一、招待
日本の元亀元年六月二十八日、姉川。織田信長の号令と共に姉川の戦いが開戦した。
「信長様!現在こちら側が優勢です!このまま押し切ればこの戦、勝てます!」
「おう、そうか。ではそのまま両翼を展開し、とどめを刺せ。裏切った浅井長政を必ず殺すのだ。」
信長は冷めた顔をし、静かに言った。その時、信長の顔に風にのってやってきた手紙がはりついた。
その手紙を見た信長は、口をあんぐりと開けたままになった。その内容とは、こういうものであった。
『安土桃山時代・織田信長へ。
これから貴公ら安土桃山時代の日本武将達は、中國の三國時代の武将達と戦ってもらう。3日後、中國に転送させる。
詳細
・武将は、日本は織田信長が京に入ってから豊臣秀吉が天下を取るまでに存在していた武将。中國は黄巾の乱から蜀漢滅亡まで存在していた武将とする。(兵器も同様)
・勢力争いは三國時代の中國。1.幽州、幷州、冀州、青州、兗州、徐州、豫州、司隸、雍州、涼州。2.揚州、荊州、交州、益州。※州に関しては地図参照。
1は日本軍。2を漢軍とする。1、2双方のメリットを紹介する。
1のメリット(1を取った場合、兵力二百万)
大都市の洛陽、長安、鄴、許昌などがあり、人口も多く、文化も華やかである。又、平地が多いため、物資の輸送がしやすい。1を取ると、国力は最強になる。
2のメリット(2を取った場合、兵力百五十万)
北と南を分断する長江や、漢中・益州にある絶壁や険山。まさに天然の要害である。また、揚州・荊州の者は水戦に慣れ、益州の者は山戦に慣れており、戦を有利に展開することができる。
・日本の武将には、中国の地形の特徴を脳にある程度インプットしておく。
・城の位置は元あった場所で、日本軍が領有する城は日本風。漢軍が領有する城は中国風にする(漢軍が日本軍の城を占領した場合、中国風の城に変わる。)。
・負けた陣営の武将は、全員死亡処分とする。
・日本軍総大将 正親町天皇
漢軍総大将 漢十四代目皇帝 献帝
時の支配人、Xより。』
その頃、三國時代にも同様の手紙が献帝にも届いた。