176 悪逆のゾエと戦った
ゾエの配下である奴隷戦士の剣士とレンジャーが、こちらに向かって走り出す。
魔法使いの男は動かずに詠唱を始めた。
恐らくこの奴隷戦士三人はゾエのエサだ。
定期的に主人であるゾエに血を吸われないと、やがて禁断症状を起こす。
そして放って置くと死に至る。
早い話、主人がいないと生きていけない、まさに奴隷。
ハルトが剣士とレンジャーに対峙し剣を向ける。
リンが防御魔法をハルトに掛け、直ぐに血を流すヒマリに駆け寄って行った。
ヒマリは魔法使いだ。
魔法剣士のハルトや神官戦士のリンよりも、体力的に劣る。
同じ威力の攻撃を受けても、ヒマリはダメージの深さが違う。
ハルトが剣士とレンジャーと戦いながら俺に声を掛けた。
「ライ、一時休戦だ!」
もちろん返答は「了解」だ。
俺は“斬魂の短剣”を再び咥えると、ハルトの横をすり抜け後方で魔法を放とうとしている魔法使いに急接近する。
魔法使いの男が俺に向かって魔法を放つ。
風の刃が幾つも俺に迫ってきた。
しかし変身した俺の目には、そのひとつひとつが目で追える。
それら風の刃を爪で横へ弾いていく。
魔法使いの男はそれを驚愕の表情で見る。
並大抵の者が出来る芸当ではないからな。
そこで俺の口に咥えた短剣が、魔法使いの男の持つワンドもろとも腕を斬り飛ばす。
さらに床を蹴って回り込み、背中に深々と刃を喰い込ませた。
「ぐおおおおおお」
魔法使いの男は悲鳴のような声を上げて倒れ込む。
倒れた男は目をカッと見開いたままこと切れていた。
俺は視線を改めてゾエに向ける。
するとゾエは部屋の隅でこちらを見ながら拍手していた。
「思ったよりやるじゃないの。感心したよ。だけど残念ね、ライカンスロープは“エサ”には出来ないのよね。だから残念だけどここで死になさい」
ゾエが鞭を手に持った。
それを見て俺の野生の勘が警笛を鳴らす。
ゾエの手がブレて見えた。
ほぼ同時に俺はその場を飛び退く。
次の瞬間、細かい破片が飛び散り、先程まで俺が居た床がゴッソリと削られた。
避けてなかったら致命傷だ。
それを見たゾエが感心したように言う。
「驚かしてくれるわね。今のを避けるとはね。でも連続だとどうかしらね」
連続はマズいな。
俺はジグザクに走り回る。
するとゾエの腕がさっき以上にブレて、狼の目でもまともに見えなくなった。
こうなると俺も必死だ。
避ける動作に集中せざるを得ない。
直撃は無いが、俺の走る周囲の床や壁が次々に破壊されていく。
そこへ剣士とレンジャーを倒したハルトが割り込んだ。
「僕の居ることを忘れるなよ!」
そう言ってゾエに向かって斬撃を飛ばした。
しかしゾエは斬撃を気にした様子はない。
それどころか見もしない。
これは直撃する。
思った通りハルトの斬撃がゾエに命中した様に見えた。
だが何かに弾かれるように、ハルトの斬撃は跳ね返された。
鞭だ。
ゾエは鞭でハルトの斬撃を弾き返したのだ。
俺に攻撃を仕掛けながらだ。
弾かれた斬撃はハルトへと向かう。
「うわっ」
予想しなかった返し技に、ハルトの防御が間に合わなかった。
斬撃はハルトの腹を抉る。
「ハルト!」
リンの悲痛な叫び声が響く。
リンは直ぐに詠唱を始めた。
治癒の魔法だろう。
あの傷だと高レベルの治癒魔法じゃないと駄目だ。
ハルトは膝を突いて自分の腹の傷を見る。
「ま、まさか自分の技で怪我するとは思わなかったよ……うわあ、内臓が見え、て……る」
ハルトが言葉の途中で倒れる。
ゾエがそれを見て言った。
「驚いたわね、勇者ってこの程度なの。そうだとすると、ちょっとがっかりね。所詮は人間ってことかしらね」
俺は怒りが込み上げる。
その怒りを押し殺してゾエに向かって言い放った。
「ならばゾエ、貴様が所詮バンパイヤ程度だってことを今から思い知らせてやる」
ゾエは一瞬腹立たしそうな顔をするも、直ぐに笑顔を作り返答した。
「あ~ら、それは楽しみね」
さらに俺は怒りの感情の勢いに乗せて、新たに言葉を積み重ねる。
「それからひとつ言っておく。貴様程度のザコ魔物ならな、人間の力で十分倒せる」
何で俺はそんな事を言ったのだろうか……
ゾエが攻撃の手を止め、忌々《いまいま》しそうに言い放つ。
「口の減らないガキが生意気言ってんじゃないわよ!」
俺は人間の姿に戻る。
素っ裸になった俺は、奴隷戦士の遺体からマントを取り上げ腰に巻く。
ついでに剣も拾って右手に持ち、改めて斬魂の短剣を左手に持って構える。
「さあどこからでも掛かって来い、相手になってやる」
俺がそう言うとゾエは苛立ち気味に、再び鞭の連続攻撃を仕掛けてきた。
「舐めるんじゃないわよ!」
ゾエの手がブレ続ける。
人間の姿だと全く動きを追えない。
俺は見えない攻撃を勘だけで避けて行く。
だが接近しなくては勝機はない、それくらいは理解している。
俺は強引に距離を詰める。
大丈夫、全部避けてやる!
しかし何度か鞭が体を掠め、その度に皮膚は裂けて鮮血が飛び散った。
「口程にもないわね、血だらけじゃない」
ゾエが勝ち誇ったように言うが、それを無視して強引に接近する。
俺が近付くにつれて、ゾエの表情に変化が現れる。
焦っている。
自分の攻撃がまともに当たらないことに、苛立ちが隠せないでいる。
そして遂にそれを口に出す。
「避けてばかりじゃ勝負にならないじゃないの!」
そこである程度接近して分かったのは、鞭は近距離では当たりにくいし威力が落ちる、つまり接近戦には不利だということ。
それでゾエがイライラして声を荒げたのだろう。
突如ゾエが空いている左手を振り上げる。
氷の槍が何本も彼女の周りに出現する。
そして今度は左手を振り下ろす。
すると氷の槍が一斉に俺に向かって飛んできた。
魔法攻撃もしてくるか!
俺はそれらを躱していく。
鞭よりはましだ。
だが数が多過ぎる。
俺の肩の肉が削られた。
まだまだ!
俺はゾエに向かって走った。
右手の剣を振りかざして斬り込む。
短く持った鞭で受け流された。
左手の短剣を突き入れる。
ゾエの手がブレる。
鞭の取っ手で弾かれた。
やはり早い!
諦めずにもう一度剣を振るう。
今度は身体を捻るだけで避けられた。
ゾエの足がブレる。
マズい!
手元ばかり見ていた俺は、完全に隙を突かれた。
ゾエの足が俺の足元を蹴り飛ばす。
バランスを崩された俺はその場で激しく転倒。
倒れた拍子に右手の剣を手放してしまう。
すかさず俺の上にゾエが跨がる。
マウント状態だ。
俺は左手の短剣を突き出す。
ゾエは鞭を持ち替え、俺の短剣を持つ左手首を右手で抑え込む。
詰んだ。
人間の姿ではゾエを押し返す力はない。
ゾエが高らかに嗤う。
「ほ〜ほっほっほ。大した事無いわね。この状態でもまだ舐めたことを言える?」
完全に勝った気でいるようだ。
そこで俺は言ってやった。
「おい、勘違いするなよ。まだ終わっちゃいないぞ」
俺の言葉に眉間にシワを寄せるゾエ。
しかし直ぐに俺の言ったことを理解したらしい。
「まだ仲間がいたのか!」
殺気を感じとったのか、慌てて振り向くゾエ。
振り向いたその先には一匹の骨の狼が居た。
ボーン・ウルフだ。
俺が召喚の指輪で出現させた召喚魔物である。
ゾエにボーン・ウルフが襲い掛かった。
咄嗟にゾエは鞭を振るって、ボーン・ウルフを一撃の元に消し去った。
だが室内にはゾエの叫び声が響いた。
「ぎゃああっ」
ゾエの脇腹には、斬魂の短剣が突き刺さっている。
俺は抑え込まれた左手の短剣を右手に持ち替えたのだ。
そこで俺はつぶやいた。
「人間の恐いところはな、ずる賢いとこなんだよ」
そしてゾエの身体が燃え始めた。
その表情は最早人間ではなかった。




