25.運河の水権 (イラストなし)
―― 地上 西区貴族 ――
~ 貴族視点 ~
運河の水音は、いつだって人の欲を映す。乾いた季節になるほど、その流れは細り、細るほどに争いは激しくなる。私はその音を、屋敷の高窓から聞いていた。
我が名はエル=ナバル。代々この都市西区を治める貴族だ。石と日干し煉瓦で築かれたこの都市は、神々の時代を経てなお、剣よりも水で滅ぶ。畑を潤す運河、その分岐を誰が支配するか。それが、今の我らの戦争だった。
東区を支配する貴族、ザへル=メヘト。
あの男は、運河の上流に新たな水門を築き、我が領地へ流れる水量を「調整」している。調整――聞こえはいいが、要するに締め上げだ。建築理由は洪水対策だといった。だが実際は、我が家へ流れる水量を削り、自領の農地へ水を引き込む算段に違いない。だが正面切っての戦は、王族と教会が許さない。無駄な流血は禁忌とされている。
だから私は、剣ではなく「人」を探していた。
その日、都市に奇妙な二人組が入ったという報告を受けた。
一人は旅装の若者。背に負った剣は飾り気がないが、歩き方が違う。重心が低く、足運びに無駄がない。もう一人は……説明が難しい。どこにでもいそうな男なのに、視線を合わせると、こちらの方が測られている気分になる、と報告役は言った。
私は若者の方に興味を持った。剣の才を持つ者は、匂いでわかる。私も若い頃、剣を振るったからだ。
接触は容易だった。ザへル家の騎士が、市民を脅していたところへ、その弟子とやらが割って入った。剣を抜かず、声を荒げず、しかし一歩も退かない。結果、騎士は恥をかかされて引いた。
私は即座に使者を出した。
「護衛を頼みたい」と。
表向きは、運河交渉のため長老会へ出向く道中の護衛。だが真の狙いは別にある。あの若者を、ザへル家より先にこちら側へ引き寄せること。剣は、時に言葉より雄弁だ。
名をレオンと名乗った若者は、あっさりと引き受けた。報酬にも、条件にも、過度な関心を示さない。ただ「師に迷惑がかからないなら」とだけ言った。その師、あの得体の知れぬ男は、微笑んで頷いただけだった。
だが、事態は私の思惑通りには進まなかった。翌日、密偵から報告が入る。
レオンが、ザへル=メヘト本人から呼び出しを受けたというのだ。密談の、仲介役として。
思わず、私は笑ってしまった。
なるほど、あの男も目が利く。剣の腕だけではない。若者の「立場の曖昧さ」を利用する気だ。どちらの家にも属さぬ旅人。護衛でありながら、正式な臣下ではない。その中立性は、密談の橋として都合がいい。
だが、それは同時に危険でもある。若者は、二つの刃の間に立たされる。
護衛として私の背を守りながら、敵方の言葉を運ぶ。どちらかに傾けば、もう片方の敵となる。
長老会への道中、私はあえてその話題を出した。
「ザへル家からも声がかかったそうだな」
レオンは一瞬だけ視線を伏せ、それから正直に頷いた。
「はい。話を繋いでほしい、と」
否定もしない。弁解もしない。若いが、覚悟がある。
「断らなかった理由を聞いてもいいか」
「運河の水は、誰か一人のものじゃないと思ったからです」
その言葉に、胸の奥がざわついた。理想論だ。私は彼に条件を出した。
「仲介は許す。ただし、私の前で、嘘はつくな」
レオンは即座に頷いた。その背後で、師の男が静かに笑っていた。まるで、この都市の行く末をすでに知っているかのように。
密談は夜、運河沿いの古い神殿跡で行われた。私は姿を見せず、レオンを通して言葉を交わす。
ザへル=メヘトは言った。
「水門は都市全体のためだ。西区が苦しいのは承知している。だが引けぬ」
私は返した。
「ならば水量の再配分を。収穫期だけでもいい」
言葉は剣よりも鋭く、慎重に運ばれる。レオンは、一言一句を正確に、しかし感情を乗せずに渡した




