46.レオン VS 魔獣
―― 地上 都市郊外 ――
国の混乱がようやく沈静化した、その翌日だった。俺は空中都市を離れ、地上の都市郊外のなだらかな平原に降り立っていた。雲一つない空の下、草原を切り取るように、人と天使が集っている。
中心に立つのは、天使。純白の翼を背に、静かに地面へ杖を突き立てていた。
その周囲には、国の重鎮たち。王族、将軍、枢機卿。そして少し離れた場所に、レオンとカイルの姿がある。レオンは呼ばれた理由を知らない。だが、直感しているはずだ。ここが、終点だと。
「では、始めます」
天使の声が、草原全体に響いた。次の瞬間、世界が“閉じた”。光の柱が四方に立ち上がり、円環を描く。空間そのものが折り重なり、厚みを持つ。
「結界……」
誰かが息を呑む。それは防壁ではない。隔離だ。逃げ場のない、完全な舞台。第9階魔術の結界だ。俺も破壊するには魔法を使うか、第10階魔術を使うしか方法がない。天使の本気だ。
「この結界の中で――最後の試練を行います」
天使の言葉に、ざわめきが走る。そして、結界の中央、空間が歪んだ。
音が、遅れて届く。地鳴りのような、低く、腹の底を叩く振動。裂け目から、黒い影が“這い出して”きた。5mぐらいの体。筋肉の塊のような四肢。歪に肥大した胴体。頭部らしき部分には、獣とも人ともつかぬ顔が張り付いている。
だが、何より異様なのは稲妻だった。体の至る所に稲妻が走っている。魔獣はこちらを見ていない。それなのに、見られている感覚だけが、心の奥に突き刺さる。
ただ立っているだけなのに、圧が違う。空気が重く、肺が悲鳴を上げる。
「……っ」
だれから、誰かが息を呑む音がした。
「冗談だろ……」
「……あれを、人が相手するのか?」
振り返ると、カイルが顔を引きつらせて立っていた。その周囲には、王族や重鎮たち。戦場を知る者たちでさえ、足がすくんでいる。それほどの存在だった。
カイルが一歩、後ずさる。国の重鎮たちも、顔面蒼白だ。武を極めた騎士団長ですら、剣の柄を握る手が震えている。
「な、なんだ……あれは……」
当然だ。あれは、戦場に立つための存在ではない。心を折るための存在だ。
結界の外に、天使が姿を現す。
「レオン」
名を呼ばれ、彼が前に出る。
「その魔獣を倒すことが、最後の試練です。剣でも、技でもいい。ですが――」
天使は、はっきりと言った。
「これは、心の試練でもあります」
レオンは、結界の向こうを見る。あの巨体が、ゆっくりと動くたび、空気が軋む。俺は、彼の背後に立った。
「レオン」
振り返る彼の目には、恐怖があった。隠していない。それでいい。
「よく、ここまで来たな」
「……師匠」
声が、わずかに震えている。
「逃げてもいい」
俺は、嘘は言わない。
「だが、逃げた先に“上”はない」
レオンは唇を噛みしめ、再び前を見る。カイルが叫んだ。
「レオン! 無理だと思ったら――」
言葉は続かなかった。レオンが、手を上げたからだ。
「大丈夫です」
震える声で、それでもはっきりと。
「僕は……ここまで来た」
彼は、結界の縁に立つ。光の膜が、わずかに揺らぐ。一歩足を踏み出せば、戻れない。俺は、静かに告げた。
「行け。俺はここで見ている」
神として。師として。レオンは、深く息を吸い、結界の中へ、足を踏み入れた。その瞬間、バケモノの“意識”が、彼に向いた。空気が、凍りつく。
重鎮たちが悲鳴を上げる。カイルが名前を叫ぶ。だが、レオンは立っている。剣を握り、恐怖に晒されながら、それでも、前を向いて。
俺は、わずかに微笑んだ。
(さあ……見せてみろ)
剣で世界を変えた男が、心でどこまで進めるのかを。




