28.天使の祝福
―― 地上 エル家の私邸 ――
レオンが血まみれで貴族邸の広間に戻ってきたとき、護衛されていたエル=ナバルの表情は驚愕に凍りついていた。
「……き、きみは……ゼマロ……で……」
血の跡が床に点々と残る中、ゼマロの平民であるレオンが、スカマの騎士を倒したという事実が、彼らには信じられなかったのだ。
私は、ただ天井からその様子を見下ろしていた。戦いの後のレオンは、体中に痛みを抱えながらも、誇らしげな表情を見せていた。血と汗にまみれた彼の姿は、神の目にも、痛々しいほどに輝いていた。
護衛をしていた、エル=ナバルに仕える騎士のスカマたちは、唖然とし、互いに顔を見合わせる。
「ゼマロが、スカマに勝つ……だと……?」
レオンは、苦笑混じりにうなずいた。
「……僕の剣は、マナがなくても人を守るために振います。」
その言葉に、貴族たちは言葉を失った。血まみれの手で剣を握り、傷だらけの体で立つゼマロの青年。
それを守ろうとした者たちは、その勇気に胸を打たれたのだ。
傷の治療は急ピッチで行われた。医師たちは、彼の体に残る無数の傷を丁寧に縫い、包帯を巻き、血を止めた。レオンはじっと耐え、痛みに顔を歪めながらも、決して泣き言を言わなかった。
「……これで少しは楽になるな」
小さくつぶやくレオンの声に、俺は微かに微笑んだ。ゼマロであるがゆえに、苦しみも大きい。それでも、レオンは立ち続ける。
治療が終わると、レオンは呼び出された。国の王族よりも偉い、神を奉る教会に。
教会の大理石の広間に足を踏み入れた瞬間、レオンは教会の神聖に驚いていた。俺はレオンの後ろを召使いのようについてきた。
「……ここが、神の直属の教会……」
血と傷でぼろぼろの弟子は、足元の大理石の冷たさを感じながら、小さく息を吐いた。しかし、奥に進むにつれ、レオンは次第に居心地の悪さを感じ始める。教会の司祭たちが、視線を釘付けにし、口々に囁く。
「……なんだ、この者は……」
「ゼマロかぁ……平民が入ってくるなど、許されるわけがない」
レオンは剣を握り直す。しかし血だらけで、マナがない平民――ゼマロとしての立場は、あまりにも弱い。司祭たちは明らかに眉をひそめ、追い出す準備をしていた。
「ここから出ていきなさい、ゼマロ。貴様のような平民が、この聖域を歩く権利はない」
レオンは唇を噛み、黙って立ちすくむ。怒りも恐怖もあっただろう。だが、背筋は曲がっていなかった。
ここに来た理由を、レオンは一度も揺らがせてはいなかったのだ。
そのとき、教会の奥から光が差し込む。天井高く、金色の光を背負った天使――私の部下であり、この教会のトップが現れた。羽を広げたその姿は圧倒的で、司祭たちの視線が一瞬止まる。
「……何をしている」
天使の声は、穏やかでありながら鋭く、空気を震わせる。
「この者は私が呼んだのだ」
レオンと司祭は驚きと戸惑いの混じった目で天使を見上げた。
「ゼマロであろうと、関係はない。私は、貴方をこの場に呼んだ。マナの有無は問題ではない。信念の強さが、ここで評価されるのだ」
司祭たちは言葉を失い、後ずさるしかなかった。
「申し訳ございません。天使様が呼んだ者を、我々が拒む権利などない……」
レオンは深く頭を下げる。ゼマロとして軽んじられ、差別されることは慣れていたはずだ。しかし今、天使の言葉によって、彼の存在が認められた瞬間だった。
私はその姿を、後ろから静かに見守る。神として介入はできないが、レオンの心が少しでも安堵していることはわかる。
天使はレオンの肩に軽く手を置き、さらに言葉を重ねる。
「勇気を持ってここに来た貴方を、私は認める。マナがなくても、剣で戦い、人を守る強さがあるからこそ、ここに立つ資格があるのだ」
レオンは小さく息をつき、うなずいた。血と痛みにまみれた体で、ゼマロのまま教会に来た彼は、初めて安心して胸を張ることができた。
天使は俺をちらりと見て、軽く会釈した。天使がレオンの体に治療したあとを見つける。
「……あなたの体、あまりにも傷ついている。私にしか使えない治療魔術を、今からかけよう」
レオンは恐る恐るうなずくのを確認した天使は、天使しか使えない8段階魔術の治療魔術をレオンに使う。温かい光が血と傷に満ちた体を包み込む。光はゆっくりと流れ、裂けた皮膚を繕い、砕けた骨を整え、血を止めていく。
レオンの息が、次第に落ち着き始めた。
「……こんな……魔術が……ありがとうございます。」
天使の光は、ただ癒すだけではなく、傷を治すたびに力を与えるように感じられる。血まみれの体が、ゆっくりと元の力強さを取り戻していく。
剣を握る手の震えも消え、ゼマロの限界であった体が、再び戦える体へと変わるのがわかった。天使はレオンの体に手を添え、最後の光を流し込むと、穏やかに微笑みながらレオンに声をかけた。
「さあ、ここからは礼拝堂に案内しよう。貴方の偉業を、人々の前で称えるのだ」
レオンはまだ少し戸惑った表情を浮かべていた。血まみれで、ゼマロとして差別され、数々の戦いをくぐり抜けた彼にとって、信者の前で称賛されることなど想像もできなかったのだろう。
「偉業……ですか」
レオンの声は小さく、少し震えていた。
しかし、光に包まれた体と治癒された傷を見ると、彼の心には確かな誇りが芽生え始めているのがわかる。
天使は静かに頷き、羽を広げる。
「そうだ。貴方はゼマロでありながら、スカマの騎士を打ち倒した。信念と剣だけで、多くの命を救ったのだ。その勇気と覚悟を、我々は称え、祝福を授ける」
天使に導かれ、レオンは礼拝堂の中央へ歩みを進める。床に反射する光に照らされ、周囲には多くの信者が静かに集まっていた。平民も貴族も、マナを持つ者も、皆その場に息をひそめ、レオンを見つめている。
「……こんな……人前で……」
レオンの肩は少し緊張で揺れている。だが、天使の光と存在が、レオンの不安を包み込み、確かな力へと変えていた。
天使は翼を大きく広げ、光の輪をレオンに重ねる。
「ここに集う者たちよ――聞け。この者はゼマロ、マナを持たぬ平民で名をレオンという。レオンの剣と信念は、スカマの騎士にも勝る力を持った。血と傷にまみれながらも、己の信念で人を守った勇者である!」
信者たちの間に、驚きと歓声、そしてざわめきが広がる。
「ゼマロ……が、スカマに勝った……!」
「平民でも、こんな力を持つ者がいるのか……」
レオンは目を見開き、少し恥ずかしそうに、しかし誇らしげに胸を張った。天使はレオンの肩に手を置く。
「……ゼマロがスカマに勝つことは、史上初の出来事です」
天使の声は、穏やかでありながら重みがあった。レオンは一瞬息を呑む。
史上初……。自分が、ただの平民でありながら、マナを持つ騎士に勝ったことが、前例のない快挙であると言われる。
「我が神の祝福を授ける。その剣に、そしてその魂にマナを与え、力を開かせる!」
レオンの体を包む光は、温かく、力強く、深く染み渡る。
ゼマロであった体に、マナの流れが注ぎ込み、息をするたびに力を感じるのがわかる。血で傷ついた手足も完全に癒え、剣を握る力は以前よりも遥かに増していた。
「……これは……」
レオンは驚きと畏敬の混じった声で息をつく。
マナが、体中に満ちていく感覚。ゼマロだった自分が、スカマの力を得た瞬間――信念が、力へと変わった瞬間である。
信者たちは一斉にひざまずき、祝福の光に目を向ける。
「神の祝福を、ゼマロの勇者に!」
「この者の剣が、私たちを守る!」
レオンは光の中で、深く一礼する。肩の力は抜け、剣を握る手に確かな重みと信念が宿る。
天使は優しく微笑み、翼を静かにたたむ。
ゼマロの弟子が、スカマの騎士を倒し、さらに神の祝福によってスカマとなったこと。それは平民や貴族の間で語り草になった。
「平民がスカマに……だと?」
「ゼロマが神の祝福を受けるなんて、信じられるか?」
国中の人々が、驚きと畏怖をもってその話を受け止めた。血と痛みにまみれた日々は終わったわけではない。しかし、彼は確かに、ゼロマからスカマへと歩みを進めた。
レオンが自らの信念で世界を切り開く瞬間を、こうして目撃できるのは、何よりも誇らしい。
世界は少しだけ、変わった。
ゼマロであっても、信念と覚悟があれば、マナある者と同じ舞台に立てることを、国中が知ったのだから。
レオンの剣は、これからも守るべき者のために振るわれるだろう。
そして彼の名は、平民でありながら、スカマに勝利し、神の祝福を受けた伝説として、国中に語り継がれることになる。




