英語講師ヘンドリック=ヤラカンの憂鬱
私の名前はヘンドリック=ヤラカン。都内の大学に勤める英語の客員講師である。滞在中のこれまでの様々な出来事や失敗談を書いてみたい。
まず前提として述べておきたい。私の日本に対する興味はごく普通であったと思う。マンガやアニメに傾倒するオタクマスターたちに感化されるのを好まなかったこともあるが、実際に来日して浅学だったと感じたことは素直に反省したい。
日本に到着してすぐに、私はお世話になる工藤さんの家を訪ねた。夜の遅い時間になってしまったが挨拶だけはその日にしておこうと思ったのだ。
ドアを開けてくれたのは美奈子という小学生のお嬢さんだった(本当は中学生だったと後で知った)。「お夜分に失礼します。こちらご工藤さんのお屋敷ですか?」と訊ねたのだったが彼女はそこで目を見開いて固まってしまった。
焦って説明しようとしてジャケットから手紙を取り出そうとすると、彼女は突然泣き出して「Don't shoot, please!」と叫んだのだった。敬語の使い方を間違えた不幸な勘違いだったが今では仲直りしている。その証拠に英語のレッスンで訪問する時に持っていくデザートを彼女は快く受け取ってくれる。
大学では私も部活動に参加して書道を始めてみた。ひらがなの流れるような美しさにも惹かれたが、漢字のダイナミズムが気にいった。特に画数の多い文字の墨の黒と紙の白がせめぎ合っているのが堪らなく好みだ。
講義のときにそれを話したらある女子学生に「先生は『いか』って書けますか?」と聞かれた。烏賊は難しいと答えたら「簡単ですよ。にんべんにちからです」と言って彼女は笑って教室を出ていってしまった。首をひねりながら黒板にチョークで書いてみてようやくそれがカタカナで、彼女にからかわれたのだと分かった。
このように私にとってはカタカナが一番難しかった。英語のイントネーションとかけ離れているせいもあるだろう。セパタクロー同好会の江口功一君(彼は非常に悪筆だった)を帰国子女と勝手に思い込んで、実際に会うまでシエロ=エクー君と思っていたのも今では笑い話だ。
そして語彙が増えて耳が日本語に慣れてくると勘違いや聞き間違いが増えた。これは同音異義語や言葉の省略型が多いことも原因だろう。「デンセツのサムライが学校に来る」と聞いてわくわくして待っていたら桜井電設の社員がエアコンを直しに来て勝手にがっかりしたこともあった。
ただし「渋谷中(学校の同級生)のマキハラ」とか「バッチリ(メイクを)キメてるアスカがまた(ナンパに)捕まってたよ」とか聞いて誤解してしまうのは自分だけではないと思いたい。
また駄洒落は理解するのにかなり苦労させられた。「板前はそこにいたまえ」とか「ジャムおじさんがジャムを持参」とか聞いても同じ言葉を繰り返しているだけとしか思えなかったのだ。
それを美奈子に話すと「英語にも『電車に乗りそこなった人と女子高の先生の違いは?』ってなぞなぞがあるでしょう?」と言われてはっとなった。英語にも名詞と動詞の同音異義語があることに思い至ったからだ。
その後に自分の中で駄洒落ブームが起きるのだが、「新幹線の正確さに震撼せん」とか「倒壊したって本当かい?」などを彼女に「オヤジくさい」とダメ出しされるに至って、その熱は急速に冷めることになる。
こうした失敗を重ねつつも5年が経ち、私は概ね日本に受け入れられ愛されていると感じている。
だから私もそれに応えて「変読さん」や「ヤラカシ先生」と呼ばれても寛大な心で許そうと思うのだ。
なぞなぞの答えを書いておきます。One miss the train, and the other trains the miss.