53.負の感情 [side アーサー]
恐らく先代までのフェンリルは、王族や神殿に囚われていたのだろう。
最初は大人になったサミュエルと共にやってきた、白装束に抱いた嫌悪感。
王都に向かう途中で遭遇した襲撃、あの時も本当ならば主から離れたくはなかったが、主に邪な心で近付く者どもへの見せしめとしてちょうどいいと離れてしまったのが失敗だった。
襲撃者達を上空へ飛ばして斬り刻むと、畏れを抱く者が増えたまではよかったが、突然不快な感情が流れ込んできて主に何かあったとすぐにわかった。
急いで戻ると顔色が悪い主の近くに死体があった、傷口を見てすぐに主がやったものだとわかり、主の胸に飛び込んでなぐさめる。
主の言葉から、どうやら賊の本当の狙いは主の命のようだった。
サミュエルがいるから大丈夫だと思っていたのに、これでは主を任せられぬ!
襲撃後の馬車の中でもサミュエルはグダグダとはっきりしない事を言っていた。
主に惚れているという事は味わう感情で我には丸わかりだ。
そして主も憎からずサミュエルを想っている。
マティスや双子達に対しては我と同じような好意を見せる、サミュエルへの感情は別格だった。
本人はあまり自覚がないようではあったが。
時々主に話しかける白装束は、魔導師の男と同じくらい気にくわなかった。
あいまいな態度のサミュエルも気にくわなかったが、主への気持ちや、主自身の感情が美味になるからまぁいい。
王都の神殿に到着すると、気にくわない白装束が主を案内する事が多かった。
神殿内は普段獣人の立ち入りを拒んでいるらしく、マティス達と引き離されて主も少々不安定になっているのが気にかかる。
そんな時、最初から気に食わなかったジョエルとかいう白装束が、余計な事を言って主の心を乱した。
どうやらサミュエルに婚約する相手がいるらしく、我がいれば身分も問題ないと言っても、そやつらが碌でもない奴らだと言っても主の気持ちは晴れない。
主は大抵、我を撫でていれば機嫌がよくなるのだ。
腹を見せてやれば喜々として我を撫で回す。
時々精神的に不安定になりながらも、無事にお披露目が済んだと思ったら王太子が現れた。
魔力を封じる魔法陣を使って我の力を奪っただけでなく、事もあろうに主を襲おうとした愚か者だ。
主の悲痛な感情が流れ込んできたが、すぐ近くにサミュエルの気配がしたので、あの時は少しだけ安堵で気が抜けてしまった。
魔力が奪われ、主の強い拒絶の感情にかなり負荷を感じた。
できれば今すぐに神殿を出て、集落なり他国なりに行きたかったが、主はまだサミュエルへの未練が断ち切れていない。
サミュエルの婚約者候補とやらも現れ、それ以降主の感情は酷いものだった。
意識して気分を上げても、気を抜くとどす黒い感情に満たされてしまい、そんな自分に嫌悪するというのを繰り返していたのだ。
魔力を封じられたわけではなかったから何とか保てたが、そんな主の感情は我の心身を確実に蝕んでいた。
王城に呼ばれた時には主に余裕はなく、我の不調を知れば余計に落ち込んでしまうのが容易に想像できるゆえに、平静を装うしかない。
マティスは気付いたようで、移動では我を抱き上げるなどしてくれたが。
だがしかし、状態が悪い時に来るには王城という場所は最悪だった。
欲望はもとより、憎悪に嫉妬、殺意に絶望などの負の感情が一気に押し寄せる。
平時であれば悪感情をむき出しにする者など少ない、しかし元王太子やサミュエル、そして二人の利権に絡む者が多すぎたのだ。
そしてダメ押しとばかりに、主の悲痛なまでの葛藤が流れ込んできた。
『……ッ! ぐぅ……っ、負の感情が……ァ……ッ』
本能的にわかった。
ブラックフェンリルに至る段階をひとつ解放してしまったと。




