36.戦争②
―― 地上 戦場の草原 ――
撤退の号令が下され、軍が国境線の内側へと引き上げた夜。作戦本部には、重苦しい沈黙が満ちていた。王族、軍の最高司令官、貴族騎士団長、参謀たち。誰もが疲労の色を隠せずにいる。
沈黙を破ったのは、白髪の老将――国軍総司令官だった。
「……今回の会戦、敗北とは言い切れぬが、優勢でもなかった」
淡々とした口調だが、その声には苦味が滲んでいる。
「敵は、我々の想定を超えた戦い方をしてきた」
「陣形は崩され、指揮系統は混乱。前線では“異様に強い兵士”の存在も確認されています」
貴族騎士団長が眉をひそめる。
「たった一人の兵士で、戦況が揺らぐなど……誇張ではないのか?」
「誇張ではありません」
参謀の一人が即座に否定した。
「前線の報告は一致しています。マナも使わず、斧一本で複数の部隊を押し返した兵士がいたと」
場の空気が、さらに重くなる。王族の一人、若い王弟が苛立ちを隠さず言った。
「では、どうする?正面から当たっても、また同じ結果になるだけだろう」
誰もすぐには答えられなかった。兵力は互角。しかし指揮官は、常識外れの兵法を用いる。沈黙の中、王弟がゆっくりと口を開いた。
「……このまま消耗戦を続ければ、国は持たぬ。村が焼かれ、民が苦しむ。それだけは、避けねばならぬ」
王弟の言葉に、全員が頷いた。すでに国境付近の村は荒らされ、略奪の報告が届いている。
「敵の強みは何だ?」
王弟が問いかける。老将が地図を指で叩いた。
「統率、補給、そして奇策です」
「特に補給。敵軍は遠征軍です。この草原に長く留まるほど、補給線は伸びています。」
参謀たちの目が、地図の一点に集まる。国境から少し離れた場所、川と街道が交差する地点。
「敵の補給拠点です。食糧、矢、宝珠。すべてがここを経由して前線に送られています」
王弟が身を乗り出した。
「だが、守りも固いはずだ。正面から攻めれば、また血を流すだけでは?」
「正面からは攻めません。小規模部隊による夜襲。迅速に補給を破壊し、深追いせず撤退します」
「……奇襲か」
王弟は目を細める。
「はい。敵は我々が守勢に回ると考えている。だからこそ、攻める価値があります」
老将が静かに言葉を継いだ。
「補給を断てば、あの奇妙な兵法も持続しません」
「兵は腹が減れば恐怖に負ける。それは、どんな天才の指揮でも覆せぬ」
しばしの沈黙の後、王弟はゆっくりと頷いた。
「……決行しよう。次の作戦は、敵補給地点の襲撃だ」
その言葉に、室内の空気が変わる。重苦しさの中に、かすかな希望が生まれた。
~ レオン視点 ~
最初の戦いで、僕は後方部隊に配置されていた。剣を抜くことも、敵と刃を交えることもない位置。物資の管理と伝令の補助。戦争に参加しているはずなのに、どこか現実感が薄い役目だった。
それでも戦争は、はっきりと見えた。
前線の向こうから運ばれてくる負傷兵。血で濡れた鎧。折れた武器。
仲間を呼ぶ声、もう動かない仲間を前にした沈黙。
「……っ」
僕は歯を食いしばり、視線を逸らした。剣を握る訓練は何年もしてきた。命を賭ける覚悟も、命を奪ったこともある。それでも実際に、戦争の光景を目にすると、胸の奥が締め付けられる。
村が焼かれたという話を聞いた。敵も味方も関係なく、泣き叫ぶ民の声があったと。守るために剣を取ったはずなのに。それでも、人は傷つく。
後方で荷を運びながら、僕は何度も自問していた。自分は、この戦場で何をすべきなのか。スカマになった力は、ここで役立つためにあるのか
そんなある夜、呼び出しがかかった。天幕の中には、軍の将校と参謀が揃っていた。地図が広げられ、低い声で議論が交わされている。
「……補給地点への襲撃部隊を編成する」
「少数精鋭だ。速さと腕が必要になる」
その言葉を聞いた瞬間、胸がざわついた。襲撃。夜襲。危険なのは、誰が聞いてもわかる。
「レオン」
名を呼ばれ、僕は顔を上げた。
「お前を選抜したい」
将校の目は真剣だった。
「剣の腕、判断力、そして……先日の活躍。お前は適任だ」
一瞬、言葉が出なかった。恐怖が、正直に言えばあった。
だが、それ以上に胸の奥で何かが、決まった音を立てた。
「……わかりました」
僕は、深く頭を下げた。後方にいて、ただ苦しむより。
自分の剣で、何かを止められるなら。
天幕を出ると、夜風が冷たく頬を打った。空には星が瞬いている。その下で、人が殺し合っている現実が、どうしようもなく重い。
「やっぱりな」
背後から、聞き慣れた声がした。
「……カイル?」
振り返ると、そこには腕を組んだカイルが立っていた。いつもの暑苦しい笑顔はなく、真剣な目をしている。
「補給地点襲撃部隊だろ。……志願した」
「……え?」
思わず、声が間抜けに出た。
「なんで……」
僕が言い終わる前に、カイルは肩をすくめた。
「お前の顔見りゃわかる。このまま放っといたら、余計なこと背負い込む」
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
「僕は……怖いんだ。戦うことも、戦わないことも」
「知ってる。だから一緒に行く」
「危ないぞ。死ぬかもしれない」
「傭兵時代、何度もそうだった。それでも、誰かと一緒に行く方が、まだマシだ」
夜の静けさの中で、その言葉は妙に重く、そして温かかった。
「……ありがとう」
「礼は生きて帰ってからにしろ」
カイルは、いつもの調子で僕の肩を叩く。
「それに、お前が暴走したら止める役も必要だろ?」
思わず、苦笑が漏れた。
「逆だろ。僕が、君を止めるんだ」
「はは、言うようになったじゃねえか」
星空の下、僕たちは並んで歩き出す。補給地点への襲撃。
それは、この戦争の流れを変えるかもしれない賭けだ。
怖い。苦しい。それでも、独りじゃない。
それだけで、胸の痛みがほんの少しだけ和らいだ。




