モフモフとの遭遇
もふり。
自分が唾を飲み込む音が、そう聞こえてしまう程に、そのモフモフは凄まじいモフみを周囲に発していた。こんなに大きく立派なモフモフが、この世に存在していたなんて……。まるでお伽話に登場する伝説の生き物のようなその雄姿に、私は興奮を隠せなかった。
この惑星が誕生した時からそこに鎮座していたかのように、悠然とした佇まいのモフモフは、私の姿を目にしても全く敵対的な反応を示さなかった。長年兵士として数々の死闘を繰り広げてきた私の直感が告げていた。「絶対にこのモフモフには勝てない。今すぐ踵を返して逃げるべきだ」と。
だが私の意志に反して、見えない糸に引っ張られているかのように、もふりもふり、否、じりじりと両足は歩を進めていた。近寄るほど、大気に満ちたモフモフが濃くなっていくのを肌でもふもふと感じる。気付けば目と鼻の先までモフモフに近づいていた。モフモフの生温かい鼻息が私の顔に吹きかかる。何とも言えない香ばしいかおりが鼻腔に充満する。
すると、信じられないことに、私の頭の中には存在しないはずのモフモフと過ごしてきた記憶が、走馬灯のように流れだした。母モフモフの出産に立ち会い、産声を上げるモフモフの逞しい生命力に感動する私。まるで兄弟のようにじゃれ合い、モフモフと地面を転がる私。モフモフと腕を組み商店街デートを楽しんでいる私。ハッと気がついてぶんぶんと頭を振ったが、ただの妄想とは思えない鮮明な白昼夢に、まだ何やらぼーっとしていた。
モフモフの眠そうな両目は、時々瞬きをしながら相変わらず私をじっと見つめていた。静かな呼吸に合わせて、モフモフの体が上下し、膨張と収縮を繰り返している。もふもふとした長い尻尾は、ゆらりゆらりと不規則なテンポで左右に揺れている。まるで催眠術師が使う振り子のようなその動きを見ていると、視界に靄がかかったかのように意識がぼんやりとしてきた。
私の背中をもふーっ、もとい、つーっと汗が伝う。私は、あろうことか防護手袋を脱ぎ捨てて、その場に放り投げた。止めろという理性の絶叫を無視して、剣も楯も持たぬ空の両手は、まるで磁石に吸い寄せられているかのように、そのモフモフのモフモフに自然と伸びていた。
指先がモフモフに触れた瞬間、ビリビリと電流が迸るような衝撃と共に、私の脳は「モフモフ」という四文字で埋め尽くされてしまった。モフモフが襲い掛かってこない事を確認しつつ、徐々に、大胆に、モフモフのモフモフを左右の手で存分にモフモフする。
私の手の動きに反応して、モフモフは目を細めたり、もぞもぞと動いたり、欠伸してむにゃむにゃと口を動かしたり、尻尾をぴたっと引っ付けてきたりした。その魅惑的な仕草は更に私の中のモフモフ欲を強烈に刺激して、夢中になった私は、血走った目と小刻みに震える手で、わしゃわしゃと言っても過言ではないほどモフモフするのを止められなかった。
そう、まだその時私は、自分の意志で「モフモフしている」と思い込んでいたのだ。実際はモフモフの上でもふもふ踊らされているとも知らずに。私は、操り人形のようにただモフモフさせられていたのだ。あるいはモフモフさせていただいたと言うべきかもしれない。
欲望に逆らうことが出来なくなっていた私は、本来何より優先して守るべき頭部を、無防備にモフモフへと近づけていった。非常に危険な行為だと分かっていながら、誰かに後頭部を押されている訳でもないのに、私は欲求に逆らうことができなかった。
視界は瞬く間にモフモフでいっぱいになり、そのままもっふりと顔を埋めた。くすぐったい顔面の感覚でモフモフを堪能するだけでなく、私は肺がいっぱいになるまでモフモフを直接鼻から吸入した。血管に流れ込んだモフモフが全身に隅々までいきわたっていくのを感じる。
一体どういう原理で生じているのかは分からないが、モフモフの体からは、聞いたことのないゴロゴロという低い音が絶えず鳴っている。海辺のさざ波や、川のせせらぎのような自然が奏でる心地よい音楽にも似たその響きに包み込まれ、母親の胎内にいるかのような安心感に浸った。
最早モフモフのことしか考えられなくなった私は、その場で乱雑に鎧やブーツを脱ぎ捨て、大地を力強く蹴り、モフモフ目掛けて勢いよくダイブした。いくらモフモフであるといえども、着モフする際に多少の衝撃は覚悟していたのだが、私の体は高級な枕のように低反発なモフモフにもふりと沈み込み、まるでモフモフと一体化したかのような錯覚に陥った。
私の感覚器官は、既にモフモフ以外の情報を脳に伝えなくなってしまった。辛うじて意識を保つのに精いっぱいだったのだが、突然モフモフは起き上がり、ゆっくりと動き始めた。私を振り落とそうとするでもなく、背に私を乗せたまま、もふり、もふりとどこかへ向かって歩いていく。リズミカルな振動が全身に心地よく響き、間もなく私の意識はもふりと途切れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目が覚めた私は、モフモフになっていた。
体の一部のみがモフモフになっていたということではなく、完全なモフモフそのものへと変身していたのだ。きっと、これがあのモフモフの目的だったのだろう。
しかし、私は全く後悔しなかった。むしろ、人間の体を捨て、あの素晴らしいモフモフになることが出来て、全身が歓喜と感激に満ち溢れ躍動していた。思わず尻尾をぶんぶんと激しく振ってしまう。
更にそれだけではなく、これからは他者を偉大なるモフモフの悦びに誘う尊い役目を担うことになったのだ。熱い使命感が胸に火を灯す。私をモフモフにした、あのモフモフに比べれば、今の私のモフモフ具合などまだ赤子のようなものだ。
来るべき邂逅に備えて、少しでもモフモフの高みを目指すために、私は取りあえず入念に毛繕いを始めることにした。