二、緊張
日本の武将は三國時代、洛陽に転送された。その頃、三國武将達は益州の州府・成都に転送された。
「おぉ、そこにいるのは曹操!今こそその首はねてくれん!」
「そういうは劉備!望むところだ。かかってこい!」
元々敵同士だった者達が同じところに集まったのだから、争うのは当たり前のことだった。そこへ、献帝が来て、こう叫んだ。
「今は国家存亡の危機であるぞ!そのようなときに仲間同士で争うでない!見苦しいぞ曹操!いつも朕はそなたの操り人形にされているが、今はそうはさせんぞ!」
劉備、曹操双方はお互い睨み合いながらも引いた。険悪な空気になりながらも、このままでは負けかねない。即座に軍編成・政治編成にかかった。
「まず曹操を魏王、荊州牧にし、兵三十万を預ける。劉備を漢中王、益州牧にし、兵三十五万を預ける。孫権を呉王、揚州・交州牧に任命し、兵二十五万を預ける。そして、武将はそれぞれ元いた君主の下につけ。そして魏・蜀・呉以外の武将は朕が率いる。そして襄陽を漢の都とする。」
そして、漢の丞相(内政のトップ)に諸葛亮孔明。司空に司馬懿、司徒に賈詡、大尉に陸遜が任命され、(司空、司徒、大尉を三公といい、丞相の次につぐ位)大将軍(武官の最高官位)に、呂布、関羽が任命された。その後も官職の任命は続いた。
一方日本では、天皇の力は衰え、右大臣である織田信長が全権を掌握していた。
「よいか!わしの命令に逆らう者は容赦なく切り捨てる!」
他の者達は歯向かう事もできず、ただひれ伏すことしかできなかった。信長は続けてこういった。
「これから領地を決める!司隸はわしの領地とし、本拠とする、そして幷州に柴田勝家、兗州に羽柴(豊臣)秀吉、冀州に徳川家康、豫州に明智光秀、徐州に佐久間信盛、青州に丹波長秀、幽州に武田信玄、雍州に前田利家、涼州に毛利元就を任命する。他の者達は好きな大名の下につけ。」
即座に大名達は任地に向かった。
「毛利殿、涼州は異民族の反乱が多い地。信長のやつ、重臣を豊かな州につけ、元々敵だった者達を反乱が多く痩せた州につかせている。これでは反乱など起こしようがないな。」
「どうしようもなかろう、武田殿。我らが信長の立場でもそうしてたであろう。時期を待つのが賢明ですぞ。」