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スクープ オブ・ザ・デッド

「金を出せ」


 俯いて書類に記入していた女銀行員は、低く響く声に驚いて顔を上げた。帽子を深くかぶり、サングラスとマスクで顔を覆った男が、無骨な銃口をこちらに向けている。空気が一瞬にして冷え込んだ。幸いにも、この時間帯、銀行内には客の姿がなかった。


「金を出せと言っているんだ」


 男は苛立ちを露わにしながら、銃口をわずかに前へ押し出す。

 銀行員として、大金を日常的に扱うこの仕事を選んだとき、こういった状況に遭遇する可能性は常に念頭にあった。訓練も受けている。だが現実を目の当たりにすると、さすがに全身が緊張で固まる。


「この袋に詰めろ。ありったけの金をだ」


 男は大きな布袋をカウンター越しに突きつけた。その勢いに押され、銀行員の手がぎこちなく動き始める。

 抵抗して命を落とすリスクを負うことはない。これは自分の金ではない。銀行を守ることに命を賭ける理由もなければ、その義務もない。ただ、一刻も早くこの状況を切り抜ける。それだけだ。


「いいか、妙な真似はするなよ」


 男の声が低く響く。


『妙な真似をしているのはどちらかしらね』


 銀行員は心の中で小さく吐き捨てるが、表情には出さない。黙々と作業を続ける中、ちらりとカウンター下の非常ボタンに目を向けた。これを押せば警察に直通で連絡が行く。だが、その選択肢は頭から追い払った。刺激せず、金を渡せばすぐに出ていくだろう。その後ボタンを押せばいい。


 ところが、運の悪いことに、そこへ客が入ってきてしまった。

 強盗と客の顔が同時に曇る。


「ごっ、強盗!?」


 客は目の前の状況に叫び声を上げ、慌てて入口に向かおうとする。

 その瞬間、乾いた銃声が響き渡った。


「ひぃぃぃ!」


 客は悲鳴を上げ、その場で腰を抜かして床に尻もちをつく。


「動くな。おとなしくしてろ!」


 強盗が低い声で脅しつけると、客は震えながら頷く。しかし、その銃声が外の空気を変えた。騒ぎを嗅ぎつけたように、周囲のざわめきが急速に膨らんでいく。


「ちっ」


 強盗は舌打ちし、状況の悪化を悟る。もう時間はない。焦りを隠せぬまま、銀行員に銃を向け直した。

 銀行員は震える手で金を布袋に詰め、やがてそれを強盗に手渡した。だが、その瞬間だった。

 入口のドアが開き、大勢の人々が銀行の中に押し寄せてきた。


「まさか警察か!?」


 強盗は動揺しつつも、反射的に銀行員を引き寄せ、その体に銃を突きつけた。銀行員は顔を引きつらせたまま動けずにいる。


「寄るな! おれは本気だ、撃つぞ!」


 だが、不思議なことに、新たに現れた人々はまったく動じる様子がない。それどころか、一人の男が落ち着いた声で言った。


「いえいえ、私たちは警察ではありません。この格好を見てください」


 強盗は怪訝な顔で集団を見回した。確かに、彼らの中に警官の制服を着た者はいない。代わりに、全員がマイクや照明、大型のカメラといった撮影機材を手にしている。


「お前ら、いったい何者だ!」


「私たちですか?」


 集団の一人が、胸を張って答えた。


「記者団です!」


 強盗は一瞬言葉を失った。


「私たちは、日々スクープを追い求める者たち。そこへ銃声が聞こえてきた。もう、じっとしていられませんでした。これは大スクープの予感! このチャンスを逃すわけにはいきません!」


「ふざけるな! 動くなと言っただろ!」


「もちろんですとも。撮影が終わるまでは、命を懸けてもここを動きません」


 強盗の苛立ちは頂点に達していたが、ここで足止めを食うわけにはいかない。袋を掴み直すと、出口へ向けて走り出す。


「邪魔だ、どけ!」


 だが、銀行の入り口は撮影機材を抱えた記者団で埋め尽くされていた。強盗は銃を振りかざしながら怒鳴るが、記者団は全く怯む様子がない。むしろカメラを構え、堂々と彼にレンズを向けていた。


「いやー、いいアングルですね。もっと感情を表に出してください!」

「その金の袋を高く掲げると、ドラマチックですよ!」


 強盗は理解が追いつかず、ただ苛立つばかりだった。


「はい、こちらを向いてください。そうそう、その表情、いいですね! もう少し右に傾けて!」


 記者団たちは一向に退く気配を見せず、むしろ強盗に近づきながら指示を飛ばし始める。


「それで、どうしてこんなことを? 職を失ってお金に困っているんですか?」

「盗んだお金は、何に使うつもりです? 家族ですか? 趣味ですか?」

「成功したら、最初に誰に報告したいですか?」


 矢継ぎ早にどうでもいい質問を浴びせられた強盗の顔が、みるみる怒りで赤くなる。


「黙れ! 近寄るな! 撃つぞ!」


 銃を振り上げ、叫んだ強盗の声が銀行内に響き渡る。しかし、その威嚇もまるで効き目がない。

 むしろ、騒ぎを聞きつけた別の記者やレポーターたちがさらに集まり、周囲は人で溢れかえる始末だった。皆どこか興奮している様子で、次々と声を張り上げる。


「発砲した後の今のお気持ちを一言、お願いします!」

「銃口だけでなく、顔もこちらに向けてください。最高のアングルで撮りますから!」


 強盗の苛立ちは最高潮に達し、とうとう耐えきれず目の前の男に銃口を向けた。そして、引き金を引く――乾いた銃声が響き渡る。


 どよめきが起きた。


「山田くんが撃たれたぞ!」

「カメラ! カメラ! 撃たれた瞬間、撮れたか?」

「山田、お前、命をかけてスクープを作るなんて偉いぞ!」


 その様子に、強盗は目を丸くした。足に銃弾を受けたはずの男――山田と呼ばれる人物――は、痛みに顔を歪めてはいるが、手ではピースサインを出している。周囲の記者たちは、驚きや恐怖ではなく、興奮と称賛でざわめいているのだ。


「山田くん、コメントお願いします!」

「撃たれた時の心境を教えてください!」


 そればかりか、カメラマンたちはなおも強盗に詰め寄り、次々と質問を投げかける。


「あなた、これが初めて人を撃った経験ですか?」

「差し支えなければ、年齢と職業を教えていただけますか?」

「その攻撃性はビデオゲームの影響ですか?」


 強盗は立ち尽くした。なぜ彼らは怖がらない? どうして逃げない? その答えに気づくのに、時間はかからなかった。彼らの表情は真剣そのものだ。ふざけているわけではない――自分たちの仕事を全うするため、必死になっているのだ。


「うあああああああ!」


 強盗は叫び声を上げ、半狂乱で銃を乱射した。銃弾のいくつかは記者やカメラマンをかすめたり、機材を撃ち抜いたりしたが、驚くべきことに彼らは誰一人として怯まない。それどころか、カメラを握る手がますます力強くなる。


「いい画だ! ちゃんと撮れてるか?」

「すごい迫力だな。これ、今夜のトップニュースだぞ!」

「あなたにとって『強盗』とは一言で言うと何でしょうか?」


 強盗は完全に気が狂いそうだった。今強く思うのは、ただ、この異常な集団から逃げ出したい――それだけだった。しかし、金の入った大袋が足元のカメラ機材に絡まり、うまく動けない。強盗は仕方なく金の袋を手放し、叫び声を上げながら人ごみを押しのけて逃げ出した。


「あっ、どちらへいかれるのです?」

「君、それで民衆が満足すると思っているのか!」

「逃げる顔、最高だ! もっと情感を出して!」

「最後に一言!」


 カメラマン達は強盗の後をどこまでも追いかけてくる。あの重い撮影機材を抱えながら、よくもまあと思えるほどの速さで。強盗はただ、全力で駆け続けるしかなかった。


 数時間にも及ぶ大マラソンの末、ようやく警察に取り押さえたれた強盗は知った。世の中で本当に怖いのは、強盗でも警察でもない。命を懸けてスクープを追う『報道』という名の怪物なのだと――。

最近は、スマホ片手に投稿ネタを集める民衆の方が怖いかもしれませんね。


連載している小説もありますので、よろしければどうぞ。

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