太陽を憎んだ研究者
処女作です。
色々拙いところもあるかと思いますが、広い心で指摘していただけるとありがたいです。
「明日、世界が滅亡する」
突然全世界にこの情報が広がったら、人類はどうするのだろうか。
政府はこの情報をデマだと宣言するのかもしれない。おそらくどのような機関や企業も平時と変わらずにその日を過ごすのであろう。
そしてそれは、ほぼ全ての人にも当てはまる事だと思う。もちろん私もその大多数の人間の一人であるはずだった。
いわゆる世界滅亡の日は、ただ過ぎて行くと思われていた私の人生を語る上で欠かせない日となったのだ。
世界滅亡の前日、私はベッドの上で惰眠を貪っていた。
人生で最高の瞬間とも言うべき時に終わりを告げたのは、日光でも、けたたましいような目覚まし時計でもなかった。
ダラダラと無意味につけていたはずのテレビであった。
そこには「明日、世界が滅亡する」と題されたニュースが流れていたのである。
何と馬鹿なことを。おそらく、このニュースを見たほぼ全ての人がそう思ったに違いない。
何せ、滅亡理由も分からない情報を間に受けて全財産を使い果たしたとしても、滅亡しなかったら目も当てられない。
私は一抹の不安を感じながらも、友人や両親と最後の時を待つという選択をせずにその日を迎えたのである。
滅亡の日の朝、目覚めたら外がやけに暗いことに気がついた。外に出てみると真夏だというのに秋のような肌寒さを感じた。
空を見上げると、さんさんと輝いて人々を照らしているはずの太陽がそこにはなかった。
ネット上では人々の混乱がよく分かった。テレビでは、お偉い学者さんたちがこぞって原因解明や人類の今後について真剣に話している。
私はそのような混沌としていく社会を見ながら、首を吊った。
***
時を遡ること数十年、私は当時小学生であった。当時から希死念慮のあった私は散々死にたいと言っては周囲の大人達を困らせるような子供であった。
今になって思うと、子供の頃の私が周囲の大人達に構ってほしいがために出た言葉であった。もちろんその言葉の効果は絶大で、大人達はやれカウンセラーだ、やれ病院だなどと反応してくれた。
元々、両親から十分構ってもらっていたにもかかわらず、私は更に心配してもらえるようにこのような言葉を発していたのである。
大人達から心配され、気を良くした私はより心配されようと、学友達からいじめを受けたのだと口にした。
もちろん火のない所に煙は立たないので、いじめとも、おふざけとも受け取れるような友人の言動を例に挙げ、大人達の注目を集めた。
ますます気をよくし、調子に乗った私は、両親に学校にいきたくないと言った。
怒られた。当然認められるだろうと思っていた私の子供じみた要求は通らなかったのだ。
そこで私は、いじめを免罪符に要求を通そうと考えた。
怒られた。両親は私に引きこもりになって欲しくなかったのであろう。当時普通と見られていた道に進んで欲しかったのであろうと今ならわかる。
一方、免罪符を使ってまでしても要求は通らなかったので、私の思考は両親がおよそ思い付かなかったであろう所まで飛躍していた。
学校に行かなくてはならないのなら通う学校が消えてしまえば大人達も行けと言わないだろうと。
そう、当時の私は通っている学校を物理的に消してしまえば、学校に行かなくてすむと考えたのである。
何と小さく狭い世界で考えていたのであろうか。
しかし、私は必死だった。
元々は大人達の関心を買うという目的が、手段に固執するあまり、学校に行かないという目的に変わっていることにも気づかず、ただただ必死だった。
理科の授業で虫眼鏡で日光を集めて、黒い紙を燃やす実験があった。
当時の私には日光で紙が燃えることは画期的な方法であった。すぐに学校を黒い紙を使って燃やそうとひらめいた。
思いついたら即実行である。何かの授業で配られた小さい紙を鉛筆で黒く塗りつぶし始めたのである。
授業中や休み時間にかかわらず、学校にいる間は塗り続けた。家に着いたら遊びたかったので紙を持ち帰らなかった辺り、実に小学生と言えるだろう。
約三日間塗られ続けたそれはヨレヨレで、深い黒であった。風で紙が翻っても良いように両面を塗りしきり、満足した私は実行日と場所、方法について考えた。
そして決まった計画は簡単で、犯人が誰であるかがバレることなく校舎を全焼させることができると思い込んでいた。
私の学校には、都合のいいことに校舎の側に花壇があった。そこで、日光で紙に火をつけ、花草に燃え広がらせることで校舎に火を移すという算段であった。
次に実行日である。これは天気予報で晴れの続く日を選べばよかった。幸い時期は七月だったので実行日には困らなかった。
私のすることもただ黒いヨレヨレの紙を一枚花壇に落とすだけであった。
当時は燃えたとしても、すぐに夏休みが来ることや、通う場所が別の小学校になるだけ、といったことは分からなかったのだ。
なので黒い紙を花壇に落とす時は、正に天にも昇る気持ちであった。達成感と義務から合法的に逃れられる喜びでいっぱいだった。
実行日から二日経ち一向に紙に火がついた様子がなくても楽観的でいられる程に、馬鹿で浮かれていた。
しかし、一週間経っても熱心に塗った紙が燃えないことに怒りを覚えた。真剣に考え実行した計画が、太陽の光が弱い事で失敗しているのだと思っていた。
私は、一定以上の熱が与えられれば、紙の中の着火メーターなるものが次第に上昇していき、いづれ火がつくと信じていたのである。
理科の実験では虫眼鏡で日光を一点に集めていた。それでも紙を十分に黒くすれば、虫眼鏡を用いなくても長時間日光に晒すことで紙は燃えると思っていたのだ。
いづれにせよ、日光のその弱さが原因と認識していた私は、次第に太陽を憎むようになったのである。
太陽を憎むようになった私は太陽を世界から消してしまいたかった。
その考えは希死念慮の強かった私からすると緩やかな自殺のように見え、都合が良かった。
しかし、私は馬鹿だったので方法がわからなかった。そこで私は勉強をした。勉強をすれば何かいい考えが浮かぶと思っていた。
勉強をしながら社会について知ることで、神になることを思いついた。
仮想空間に現実を再現し、せめてそこの太陽だけでも消そうとしたのである。
それにはいくつか課題があった。話題とならない事とそこが仮想空間であることである。
私は大学生にして、劇場型犯罪のような心中を望んでいたのだ。
より事件性が増すため、巻き込む人は多ければ多いほどよかった。残された人々がこの大量死の犯人が私だと知らなくてもよかった。
兎にも角にも、現実を再現した空間がなくては話にならないので、友人に頼み込み数ヶ月かかって望み通りの仮想世界を共同で作り上げた。今の私からすれば完璧には程遠かったが、学生にしては十分すぎる出来であった。
更に仮想空間や人の神経回路などに詳しい大学の先生達も巻き込んだ。
大学卒業後も仮想空間関連の会社を立ち上げ補助金をもらいながら、遂に人の意識を完全に仮想世界に移す装置が完成した。
約六年かけて作った装置は安全性が疑問視されたが、不老には抗えなかったのか飛ぶように売れた。
私自身がテレビで意識を移して見せたのもよかったのかもしれない。また、好きな時に現実世界に戻れることや、大学が装置の開発に携わっていることも功を奏したのであろう。
しかし、私の望みは劇場型心中であり、太陽を消すことである。
ただこの装置を売るだけでは願いが叶わないので、仮想世界のプログラムをいじることにした。
発売日から五年後に太陽を消すコードを仮想世界のプログラムに紛れ込ませた。
太陽が消える日に現実世界に逃げられては困るので、発売日から千日後に現実に戻るプログラムが機能しなくなるようにこっそり書き換えた。
六年もの集大成をこのような形で終わらせることに友人や先生達への罪悪感はあったが、むしろいたずらをしたような達成感さえあった。
現実に戻れなくなった日、世界は混乱した。大量の人が突然、現実世界から消えたのだ。様々な支障をきたしたが、ネットで繋がっていたので次第に日常に戻っていった。
その日以来、仮想世界の中では、この世界は滅びるのではないかと多くの人が噂するようになった。
当然である。彼らがいる世界自体が現実世界で物質的に存在していない上に、突如、世界を行き来できなくなったのだ。仮想世界ごと消えてしまうという不安を抱えていたのであろう。
私たちの会社は現実世界に戻れないことをプログラムの不具合とした。
仮想世界が消えると言う不安には、全世界に無数に売れた装置と、大学の研究室にある大本のパソコンが全て破壊されない限り消えないと説明した。この装置は永久電池を採用しているため、あの世界は比較的安全なのである。
このようにして、次第に現実に戻れない仮想世界に慣れてきた人々は、この世界は半永久的にあるものと思い込むようになってきたようである。
ここまで見事に願いを叶えつつあった私だが、これではただ仮想世界が大量の人を巻き込んで滅ぶだけであることに気がついた。発売から五年が経つまで後半年という時に私は、私が小学生の頃よりも今この瞬間まで劣っていたのだと思い当たったのだ。
もうすぐ齢三十にもなろうかというのに、ほんの十年程しか生きていなかった馬鹿な私に目的達成のための計画作成能力で負けていたのだ。
幸い、劇場型心中のために必要なことは、世界滅亡前日に匿名で警察やマスメディア、政府等に「明日、世界は滅亡する」と送るだけであった。
しかしただ送るだけでは信憑性がないのは明白である。なので、特徴的な用紙とマークを用意して殺害予告をした。
二人殺した。最初の一人を殺すのには勇気が必要で、殺害後も気分が悪かった。
二人目でもやはり慣れなかった。もう二度と直接人は殺したくないものだ。
ただ、殺人の前後以外は基本的に高揚していた。
私が今、正にしていることは劇場型犯罪であり、よくミステリーの題材にされるそれである。当時私はこのように考えながら計画を進めていたのである。
この一連の殺人で私が確信したことが一つある。
それは、このようなことをし、更には大量の人を心中に巻き込もうとしているこの私が、普通の人であるということだ。
私が、電車で通勤している疲れ切った社会人や、自分の未来を夢見る中高生、幸せ絶頂の新婚夫婦といった人々と何も変わらない存在であるということだ。
実を言うと、それまでの私は三十近いというのに自分を特別な存在だと思い続けてきた。小学生の時くらいしか失敗らしい失敗をしてこなかった所為である。
およそ全てのことがうまく行き、私の心中計画も後は紙を送るだけである。
このような時に他者が自分と同じような存在だと、ようやく知ったのである。
この計画は十年以上前に始まり、五年前にはもう後戻りできない所まで来てしまったのだ。
今更、思いとどまることは出来ないので予定通りに犯行文は送るつもりだが、同時に懺悔として犯行動機を綴り、全世界に公開することを決めたのである。
これから、私は仮想空間内の自宅で私が犯してしまった罪を自覚した後、せめてもの償いとして一足先に首を吊ろうと思うのである。
私を恨み、憎む人は、どうか仮想世界の私の自宅に訪れてください。
家族や友人、愛した人にもう一度会いたいという人も私達の世界へ訪れてください。
私や私の友人達が死力を尽くして作った世界のプログラムを今から書き換えるのは大変だと思います。この後に記されたコードを用いて、私達の世界を複製してください。
このコードは仮想世界をただの物体的存在として複製するので破滅は止められませんが、故人を慈しんだりすることはできると思います。複製された世界では、私が後からプログラムに変更を加えた部分は自動的に除去されているはずです。
不安ならば私の友人達に問い合わせてください。
臼杵 茉衣
***
俺がその事件を知ったのは、まだ五歳の頃だった。当時、物を知らなかった俺は、なにやら大事件が起こったらしいという認識だったが、大勢の大人達が悲しんでいたのを覚えている。
後で両親に聞いてみると、どうやら世界中で半月ほどどのテレビ局もその事件ばかり取り上げたようである。
十年も前の事件をわざわざ調べて感想文を書けという宿題は正直意味がわからなかったが、調べ始めてほんの数分でこの宿題を出した先生の意図は理解できた。
先生はこの重大事件を知って欲しかったのであろう。だから世界人口の約半数にも上る犠牲者を出したこの事件を、もうすぐ中学を卒業する俺たちに夏休みの宿題として送ったのだ。
俺は別にこの事件の犯人のように、希死念慮があるとか承認欲求が特別強いといったことはなかったのだが、なぜだかこの犯人の遺書とも呼べる犯行動機は理解できた。
事件を調べた時の衝撃は大きかったのだが、特に感想を持たなかった俺はこの遺書と犯人である臼杵茉衣について感想文を書くことにした。
書いたのはこの犯人自身も述べていた、彼女が普通の人であると言う点だ。
このことに関して何も疑いなく受け入れることができたので、「彼女は普通の人だったと思いました」「彼女のような普通の人でもこのような大事件を起こすことができると思いませんでした」のように記してなんとか書き上げた。
一目でやる気のない感想文だとわかるが、それでも面倒くさい宿題筆頭の感想文を終えたので気分が良かった。
夏休みが終わり朝の会が始まると、先生がいきなり宿題の感想文を各班内で読みまわそうと言い出した。
どうやら感想文を書いてきてない人もいるようだが、先生は気にしてないみたいだった。
「読み回したら、事件に関して思ったことを適当に話し合っといて」
そう言って先生は教室から出ていった。
うちの担任は、夏休みの宿題を集める時間の大部分を例の事件にあてるつもりらしい。俺たちはお互いの感想文を回しあった。
班のメンバーの感想文は、皆似たり寄ったりで出来がよくはなかったが、一人一人事件に対して異なる見方をしていた。
一人はこの事件の犯人を、自分自身を普通の人と思いたかった異常者と見ているようだった。また、犯人の遺書のようなものを犯人の独りよがりとさえ思っているようだった。
俺とは認識が正反対なので、新鮮だった。
個人的に面白いと思ったのは、犯人は加害者であり、被害者であると書かれていた感想文だ。そこには、犯人は過去の彼女自身に殺されたとあった。
彼女は自殺をしたので、何を言っているか理解するのが難しかったがなんとか理解できた。要するに犯人は彼女があの世界のプログラムを書き換えたという過去の選択によって、自殺に追い込まれたと言いたいみたいだ。
それでも俺は、犯人は加害者でしかないと思うのだ。人は皆過去の選択に囚われながら生きているのだから、彼女の最後だけを見て犯人は被害者というのはあまりに早計な気がするのである。
先生が戻ってくるまでしばらく話していると、教室の扉がガラリと音を立てた。そこには担任とうちの学校の制服を着た見慣れない生徒がいた。
どうやら転校生らしい。しかし、すごい時期に来たもんだ。受験が控えるこの時期に、こんなど田舎まで。
臼杵大樹。転校生はこう名乗った。話を聞くにどうやら親の仕事の都合で東京からここまで引っ越してきたようだ。
それから俺たちが彼を例の事件と結びつけるのは早かった。苗字が同じなのである。
むしろ、事件について話した直後の俺たちが彼と犯人を結びつけて考えないのは不自然すぎるほどに自然だった。
彼は俺たちが彼と犯人を結びつけて考えたのが分かったのか、単に馴染めなかっただけなのかは分からなかったが、常に一人でいた。
転校生という珍しいイベントを見にくる人もそれなりにいたのだが、全て無視していた。
転校生がきて一ヶ月もすれば、俺たちは彼が一人でいることに慣れてきた。
それからしばらくして、俺は地元の進学校に進学した。進学校といっても難関大に受かる人は数年に一人いればいい方で、大半が無名の私立大学に進学する地方の中堅高校である。
ある日ふと、俺は都会からやってきた転校生のことが気になった。友人伝いに彼のことを聞いて回ると、彼は県一番の進学校に通ってるようだ。
さすが都会出身だな、などと赤の他人同然の俺は得意になった。自分でも変な話だと思うのだが、なぜか誇らしかったのである。
俺はその後も無名私立大学を卒業し、地元の中小企業に戻るという中堅高校の王道ルートを辿っていた。
同窓会の日、俺は転校生の姿だけがないことに気がついた。当時の担任にそのことを尋ねると彼はもうこの世にいないと返ってきた。
どうやら、例の大事件が彼の死に関わってるらしい。
すでに数十年経ち、事件も完全に風化していてほとんど忘れていたので驚いた。なんでも彼の父親が犯人の兄だったみたいだ。都会では事件の被害者家族が多く、彼の母親が特に周囲の人々に非難され、嫌がらせを受けたみたいであった。
母親は彼のためにも、都会で何度も引っ越しをしながら嫌がらせに耐えていたようだが、中三の夏休みのあたりで限界を迎えたらしかった。
俺は数十年ごしに彼のおかしな時期の転校の真相を知ったのである。
嫌がらせは田舎に越したことで収まったみたいだが、彼が高校生の時には母親が精神病を患っていたようだ。
彼はその後も医学部に入り着々と彼の人生を歩み始めていたが母親が死に、長年のストレスも相まって飛び降りたそうだ。
このことを当時の担任から聞き、俺は感想文の存在を思い出した。確か、あの頃は事件の犯人を普通の人だと思っていたのだったか。時が経ち転校生の死を知り、犯人に対する認識が変わった。
今の俺はあの事件の犯人はまごう事なき異常者だと断言できる。彼女は世界初の仮想世界の開発者であって、疑う余地もないほどに天才であったはずだ。
現にあれから何年も経っているのに、今の仮想世界は未だ彼女の模倣でしかなく、仮想空間の技術発展はほとんど起きていない。
俺は今でもアニメや漫画のような技や魔法を使ってみたいものなのだが、現実は厳しいらしい。
兎に角、そんな天才であった彼女が家族のその後について一切考えないのはおかしいのだ。
俺に考えられる彼女が家族を顧みなかった理由は、家族がどうなっても良かったくらいである。しかし彼女の遺書で家族を嫌うような表現はなかった気がするので、少なくとも家族仲は悪くなかったはずである。
そうだとすると、彼女の遺書にあるように、彼女自身やその家族とそれ以外の人々とで全く別の存在だと考えていたに違いない。きっと、彼女は他者が神の如き存在である彼女の家族に、危害を加えることができないと思っていたのだろう。
このように考えると、俺はやはりあの犯人を普通の人ではなく異常者だと判断する。
彼女が何を思って普通の人と自身を評価したのか分からないが、俺が評するとしたらこう言おう。
「自身を神と勘違いした馬鹿な天才」
だと。
名前が語られなかった後半の男主人公ですが、実は彼は緒方裕哉という名前がありました。
この小説の中では、仮想世界は仮想空間に現実を再現したものです。
前半部分は特に意識してなかったのですが、「こころ」に大きく影響を受けた気がします。今回小説を初めて書いてみて、作者さんは気にすることが多いんだなと実感しました。小説を書かれている作者さんは皆本当にすごいと思います。
ここまで私の拙いであろう小説を読んでくださりありがとうございます。誤字脱字等の報告して下さると助かります。
余談ですが、「太陽を憎んだ研究者」の続編を書きました。「ただ長く苦しいだけの旅を生きる」という作品です。この作品が気に入りましたら、シリーズの方から見てくださると幸いです。