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直違の紋に誓って  作者: 篠川翠
第三章 若木萌ゆ
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九州へ (2)

「長州の者たちは、供中でほとんど敵に当たらなかったそうだな。大壇で我々が苦戦している間、城下で遊んでいたというわけか」

 佐野は、二人の間に割って入った。

「遠藤、手伝え」

 剛介もはっと我に帰り、篠原を白井から引き剥がした。

「何をする」

 悪い酒だ。舌打ちしたいのを我慢して、剛介は首を振った。

「近所の者に、迷惑がかかります」

 もう、夜更けである。

「私に意見するとは、遠藤。会津者のくせに、随分偉そうではないか」

 篠原が、剛介を睨んだ。どこかで見たような目つきだ。

「それとも、西郷殿の奸計に乗るつもりか」

 無茶苦茶な理論だ。周りの先輩も、篠原の暴論に顔を引きつらせている。

「偉いお主に、一つ仕事をやろう」

 酔った篠原は、更に剛介に絡んだ。

「川路様から、地方の巡査も九州に出してほしいと電報が来た。お主が行って来い」

 しん、と場が静まり返った。この男の言葉に、逆らえるわけがない。それを皆が知っていた。

「そうだ。会津の罪を(そそ)いで来い」

 先程まで篠原と諍っていたくせに、白井が茶々を入れる。彼にとっても、会津の人間は所詮、自分の出世のための駒にすぎないのだろう。まして、二本松の人間がここにいるとは思ってもいないようだ。

 命が掛かるであろうことは、分かってはいる。だが、このままでは二本松で露と消えた者たちが浮かばれない。剛介の血が沸騰した。逆に、表情は能面のように静かである。

「明日にでも、向いましょう」

 

 夜番の者に酔った二人の介抱を頼むと、剛介は庁舎の玄関を出ようとした。

「遠藤」 

 剛介を呼び止めたのは、佐野だった。

「お主、あれで良いのか」

「はい」

 頷いた剛介の顔を見た佐野は、はっとした。この春巡査になったばかりの後輩の目には、暗い炎が浮かんでいる。物静かながら何か訳ありの男だとは思っていたが、このような情念を持っていたのか。

「錦旗に歯向かうものは、征伐しなければならないのでしょう。遠藤がそう言っていたと、白井様たちにお伝え下さい」

 内心とは裏腹に、剛介はそう言い捨てた。本当は、勤王という明確な主義を持っているわけではない。ただ、そう言っておけば無難であろう。

 皮肉が込められた剛介の言葉に、佐野は、黙り込んだ。かつて、会津もそう言われて、征伐の槍玉に上げられた。

「お主、本当は二本松の者ではないか」

 佐野の言葉に、剛介はそうとも違うとも、言わなかった。だが、その沈黙こそが佐野の求める答えだった。


 ***


 さすがに、篠原や白井の思いつきで翌日出立というわけにはいかなかった。それでも、酒宴から三日後には若松を発ち、九州に向かうことになった。

「どうして……」

 酒宴の日の夜、「九州に行くことになった」と告げると、伊都は泣いた。

「剛介様でなくてもよいでしょうに」

「仕事だからな」

 剛介は、努めて淡々と告げた。だが、戊辰の時と異なり、今度は、公儀のために戦うというつもりはなかった。強いて言えば、二本松に散った同胞の無念を晴らしにいく。会津の名誉のために、戦いに行く。完全に、私情が剛介を戦いに駆り立てた理由であった。

 ただし、二本松の実家には詫び状を送った。なぜか、今度の戦いでは死ぬ気はしない。だが、またしても心配を掛けることには違いない。

 静かに暗い情念を目に浮かべる義理の息子に対して、義父の清尚はため息をついた。どうも、単純に「仕事だから行く」というものではなさそうだとは、薄々察していた。だが、それを口にしたところで、薩長の上官から命じられた以上、この義理の息子は九州へ行くしかないのである。

「留守を気にすることはない。思う存分戦われよ」

「ありがとうございます」

 遠藤の家も、万が一の場合は貞信がいる。その事も、剛介にためらいを少なくさせていた。

 

 出立の前の晩。剛介が眠ろうとしていると、不意に布団にぬくもりの塊が滑り込んできた。伊都である。

(はしたない……)

 そう思いながらも、伊都は遠慮がなかった。

「剛介様。なぜ男の方たちは、戦わなければならないのでしょう」

 伊都が、布団の中で剛介の手を握りしめた。

 剛介は、妻の積極的な行動に驚いて、慌てて体を引いた。だが、伊都は剛介の手を離さない。

「せめて、私には本当の事を教えて下さいませ」

(どう答えるべきか……)

 一言で説明するのは、難しい。だが、この場に及んで嘘をついたり誤魔化したりするのも嫌だった。

「……義の為に」

「義……」

 夫の言葉を、伊都は繰り返した。

「薩長は、未だに東国を蔑んでいる。白井様や篠原様の言葉でよく分かった」

 日頃、愚痴を言わない夫にしては珍しい。よほど、腹に据えかねているのだろう。

「猪苗代で、私は命を拾った。それを無駄にしようとは思わない。だが、薩長の蛮行に目を瞑ったまま黙って生き延びるのも、また、義に背く。そのような振る舞いをしたら、亡き同胞はどう思うか」

 二本松で生きる人々の、「もう人が死ぬのを見たくない」という願いも、分からなくはない。それも、一つの在り方だ。だが亡くなった同胞らは、あの時、主君からただ言われるままに戦場に立っていたのではない。一人ひとりが二本松武士の誇りにかけて、二本松を守ろうとして戦に臨み、散っていった。それが武士というものだ。決して、鬼の子の集団などではなかった。

「私情ではある。だが、戊辰の怨みを晴らすには、今回が最後の機会となるだろうな」

 仮にも官吏の末席にある剛介には、よく分かっていた。もう、既に「藩」という単位は消滅し、帝を中心とした集権国家に移行しつつある。「国」と言えば日本全体を指し、戦と言えば相手は朝鮮や中国などになっていく。これからは、薩長とも手を携えて諸外国に立ち向かって行かなければならない。

 その前に剛介自身が、積年の思いにけじめを付けたかった。

「貞信の名前は、大壇で亡くなられた先生のお名前を頂いたのでしたね」

 伊都はそっと呟いた。その名は貞信の誕生の時に、剛介自身が名付けたのだった。家長である清尚を差し置いて、美しい文字で早々と書き上げた名前は、未だに床の間に飾ってある。息子と同じ名を持つ英霊や、かつての同胞たちの名誉のために、夫は戦地に赴きたいのだろう。夫は、やはり二本松の人であり、その事を忘れたことがなかった。そして、貞信という名前は、剛介が亡き恩師への思いも込めて、未来への希望を託した名前に違いない。

「あの頃は、先生のためなら、死んでもいいと思っていた」

 そう呟く夫の言葉に、伊都はぎょっとした。

 その気配を感じ取り、剛介は微かに笑った。

「今は違う。ただ貞信には、薩長に諂わなくても良い世を、この手で渡してやりたい。伊都」

 剛介は、妻の手を握り返してやった。

「私の我儘を、許してくれるか」

 そこまで言われては、九州行を認めるしかないではないか。

(ずるい)

 そう思いながらも、やはり誇らしい夫だと思った。

「伊都は、剛介様の妻ですから」



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