45.演説と鎮圧
―― 地上 都市の広場 ――
レオンと再び並んで立つのは、実に久しぶりだった。城下町の高台。
簡素な外套に身を包んだ俺と、今や国中の視線を集める英雄となった弟子。それでも、横顔を見れば、かつて剣を握らせた頃と変わらない、少し不器用で真っ直ぐな青年だった。
「師匠……来てくれて、ありがとうございます」
「当然だ。お前が一番厄介な局面に立たされたんだ。姿を見せない師匠など、ただの置物だろう」
「背が伸びたな。顔つきも変わった。だが、目だけは変わらん。相変わらず、余計なものを背負い込む目だ」
「それ、今は褒め言葉に聞こえませんよ」
軽く肩を叩くと、レオンは苦笑した。その笑みの裏にある緊張と重圧は、師匠である俺には痛いほど伝わってくる。
眼下には、人、人、人。集められた民衆は一度きりではない。今日が最初で、これから何度も、都市ごと、広場ごとに、彼は語る。
やがて、鐘が鳴る。ざわめきが波のように広がり、そして静まった。レオンが、壇上に立つ。歓声が上がる。英雄の名を呼ぶ声。救世主と讃える声。その熱に、私はわずかな危うさを感じた。レオンは一歩、前に出た。
「――聞いてください。」
ざわめきが、波のように静まる。
「僕は、レオンだ。王に仕え、騎士として剣を振るってきた。ただの一人の人間だ」
その言葉に、民衆の表情が揺れる。英雄を名乗らない。その選択だけで、彼らの想像を裏切っている。
「僕の活躍を見て、希望を抱いた人がいるのは知っている。支えられていることも、誇りに思っています。……ですが、僕の名を理由に、誰かが傷つくなら。それは、僕の敗北だ」
ざわり、と空気が動いた。
「戦争を望む声があると聞いた。僕がもっと輝くために、戦えと。……ふざけるな」
強い言葉。だが、怒鳴らない。失望と悲しみを込めた声だ。
「戦場で倒れた仲間を、僕は何人も見てきた。英雄譚の裏で、泣いている家族を、僕は知っている」
民衆の中から、視線が逸れ始める。
「僕は、誰かの命を踏み台にして、上に行くつもりはない」
「でも! あんたがいれば、国はもっと強くなる!」
レオンは、すぐには答えなかった。一度、深く息を吸い、ゆっくりと口を開く。
「強さってのは、勝つことじゃない。守るべきものを、守り続けることだ」
それが一度目の演説だった。だが、終わりではない。翌日。別の街。別の広場。
レオンは同じように壇上に立つ。
「僕はオーブマになりたい」
今度は、そう切り出した。
「だが、それは力を振るうためじゃない。選ぶためだ」
民衆は息を呑む。
「戦う道もある。怒る道もある。奪う道もある。でも、俺は選ばない。誰かを犠牲にして成り立つ未来を」
三度目の演説では、レオンは子供たちに語りかけた。
「英雄にならなくていい。隣の人を守れ。それだけで、十分だ」
言葉は少しずつ違うが、芯は変わらない。俺は、そのすべてを見ていた。
(……よくやっている、レオン)
彼は民衆を導いている。命令ではなく、押し付けでもなく。同じ目線で。熱狂は、少しずつ形を変え始めていた。偶像から、共感へ。暴力から、選択へ。
―― 地上 国境付近の森 ――
武器を持った平民たちが、夜の森に集結している。剣、斧、粗悪な槍、農具を削った即席の武装。その数、百を超える。彼らの目にあるのは、正義でも勇気でもない。英雄に憧れ、戦争を“舞台”だと誤解した者たちの、危うい熱狂。
レオンは、王国軍の小部隊と共に、正面から歩み出た。
(……真正面から行くとはな)
俺はレオンの後ろで見守っている。介入はしない。これは、彼自身の試練だ。
「武器を下ろしてください。」
レオンの声は落ち着いていた。だが、平民集団の先頭に立つ男が叫ぶ。
「英雄様が何を言う! 俺たちはあんたのために戦うんだ!」
「俺が望んでいない」
「嘘だ! あんたは戦場で輝いた! 戦いがあったからだ!」
言葉が、刃物のように飛び交う。
「次は俺たちが戦場を作る! そうすれば、あんたはもっと上へ行ける!」
……愚かだが、分かりやすい。英雄を“装置”として見ている。
レオンは一歩踏み出した。
「それ以上言うなら、僕はあなたたちを敵と見なします」
空気が凍る。武器を握る音。一触即発になる王国軍の兵が緊張し、槍を構える。
誰かが一歩でも踏み間違えれば、血が流れる。
(さて……どうする、レオン)
説得は、限界だった。力で押さえつければ勝てる。だが、それは彼の敗北だ。
レオンは、突然剣を捨てた。地面に落ちる金属音が、夜に響く。
「……は?」
平民たちが呆然とする。そして、レオンはさらに奇妙な行動に出た。鎧の留め具を外し、マントを脱ぎ、最後には上着すら脱ぎ捨てた。
「おい英雄! 何を――」
「これが見たかったんだろ」
レオンは両手を広げる。
「俺の体だ。英雄の体。戦場で傷だらけになった、ただの人間の体だ」
彼は一歩、また一歩と平民たちに近づく。
「さあ、斬れ。刺せ。これで戦争が始まるなら、始めてください」
「僕を殺せば、あなた達は“英雄を殺した英雄”になれる。それが望みですか?」
俺は思わず息を呑んだ。これは……賭けだ。奇想天外どころか、狂気に近い。
「ですが、それで生まれるのは、次の英雄だ。また誰かが担ぎ上げられ、また血が流れる」
彼は胸を叩いた。
「僕は、その最初の死体になる気はない」
平民の武器を持つ手が、震え始める。
「戦争を起こしたいんではないでしょう」
レオンは、はっきりと言った。
「意味が欲しいだけでしょう……ゼマロで受ける理不尽や不満の解消できる理由を。ですが、力の差がある以上、不満の解消は一時的です。このやり方では根本的な解決は一生きません。」
刺さった。最初に武器を落としたのは、先頭の男だった。次に、後ろの若者。そして、一人、また一人と、武器が地面に捨てられていく。
「……俺たちは、間違ってたのか?」
男が絞り出すように言う。レオンは、剣を拾わない。
「そうかもしれません。ですが、やり直せます」
軍が静かに前進し、武器を回収する。誰も抵抗しない。血は、一滴も流れなかった。
俺は、その光景を見て、静かに笑った。
(なるほど……そう来たか)
剣ではなく、自分自身を差し出す。英雄という偶像を、自分の手で壊す。
(……オーブマへの道は、想像以上に面白くなってきたな)
レオンは、剣を持たずに戦争を止めた。




