21.英雄が生まれる日
―― 地上 小さな教会 ――
俺が神として祀られてから、長い年月が過ぎた。
教会は白亜の石で築かれ、天に届く尖塔には俺を象った像が立っている。聖典には俺の言葉が記され、神官たちはそれを「絶対の真理」として朗読する。各国にある都市には本部教会があり、部下の天使達が常住している。
人々は祈り、救いを求め、畏れ、感謝する。
だが、俺は今日は“ただの人間”として地上を歩いていた。
フードを深く被り、剣を一本腰につけただけの旅人。魔術で顔を変えているため、誰も気づかない。
この世界で「全知全能」と崇められる存在が、今、埃まみれの石畳を踏みしめているなどとは。
神になっても、俺は人間だ。
人の営みを、自分の足で確かめたかった。
その日、俺が立ち寄ったのは、小さな教会だった。
本部教会とは比べ物にならないほど質素で、壁には修繕の跡が残り、鐘楼の鐘もひび割れている。
「神父様。この教会は本部と比べて随分と小さいですが、不自由はないのですか?」
教会関係は天使とハルに任せており、俺は報告された内容しか知らない。報告された内容が実施されているかの確認も込めて、案内している、神父に質問してみる。
「はい。大丈夫ですよ。ここは小さな村ですから、孤児は少ないですし、食料や 衣服など生活に必要な物は本部の教会から送られてきますから。」
案内の途中で敷地の片隅で木剣を振っている少年の姿が、俺の目を引いた。
年は……十か、せいぜい十一か。痩せてはいるが、姿勢がいい。振り下ろす動作は拙いが、無駄が少ない。
俺は無意識に足を止めていた。
「……その振り方、誰に教わった?」
声をかけると、少年はびくりと肩を跳ねさせ、こちらを振り返った。警戒心と知性が同時に宿っている目だ。
「……誰にも。聖堂の裏にあった古い絵を、真似してるだけです」
壁画か、古い英雄譚か。普通の子供なら、意味も分からず振り回すだけだろう。だが少年は“構え”を理解している。
「名前は?」
「……レオンです。教会の孤児です」
淡々とした口調。そこに卑屈さはないが、諦めが滲んでいる。
俺は腰の剣を軽く叩いた。
「剣、好きか?」
「……好き、だと思います。でも、意味は分かりません」
その答えに、思わず笑ってしまった。
「意味なんて、後からついてくる。‥‥よし、少し教えてやる。暇だろ?」
少年は一瞬だけ迷い、それから小さく頷いた。 教え始めて、すぐに確信した。
こいつは、異常だ。
飲み込みが早い、という言葉では足りない。一度見せただけで、動きを分解し、再構築している。
「そこ、重心が前だ」
そう指摘すれば、次の一振りで完璧に修正してくる。理由を説明していないのに、だ。
「どうして、今の動きにした?」
試しに聞いてみると、レオンは少し考えてから答えた。
「さっきの動きだと、腕に力が入りすぎてました。だから、足から動かせば、剣が軽くなると思って」
……理屈まで合っている。俺は無意識に息を呑んだ。
英雄。いや、英雄“並”ではない。正しく導けば、人類史に名を刻む存在になる。
それほどの才能が、こんな小さな教会の裏に埋もれている。
「……なあ、レオン。神は好きか?」
唐突な質問に、少年は首を傾げた。
「嫌いではありません。でも……遠いです。‥‥‥みんな、神様は偉大で、正しくて、完璧だって言います。でも、孤児の僕には、話しかけてはくれません」
胸の奥が、わずかに軋んだ。
俺は、確かに“管理者”として。好き勝手やってきた。だが、素朴な子供に言われるのは胸が苦しくなる。
「もし、神が目の前にいたら、何を言う?」
そう聞くと、レオンは真っ直ぐに俺を見た。
「……ちゃんと、人を見てほしいです。遠くからじゃなくて、同じ場所で」
その言葉は、剣よりも鋭く俺を刺した。
夕暮れまで剣を教えた。
最後に、試しとばかりに模擬戦をしたとき、俺はわざと一瞬だけ隙を作った。普通の子供なら、気づかない。
だがレオンは違った。迷いなく踏み込み、俺の喉元で木剣を止めた。
「……今の、勝ちです」
自信ではなく、事実として告げる声。俺は笑った。心から。
「そうだ。完璧だ」
少年は目を見開き、少し照れたように視線を逸らした。
「また……教えてくれますか?」
ああ、と俺は頷いた。神としてではない。管理者としてでもない。
一人の剣士として。
一人の人間として。
「約束だ」
レオンは、その言葉を宝物のように胸に抱いた。
後にこの少年が、人類史における“最初の英雄”と呼ばれることを、この時の彼は、そして俺自身も、まだ知らなかった。




