私と彼氏の七日間の恋
今年も樹に止まった彼氏たちが、愛を求めてミンミンと鳴く季節がやってきた。
夏は恋の季節なんて、言葉があるけど、私には全く無関係。本気でそう思ってた。だけど、アパートの中庭に生えている桜の樹にしがみついていた彼氏を見た瞬間、私は一生で一度の恋に落ちた。
彼氏はシンプルなヘリーハンセンのTシャツに上手い具合に色褪せたジーンズを合わせた綺麗目コーデで、両腕でしがみついている樹の下には、ついさっき彼氏が脱ぎ捨てた彼氏の抜け殻が転がってた。彼氏が求愛のために、身体を震わせて鳴く声が、私の胸を震わせる。気がつけば私はジャンプして、樹に止まっていた彼氏の背中に抱きついて、そのまま彼氏を地面に引きずり下ろしていた。
長い長い土の中での生活を終え、地上へと出てきた彼氏は、たった七日間しか生きることができない。知識としてはもちろん知っていた。でも、この人を好きになった方が良いって頭で納得してから始まる恋なんて、私は恋とは認めない。
たとえ、この恋が七日で終わってしまっても構わない。花火のように一瞬で咲いて消える、そんな短い時間で、私は本気の恋をしよう。私は樹から引きずり下ろした彼氏の背中に顔を埋め、心の中でそう呟くのだった。
『私と彼氏の七日間の恋』
好きな人ができたの。
私が彼氏のことを報告したとき、親友の岬は眉を八の字に曲げ、やめた方がいいんじゃない?と言ってきた。岬の言うことはいつだって正しかったし、彼女の言葉に何度も助けられてきた。それでも。今の私には親友の言葉を受け止め、考える時間すら残されていない。なぜなら、私と彼氏が一緒にいられるのは、たった七日間だけだから。
呆れる岬をよそに、限られた時間を少しでも一緒にいようとバイトの時間を減らせるだけ減らし、私は彼氏との時間を楽しんだ。彼氏の主食は樹液で、日中はいつも樹に止まってなくちゃいけないから、デートができる場所は限られてくる。それでも、私は彼氏と一緒にいるだけで楽しかったし、木陰から樹にしがみついた状態でミンミンと元気に鳴く姿を見つめているだけで満足だった。
永遠の愛ではなくて、いつか終わってしまう愛にこそ、私は自分の人生を捧げたい。嘘みたいに一瞬で、ドラマのように情熱的な一日を過ごしていると、そんな気持ちになっていくから不思議だ。自分の都合の良いように正当化しているだけって思われるかもしれないけど、それは違うと胸を張って反論できる。
私は彼氏を愛していたし、彼氏もまた、夏空に響く鳴き声で私の愛に応えてくれた。七日間しか恋人でいられないということを除けば、私たちはどこにでもいるカップルで、一日一日を幸せな気持ちで過ごしていた。だけど、この恋は御伽噺みたいなもので、いつか魔法は溶けてしまう。その事実と向き合っているのかと言われると、私は少しだけ自信がなくなってしまう。
だからこそ、バイト先の長島君が夜遅くに私の家を訪れ、ずっと好きだったんですと告白をされた時、揺るぎないものだと信じていた気持ちが、少しだけ揺れてしまったのかもしれない。長島くんは私の半年後輩で、シフトがよく被っていつも一緒の時間を過ごしていた。端正な顔立ちで、気配りができて、きっと女の子が放っておかないだろうなと思わせる、そんな男の子。私に彼氏ができたと聞いて初めて、自分の気持ちに気がついたんです。額にうっすらと汗をかいた長島くんは、私の目をじっと見つめてそう言った。
熱帯夜に玄関先で立たせているのが申し訳なくて、私は長島くんを冷房の効いている部屋の中に入れた。それから私は長島くんに、今は付き合っている彼氏がいること、そしてその彼氏を心の底から愛しているということを伝えた。それでも、七日しか一緒にいられない恋人よりも自分を好きになって欲しいです、長島くんはそんなセリフを言って、私の腕を強引に掴んだ。
長島くんの真剣な表情を見つめると、心がぐらぐらと揺れて、私は何も言えなくなる。長島くんの顔が少しずつ近づいてくる。私はダメということもできず、身体を押し返すこともできず、ただ長島くんの顔を見つめることしかできなかった。だけど、唇が触れあおうとしたその時。部屋の窓からガタッと物音が聞こえてきた。私が音のした方向へと顔を向けると、そこにはベランダの手すりに止まった彼氏がいた。
「違うの!」
彼氏はそんな私の弁解に、少しだけ悲しそうな表情を浮かべる。それから彼氏は私たちに背を向けて、おしっこを撒き散らしながら夏の夜空へと飛び立っていった。私はベランダへと出て、彼氏が撒き散らしたおしっこを泣きながら掃除しながら、自分はなんて馬鹿な女なんだろうと自分を罵った。
七日間しか一緒にいられないのに。七日間しか愛し合えないのに。残される私だけではなくて、私を残して死んでしまう彼氏も辛いはずなのに。どうして、一瞬でも自分の気持ちが揺らいでしまったんだろう。もう一度会って、私の気持ちをきちんと伝えたい。私は彼氏のおしっこを拭いた雑巾を右手に握りしめ、彼氏が飛び立っていった夜空を見上げた。
次の日。彼氏はいつものように、アパートの中庭にある桜の樹にしがみついていた。だけど、鳴き声はいつものような頭に響き渡るような力強い音ではなくて、耳を通り抜けていくような弱々しい声だった。私は樹の下でじっと彼氏の姿を見つめ続けた。そうしていると、初めて彼氏と出会った日のことが頭に思い浮かんできて、私の目から自然と涙が溢れ出していく。
一瞬の愛に自分の人生を捧げる。そう心に決めていたけれど、それでも大好きな彼氏と七日間しか一緒にいられないことは、あまりにも残酷だった。愛してる。私が涙声で呟く。ふと顔を上げると、いつの間にか彼氏は樹から降りてきて、私のすぐ側に立っていた。それから私をぎゅっと両腕で抱きしめ、私の耳元で愛の言葉を囁いてくれる。私も愛の言葉を返し、それから私たちはそっと口づけを交わす。私と彼氏の初めてで最後のキスは、夏の暑さで溶けたアイスのように甘い味がした。
彼氏は私をもう一度抱きしめた後、私からそっと身体を離す。そして彼氏は空を見上げ、さよならを告げることもなく、その場から飛び立った。私は羽音と風に怯んで両目を閉じ、それからすぐに目を開けて彼氏の姿を探す。だけど、彼氏はすでに風に乗り、東の空へ向けて飛んでいっていた。その姿を見た時、私はある事実に気がつく。今日が私と彼氏が出会ってちょうど一週間だという事実に。
「彼氏っ!」
私は叫び、彼氏が飛んで行った方向へ走り出す。転びながら、息を切らしながら、あんなお別れは嫌だと叫びながら、私は彼氏を追いかけた。空を飛ぶ彼氏の姿は小さくなっていき、やがて見えなくなる。それでも私は彼氏が消えていった方角へと走り続ける。走り続けるしかなかった。
走り疲れ、もう会えないのかもしれないという考えが頭をよぎった時、私の目の前にあるものが映る。自分の目を信じることができないまま、私はそれへとゆっくりと近づいていく。そして、コンクリートの地面の上に転がっていたその何かの正体がわかったとき、私は衝撃のあまりハッと息を呑んだ。
「嘘……」
コンクリートの地面の上に転がっていたそれは、彼氏の死体だった。彼氏は仰向けで、両腕を両足を器用に曲げた状態で息を引き取っていた。それは、七日という天寿を全うした彼氏の、彼らしい死に様だった。
私は彼氏の死体の前でしばらく立ち尽くした後、その場で力無く崩れ落ちる。それから、じわりじわりと涙が滲み出し、それから堰を切ったように涙が溢れ出していく。私は人目もはばからず、声を出して泣き続けた。だけど、涙が枯れるまで泣き続けた後、ふとどうしようもない悲しみの感情の中に、彼への感謝の気持ちが混じっていることに気がついた。悲しいと、ありがとうを私は交互に呟き続ける。私は涙を手で拭い、それから立ち上がる。そして、彼氏の死体に向かって、もう一度だけありがとうと呟き、私は私が来た道を戻っていくのだった。
こうして私と彼氏の七日間の恋は終わった。
いつか遠い日の夏。外から聞こえてくる彼氏たちの鳴き声を聞いた時、きっと私はこの七日間のことを思い出すだろう。その時私の胸の中に広がる感情が、悲しみなのか、それとも感謝の気持ちなのか。今の私にはわからない。
それでも、この七日間のことを忘れることはきっとない。それだけは胸を張って言うことができる。
私は部屋の窓からアパートの中庭を見下ろし、彼氏がいつも止まっていた桜の樹を眺める。夏の空には青い空が広がっていて、耳を澄ませば彼氏たちが愛を求めて鳴く声が聞こえてきた。