92 人間の神秘を垣間見た
翌日になって冒険者ギルドに向かう。
ギルドが空いている午前中狙いだ。
目的はバンパイヤの依頼達成報酬だ。
まだ貰えてないからな。
それにバンパイヤの牙二つも、昨日ギルドに置いて帰ってしまっている。
全てアオのせいだな。
受付嬢の言葉で、上位種のバンパイヤの牙ってことは分かったが、それが買取りしてくれるのかが不明のままだ。
俺はギルドに到着して直ぐに、受付けへと足を向ける。
しかしそこで会いたくない奴に出会ってしまった。
「おはよ、魔王」
その言葉を聞いて背筋が凍りそうになる。
声のする方を見ればアオが立っていた。
俺は出来るだけ平常心を心掛けて、アオの前にしゃがみこむ。
そしてアオの頭に手を置くと、低い声で言ってやった。
「固形物が喉を通らない様にしてやろうか?」
「魔王、恐い、恐い」
こいつに脅しは駄目らしい。
ならばちゃんと教えてやるか。
「人間にはな、言って良い事と悪い事が――――」
怒りが込み上げていたのだが、話の途中でアオの表情を見て言葉に詰まる。
アオが笑っている。
あの無表情のアオがである。
これは紛れもなく笑顔だ。
初めて見るアオの感情表現。
俺の脅し文句が何故かツボに入ったようだ。
それを見てしまったら、俺の怒りは一瞬で消えていった。
俺はただただ、アオの笑顔に見いってしまった。
受付のお姉さんまでがカウンターから出て来て、俺の隣でしゃがみこんでつぶやいた。
「アオちゃんも、こんなに可愛らしい笑顔が出来るんだね」
受付のお姉さんも、つられて笑顔になっている。
何だ、このほんわかした空気は!
長く人間社会に溶け込んで生きてきたが、こんな空気感は初めてだ。
そこへ受付のお姉さんが問い掛けてきた。
「この笑顔を見ていると、何だか幸せな気分になるわね。ライ君もそう思うでしょ?」
同意を求められているが、魔物である俺にはどう返事して良いか分からない。
幸せな気分、か。
人間は感情が豊かだというが、人間社会で長く生活している俺でもまだ。理解が追いつかないところが沢山ある。
もしかしたら、今の俺のこの気持ちが幸せというやつなのか?
笑顔が人を幸せな気持ちにさせる。
どこかで聞いた言葉だ。
笑顔か……
人間という脆弱な生き物が生み出す神秘なのか。
俺は無意識のうちに笑顔を作ろうとしていたらしい。
そこでアオが急に無表情に戻り、ポツリと言葉を漏らした。
「魔王、変顔」
ぶち壊しだ。
俺の“幸せな気持ち”を返せ!
その前にその名で呼ぶな!
俺は気を取り直して受付で依頼達成の報酬を受け取った。
ついでに牙の買取値段を尋ねると、素材としての価値は無いが、バンパイヤの上位種討伐としての価値があるという。
つまり牙は討伐証明になるという。
その価値や金貨十枚!
すげえ!
指名依頼達成の報酬で金貨四枚、合計で金貨十四枚!
たった数日でこの稼ぎだ。
やっぱ冒険者稼業、悪くないな。
金を受け取ろうとしたら、何者かに袖を引っ張られる。
「私の取り分」
アオである。
そうか、二等分しなくちゃいけないのか。
俺は少し考えてからしゃがみこみ、アオの頭に手を置いて言った。
「良く頑張ったな。これで美味しい物でも買って帰れ」
そう言ってお金を握らせた。
すると今度は何者かに、背後から肩を掴まれた。
嫌な予感がする。
俺は冷や汗を垂らしながらそっと振り返ると、そこには恐い顔した受付けのお姉さんがいた。
「ライ君、いくら何でも銀貨一枚は酷いと思うよ?」
「あ、こ、これは、ちょっと間違えただけだ。算術は苦手でな。は、は、ははは……」
「ったく、魔王と呼ばれるのも頷けるわね」
やめてくれ、その名で呼ぶのは勘弁してくれ。
こいつらは知らない。
魔王の本当の恐ろしさを!
かつて魔王が一人で、人間の兵士千人を倒した話とか。
魔王に挑んだ英雄パーティーを返り討ちにした話とか。
人間の世界では、悪い話は語り継がれないからな。
だから魔王を騙る偽物が出たら、確実にその街ごと潰しに来る。
こいつらはそれが解ってない!
人間界の噂が浸透する早さは、魔物界とじゃ比べ物にならないくらい早い。
こうなってしまった以上、こうしちゃおられん。
少しでも抵抗する力を付けて、その隙に俺達だけでも逃げ出せる様に準備しないと。
それにバンパイヤのこともある。
間違いなく新たな刺客が来るだろうし。
これはオーク族長のオウドールにでも相談するか。
俺はアオにきっちり報酬の半分を渡して、一旦は家に戻った。
家に着くと、玄関前でオークの伝令兵が待機している。
俺が馬車から降りると直ぐに、オークの伝令兵が走り寄って来た。
そして俺の前でひざまつく。
「まお……ライ様に伝言があります」
一瞬だけ拳を握り締めたが、ギリギリセーフか。
「何だ、言ってみろ」
「はっ、偽魔王の情報が得られました」
ん?
“偽”魔王だと?
「どういう事か説明しろ」
「はっ、ドーズの街から来た商人によりますと、ドーズの街では“魔王が現れた”という噂が広がっているとの事です」
話を聞くと普通に魔王が現れたという噂で良くねえか。
何で偽魔王なんだ。
「その情報なんだが、何故に偽魔王だと言い切れるんだ。本物の魔王かもしれないだろ」
「何をおっしゃいますか。魔王様はお一人で御座います」
まさかこいつ……
「その前にひとつ良いか?」
「何でございましょうか」
「真の魔王とは誰だ?」
「何を今更、そんなのライ様に――――ふごおおっ!」
反射的に顔面を蹴り上げてしまった。
「良いか、よーく聞けよ。俺はライカンスロープ、魔王じゃない。重要な事だからもう一度言うぞ。俺は魔王じゃない!」
オークの伝令兵が、頭を地面に押し付ける勢いで謝ってきた。
「ひい~、申し訳ありませんっ」
何度言っても駄目みたいだし、これはやはりオウドールに直接会いに行った方が良いな。
ドーズの街での噂も気になるし。