下長折 (1)
翌日、今日も学校の仕事があるという水野に付き合って早く起きると、剛介は一晩の宿の礼を述べた。官職についているとはいえ俸給はわずかだから、確かに助かった。
「武谷先生にお会いしたら、よろしく伝えてくれ」
水野は、出掛けに手短に伝え、そして続けた。
「あの話を、覚えておいてほしい」
それだけ言うと、慌ただしく支度を整えて仕事に行ってしまった。今朝も念押しをしていくところを見ると、どうやら本気なのだろう。
主の水野が出勤した以上は、剛介も出かけなくてはならない。水野の義母に厚く礼を述べると、東にある小浜街道へ足を向けた。
前にこの道を通った時は、母方の祖父の家に向かったのだったなと、思い出す。あの時は夏で太陽が照りつけるようだったが、今はすっかり畑も枯れ果てている。ただ、覚悟していたよりも、荒れてはいなかった。小浜の者は、西軍進軍の際にも特に抵抗らしい抵抗をしなかったため、土蔵なども綺麗なままであった。
道を針道方面にとり、下長折に向かう。辺りは、農家ばかりだ。その集落の中心に、やや新しい民家があった。なぜか、農村に不釣り合いな池まで庭に設えられている。
その池のほとりに、小柄な老人がしゃんと背筋を伸ばしている。佇みながらも、何やら書き付けているらしい。詩歌でも作っているのだろうか。
(父上……)
身なりは農民とあまり変わらないが、佇まいは武士そのものだった。
ふと、老人がこちらに顔を向け、視線が合った。
「剛介……」
落ち着け。
そう言い聞かせてみるが、息が乱れる。
父が歩み寄ってきた。姿形は随分変わってしまったが、一目で、行方知れずだった息子と分かったらしい。そして、父が眼の前まで来ると、剛介の方が、背丈が高くなっていることに気付いた。
「……よく、戻ってきた」
剛介を抱き寄せようとするその腕は、枯れ木のようだった。こんなにも、小さな人だっただろうか。剛介は、咄嗟に地面に土下座した。
「長いこと、生き恥を晒して……」
それくらいしか、詫びの言葉が出てこない。だが、半左衛門は笑って剛介の言葉をいなした。
「我が子が生きていて、喜ばぬ親がどこにいる」
磐根が言ってくれた通りだった。
家の中から、初老の夫人が出てくる。あれは、紫久だろう。かつてはきりりと結い上げていた丸髷にも、白いものが目立つ。剛介は、駆け寄って、思わずその手を握りしめた。
紫久は、大人になった息子を抱き締め、その胸に顔を埋めて泣いた。
***
家の設えは粗末だったが、剛介の家族は、どうにか食べて行けているようだった。
「渡邊殿が、随分と骨を折ってくれてな」
半左衛門が、小さく笑った。渡邊というのは、下長折の名主である。あの日、半左衛門自身は両社山が敗れた後、松坂門に転戦して丹羽内蔵助隊に合流した。そしてそのまま終戦を迎え、西軍の捕虜となり、塩沢村の萬福寺で謹慎させられた。今は嘯雲を名乗っている。
一方、兄の達は須賀川で治療を受けていたが、二本松の城下戦に間に合わず、須賀川にいた兵もそのまま捕虜となり、二本松に強制送還された。稔念寺にしばらくとどめ置かれた後、達は丹波直属の士卒とみなされたため、大平村に謹慎させられた。二人とも、自害しようにも官軍の目が厳しく、自害すら許されなかったという。
母の紫久はというと、結局米沢まで皆と一緒に行動したらしい。だが、藩主が米沢から二本松へ送られてから後は、帰還する者も徐々に出てきた。それらの一団に加わって、小浜の里を頼ったという。結局、三人が再会出来たのは、年も暮れようかという頃だった。
兄の口から丹波の名前を聞いた瞬間、苦い感情が蘇ってきた。ふと、三浦義制の言葉が思い出されたのである。だが、ようやく家族が再会できた今、口にすることでもないだろう。
「ところで剛介。そなたは今何をしておる」
懐かしい実父の口調には、わずかばかりの厳しさがあった。背丈が縮んで小さくなっても、相変わらず父は変わらない。
「会津で、巡査をしております」
その言葉に、半左衛門は複雑そうな顔をした。せっかく二本松に戻ってきたのに、という顔である。
「……まだ、隠していることがあるだろう」
厳しい声色に、思わず身をすくめる。さすがに、実の親の目はごまかせない。
「……会津で、遠藤清尚様の娘御を妻に致しました」
すると、半左衛門は破顔した。
「なんと」
どうやら、怒ってはいないようである。剛介は、ほっとしたと同時に拍子抜けした。
「お叱りにならないのですか?」
「まさか、達よりも早く嫁をもらうとはな」
そう言えば、この家には子供の気配がない。兄の嫁は、まだのようであった。とうに嫁がいてもおかしくないのだが、戊辰の役があったり、その後の廃藩置県の処分があったりで、生活に追われて嫁探しの暇すらないという。
「子供は?」
嬉しそうに、紫久が訊ねた。初孫の顔が、見たくてたまらないのだろう。
「もうすぐ、三つになります」
「まあ」
名前は何というのです?と問う紫久に、剛介はその名の重みを噛み締めながら、伝えた。
「遠藤貞信と名付けました」
その名を告げると、半左衛門が大きく息をついた。
「銃太郎殿の、真名だな」
「はい」
剛介にとっても、忘れられない名前である。
「良い名を付けた。きっとあの世で、銃太郎殿もお喜びになられるだろう」




