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人類誕生時代に来たので、人類の支配者になる  作者: 浅霧 瀬智
第2章

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24.試練

―― 宿の酒場 ――


昨夜の喧騒が嘘のように、床に残った酒の染みと、拭いきれなかった笑い声の残響だけがそこにあったレオンはカウンターの内側に立ち、黙々とグラスを磨いている。給仕ではなく、雑用係として雇われた形だが、それで十分だ。酒場は、都市で最も正直な情報が集まる場所なのだから。


「聞いたか? 西区の伯爵と東区の侯爵、また揉めてるらしいぞ」

「今度は水利権だってさ。運河の管理を巡って」


酒場は噂の集積地だ。酔客は口が軽く、特に権力の影にいる者ほど、己の優位を誇示したがる。レオンは酒を注ぎ、笑顔を作り、余計なことは言わない。ただ、聞く。覚える。繋げる。


剣を持たせる前に、生き方を教えた覚えはない。それでも彼は、自分なりのやり方で“戦う準備”をしている。俺はそれを見届け、何も言わず、酒場を後にした。


向かう先は、教会本部だ。

都市の中心に聳える白亜の建物。信仰の象徴であり、同時にこの国の“本当の中枢”でもある。王城よりも高く、王城よりも静かだ。人々は祈りの場だと思っているが、俺にとっては執務室であり、会議室であり、自分の部下と会う場所でもある。


大扉をくぐると、空気が変わる。香の匂い、整えられた静寂、信仰という名の秩序。俺は誰にも止められず、奥へと進む。教会の最深部、司祭ですら滅多に立ち入らぬ場所。そこに、教会のトップにして、俺の部下。人間の王よりも、遥かに重い決定権を持つ者。


「お久しぶりです、主」


天使は顔を上げ、微笑んだ。だが、その瞳に感情は薄い。慈悲も冷酷も、等しく秤にかける存在だ。


「久しぶりだな。相変わらず忙しそうだ」

「はい。王が決断できない案件が山ほどありますので」


苦笑とも取れる表情。だが事実だ。この国の国王は、天使の裁定なくして何一つ決められない。税、戦争、法律、処刑、すべてが教会を通る。逆らえば、神に背いた王として玉座から引きずり下ろされるだけだ。


挿絵(By みてみん)


「弟子の件でしょう」


察しがいい。さすがだ。


「ハルから聞いたのか」

「はい。酒場で働き、噂を集めています。剣だけの青年ではありませんね」


私は頷いた。だからこそ、次が必要だ。


「試練を与えたい」


天使は、ほんのわずかに眉を動かした。


「内容はどういたしますか?」

「貴族同士の争いに、彼を巻き込め」


即答だった。だが、無責任な思いつきではない。人のために剣を振るう覚悟はできている。だが、世界はもっと汚い。正義と悪の境界が曖昧な場所で、彼が何を選ぶのか――それを見たい。


天使は少し考え、やがて静かに言った。


「西区の伯爵と東区の侯爵ですね」

「耳が早いな」


「ええ。運河の水利権を巡る争いです。表向きは話し合い。しかし裏では、妨害工作など色々な事が起こっています」


「弟子を、どちら側につけましょうか?」

「つけるな」


私は首を振った。


「どちらにも属させるな。ただ、関わらせろ。依頼、護衛、密使……形は任せる」


天使は小さく笑った。


「随分と厳しい試練ですね」

「甘やかすつもりはない。彼は剣を持つ者だ。ならば、血を見ずに済む選択があることも、血を見ずには進めない現実も、両方知る必要がある」


沈黙が落ちる。天使は翼をわずかに広げ、空気を震わせた。


「承知しました。では、こうしましょう。伯爵家からは“護衛”として、侯爵家からは“密談の仲介役”として、同時に声がかかるようにします」

「……意地が悪いな」

「主の弟子ですから」


その通りだ。選択肢が一つなら、それは試練ではない。


「危険度は?」

「命までは奪わせません。ただし、彼の判断次第では、多くの恨みを買うでしょう」


私はそれでいいと思った。剣は、敵を斬るためだけにあるのではない。斬らない覚悟を貫くためにも、代償は必要だ。


「私は傍観者だ。助言はしない。奇跡も起こさない」


天使は深く頭を下げた。


「すべては、彼の選択に委ねます」


教会を出ると、昼の光が眩しかった。信者たちが祈り、商人が行き交い、貴族の馬車が音を立てて通り過ぎる。そのすべてが、試練の舞台だ。


酒場に戻ると、レオンは忙しそうに立ち回っていた。俺と目が合うと、ほんの一瞬だけ頷く。何も聞かない。何も言わない。それでいい。


彼はまだ知らない。自分が、貴族同士の争いという濁流に投げ込まれようとしていることを。剣だけでは解けない問題に、向き合わされることを。


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