33.体験
―― 空中都市 中央城の会議室 ――
戦争という言葉は、人間にとっては重く、神にとってはどこか遠い。
それでも今、私はその渦中に足を踏み入れようとしていた。
雲よりも高い場所にある会議室で、私は椅子に深く腰掛け、片手で頬杖をついていた。眼下では二つの国が、血を流す準備を整えているというのに、ここは相変わらず静かだ。
「……で、現状の戦力はほぼ互角、と」
俺は空中に浮かぶ光の盤面を指でなぞりながら、そう呟いた。盤面には二つの国の軍勢が簡略化されて表示されている。禁忌国家と、レオンが属する国。兵数、装備、士気、地形条件。どれを取っても致命的な差はなく、綺麗に釣り合っていた。
「はい」
対面に立つエンリが、腕を組んで頷く。
「奇襲も長期戦も、どちらに転んでもおかしくありません。人間同士なら、数年は泥沼になりますね」
エンリの声は落ち着いているが、その瞳は妙に楽しげだった。理由は、わかっている。
「……兵法、か」
「はい!」
途端にエンリは一歩前に出た。
「私が考案した新しい陣形と指揮体系です。人間の戦争理論を基礎にしつつ、マナ伝達と心理誘導を組み合わせています。実戦で通用するか、とても興味がありまして!」
「机上の理論じゃ満足できない、と」
「はい。戦場でこそ、兵法は完成しますから」
やはり、そこか。戦術家気質のエンリらしい。
俺は盤面から視線を外し、玉座の背にもたれた。弟子の顔が、自然と脳裏に浮かぶ。レオンは今頃、初めての戦争に緊張しながら剣を握っているはずだ。
「レオンにとっては……まだ試練としては重すぎるな」
「同感です」
エンリは即答した。
「彼は才能がありますが、経験が足りません。国家同士の戦争は、個の強さだけではどうにもならない」
俺は小さく息を吐く。だからこそ、この状況を“教材”として使うには、少し工夫がいる。
「なら、こうしよう」
私の言葉に、エンリが首を傾げる。
「禁忌国家の指揮は、お前が執れ」
「……よろしいのですか?」
「もちろん。自分で考えた兵法が、本当に機能するか試したいんだろう?」
エンリは満面の笑みで喜んでいた。
「ありがとうございます。我が主。」
「俺は強い兵士として、前線に出る」
エンリが一瞬、言葉を失った。
「……理由を、お聞きしても?」
俺は肩をすくめる。
「戦争に参加してみたい」
「……それだけ、ですか?」
「それだけだ」
本当に、それ以上でも以下でもない。神として、天上から眺める戦争にはもう飽きた。人間が作る混沌、恐怖、勇気、愚かさ。それを“現場”で体験してみたくなっただけだ。
それに、弟子が血を流している戦場に、師匠が一度も足を踏み入れないのも、少し薄情な気がした。
「安心しろ。私は目立たない」
そう言うと、エンリは半信半疑の顔をする。
「我が主が目立たない、というのは無理があるかと……」
「気配も力も封じる。ただの、やたら強い兵士だ」
エンリは少し考え込み、それから小さく笑った。
「……わかりました。では私は、指揮官として全力を尽くします。自分の兵法が、どこまで通用するのか……とても楽しみです」
その笑顔は、戦争を前にしたものとしては不謹慎だが、神の側近としては、実に正しい。
俺は立ち上がり、盤面を見下ろす。
互角の戦力。人間同士なら、無数の死が積み重なる戦い。
だが今回は違う。禁忌国家には、女神の指揮があり、前線には俺がいる。
「戦争ってやつを、少し体験してみるとしようか」
軽い気持ちだ。だが、その軽さが、どれほどの波紋を呼ぶのか、それを知るのも、また一興だろう。




