を作った。試練は、終わったはずなのに。




