プティバタール
駅を一つ下りへと歩けば、殺風景な最寄り駅周辺とはちがって、店舗や会社が大通り沿いに立ち並ぶのはもちろんのこと、通りからひとたび曲がればすぐとカラオケ店のネオンの安っぽい煌めきが目につき、そこは彼と二人でときどき利用しているのだけれども、いつも密室なのをいいことにして思うままいちゃついてもいるので、透明のガラスドアの真ん中だけ薄く色づけて目隠し代わりにしてはいるものの、覗こうと思えば室内は難なく覗けてしまうし、きっと店員にバレているに違いないのだけれど、今日はその彼とは一緒ではなく、ひとり買い物のためてくてくひと駅歩んで来た茜は、これも最寄り駅にはないデパートへはいるとまずはひと回り、冷やかすでもなくただ何心なくめぐるうちおのずとるんるん、浮き浮きし始めた心のまま、目当てのパン屋へ入った。
いくつか目ぼしいお店は他にもあるものの、最近はこの店に飽きもせず通っていて、それは知らず知らず立ち寄ってしまうほどに美味しいパンがあるからには違いないけれども、また一つには、茜が夢中になった店にたいして愛着が深まるたちであり、この店をもうすっかり気に入ってしまったからでもあって、近頃は他のお店を探し求めるのも忘れて、ひとたびパンを食べたいと思うが早いか、すぐにここが浮かぶのだけれど、今日もまた例のごとくその頭になるままぶらぶら店に着くと、ちょうど休日の夕方に差し掛かろうとする時間帯のためか、まだ客の出入りはおとなしく、そうしてパンはどうやら作り立ても多いという塩梅で、茜はおぼえず頬が緩むのにまかせながらトレイ片手に、片手はトングを意味もなく動かしつつ、いつも必ず買っていく外はカリカリ中はふっくらのプティバタールを一瞥して微笑み、さて今日は何か新しいものに挑戦しようかしら、と余裕ぶりながら目に飛び込んでくるパンの面々と、その名称と説明を読んでふんふん言いながらひと回りし、つぎは足の向きをくるりと変えて逆回りしてもどうやら、プティバタールが心を離れないので、そっとその前に立ち、ちょっと迷いつつそれでも自然とトングが伸びたものを掴んでトレイに載せて、もう決まってはいるもののなおきょろきょろ回ったのち会計へ進んだ。
一つの商品だけをレジへ置くのに、いつもながらほんのり羞恥を覚えつつ、支払って袋を受け取り、外へ出るや否やたちまちそれを忘れ去った茜は、歩みながらハンドバッグを探りスマホをひらくと、彼からの通知。
今日行っていい? との短い言葉にすぐにぽっと浮き立ち、ちょっと立ち止まって、うん、待ってる、と簡潔に返事をしたためつつ、これ食べるかな? 袋を見つめて首を傾げる間もなく、きっと夕ご飯は済ませてくる、と気がつく。
泊まりに来てくれるのは嬉しいけれど、でもまたカラオケ行きたいな。連れてってくれるかな。
夢見るうち、茜はふっと我に返ってかぶりを振り、歩みだすと、小さな憂いははや忘れて、今日の幸せに浮き浮き足元は軽くなった。
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