37.戦争③
―― 地上 敵補給基地 ――
~ レオン視点 ~
敵軍の補給基地が見えた瞬間、喉の奥がひくりと鳴った。
粗末な柵で囲まれただけの陣地だが、中には天幕が並び、荷馬車と木箱が山のように積まれている。食料、武器、矢、治療道具。戦争を動かす血液そのものだ。ここを潰せば、前線の敵は確実に鈍る。
草むらに伏せたまま、僕は深く息を吸った。
夜明け前、空気は冷たい。それなのに、背中を伝う汗は止まらなかった。
「……思ったより、しっかりしてるな」
隣で小声で呟いたのは、今回の部隊を率いる貴族の隊長だった。年は三十代半ばほど。派手さはないが、実戦経験のある目をしている。隊長はすぐに皆を集め、低い声で指示を出し始めた。
「第一班と第二班は東側から侵入。補給物資に火を放て。第三班は見張りを排除しつつ混乱を拡大させろ。そして第四班」
隊長の視線が、僕たちに向く。
「囮だ。派手にやれ。敵の注意を引きつけろ。無理はするな、だが手加減もいらん」
短い沈黙。その役目が、どれほど危険かは全員が理解していた。
僕は、隣にいたカイルを見る。彼はいつものように、少し困ったような笑みを浮かべていた。
「……やっぱり、ここで別れるか」
「そうなるな」
カイルは僕の肩を軽く叩いた。
「死ぬなよ、レオン。囮役は、だいたい派手に死ぬ役だからな」
「縁起でもないこと言うな」
そう返したものの、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。怖くないわけがない。
でも、ここまで来た以上、逃げる気はなかった。
「お前もな。絶対、戻ってこい」
「うん。約束だ」
それだけ言って、僕たちは別れた。同じ戦場にいても、進む道は違う。今はそれが、少し怖かった。
僕は一人、基地の横手へ回り込む。草を踏む音、装備が擦れる音。全部がやけに大きく聞こえる。
(大丈夫だ……ただ、音を立てて、暴れるだけ)
そう、自分に言い聞かせた。
「敵襲だああああっ!!」
敵に気づかれたので、剣を抜き、見張り兵に突っ込んだ。
最初の一人は、驚いた顔のまま倒れた。二人目が槍を構える前に、横薙ぎで斬る。
「何だ!? どこから来た!」
怒号が飛び交い、松明が灯る。思惑通り、敵兵が次々と集まってくる。
(よし……引きつけてる)
だが、数が多い。五人、十人、さらに増える。剣を振るたび、腕が痺れ、息が荒くなる。敵の剣がかすめ、鎧に衝撃が走った。
「くっ……!」
痛みよりも、恐怖が先に来る。 人を斬る感触、血の匂い、倒れる音。
(……これが、戦争)
心が、ぎゅっと締め付けられた。補給基地を襲っているのは僕たちだ。だが、目の前の敵兵も、誰かの息子で、誰かの友人なのだ。それでも、止まれない。
「逃がすな!」
敵の指揮官らしき男が叫ぶ。僕はわざと派手に動き、天幕を斬り裂き、木箱を蹴り倒した。炎が上がる。背後で、別方向から爆ぜる音。仲間たちが目的を果たしている合図だ。
(もう少し……)
限界が近い。剣を握る手が震え、足が重い。その時、角笛が鳴った。
敵の撤退ではない。僕たちの合図だ。
(撤退……!)
最後に一人を斬り伏せ、草原へと駆け出した。背中に矢が飛ぶが、振り返らない。どれくらい走ったか分からない。肺が焼けるように痛み、視界が揺れる。
ようやく合流地点にたどり着いた時、膝から崩れ落ちた。
「レオン!」
カイルが駆け寄ってくる。無事な顔を見た瞬間、張り詰めていたものが一気にほどけた。
「……生きてるな」
「ああ……なんとか」
補給基地の方角を見ると、黒煙が夜空に立ち上っていた。作戦は成功だ。敵は確実に混乱するだろう。
それでも、胸の奥は重かった。
(これで……勝利に近づいたはずなのに)
倒した兵士たちの顔が、頭から離れない。僕は剣を見つめ、静かに息を吐いた。
戦争は、正しいとか、間違っているとか、そんな単純なものじゃない。
ただ、人の心を削っていくだけだ。
撤退は、成功の余韻に浸る間もなく始まった。敵の補給基地は燃え上がり、目的は果たした。だが、戦場はそんなに甘くない。夜明け前の草原を抜け、森へ入ろうとしたその時だった。
「――止まれ」
低く、威圧的な声。前方だけじゃない。左右、背後。同時に気配が膨れ上がる。
たいまつの火が一斉に灯され、闇が押し払われた。
「……囲まれた」
誰かが呟く。その言葉が終わるより早く、僕たちは完全に包囲されていた。
現れたのは、統率の取れた大部隊。鎧の質、武器の手入れ、兵の立ち姿。ただの追撃部隊じゃない。豪奢な装飾の鎧。長身。鋭い眼光。貴族の将だ。
「補給基地を焼いたのは貴様らだな。誇れ。だが、ここで終わりだ」
次の瞬間、敵軍が一斉に動いた。
「陣形を――!」
隊長の指示が飛ぶが、間に合わない。衝突。金属と金属がぶつかる音、悲鳴、断末魔。僕も剣を振るった。一人、二人を斬る。倒す。だが数が、圧倒的に多い。
横で戦っていた仲間が、喉を裂かれて倒れる。背後から槍が突き出され、別の仲間が貫かれる。
「くそ……!」
撤退戦のはずだった。なのに、完全な殲滅戦に変わっていた。敵の大剣が、カイルを吹き飛ばした。地面を転がり、血が草を濡らす。
「カイル!!」
駆け寄ろうとした僕の前に、影が立つ。レズマだ。
「よそ見をする余裕があるとは、感心だな」
次の瞬間、信じられないほど重い一撃が振り下ろされた。受け止めきれない。だが、体は勝手に動いていた。剣を両手で構え、真正面から受ける。とてつもない衝撃で腕が砕けるかと思った。
「……スカマが耐えた?」
レズマの貴族が一瞬、驚いた顔をした。その瞬間、僕は気づいた。今の一撃、消えてない。剣を通して、体に、衝撃が残っている。流れきらず、逃げきらず、僕の中に。
(……なら)
僕は、その“残った力”を意識的に掴もうとした。次の攻撃。レズマの横薙ぎ。
また受ける。だが今度は、衝撃を“溜める”ように剣をわずかに引いた。
次の瞬間、僕は踏み込み、受け止めた力に、自分の力を上乗せして、相手に振り返す。レズマの体が吹き飛んだ。
「な……っ!?」
僕自身が、一番驚いていた。
(できる……!)
理解した。剣を通して、相手の力を受け止め、蓄え、返す。考える暇はない。敵が押し寄せてくる。僕は、次々と攻撃を受け、返した。
槍の突きを受け、返す。斧の振り下ろしを受け、返す。敵が、自分の力で倒れていく。
「……化け物か」
誰かが呟く。違う。俺はただ、必死なだけだ。再び立ち上がったレズマが、全力で突進してくる。
「貴様ァァ!!」
渾身の一撃。今までで、最も重い。僕は正面から受け止めた。足が地面に沈む。
――溜める。
――耐える。
――上乗せする。
「……これで終わりだ」
僕は、すべてを込めて剣を振るった。衝撃が、爆発した。
レズマの鎧が砕け、体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。二度と立ち上がらなかった。指揮官を失った敵軍は、もはや烏合の衆だった。
僕は剣を振るい続けた。受け、返し、倒す。敵は、全て地に伏していた。
草原には、静寂が戻る。僕は、震える手で剣を下ろした。
「……カイル」
駆け寄ると、彼は息をして意識があった。
「……やっぱりすげえーよ。おまえは。」
終わったを実感して、膝から力が抜けた。仲間は、ほとんど死んだ。
勝ったのに、何も嬉しくなかった。




