世界を映す絵心
千華ちゃん登場です。
小学3年生って勉強何してたっけと調べてながら書きました。
幸せな時間が訪れると時間が止まってしまえばいいと思ってしまう。Sランク職員には時間を止められる人もいるそうなのでもし機会があれば一度お願いしたい。いや、その場合、俺の時間も止まるので意味がないのではないか。
「乾斗君、この問題教えて」
「ええっと……理科の問題だね」
小野路食堂の二階にある和室で俺は千華ちゃんの勉強を見ている。丸テーブルの上に問題集を広げている千華ちゃんを見ているのか、千華ちゃんの勉強を見ているのか、正直どちらだと言われれば前者だが勉強を教えていないわけではないので問題はないだろう。
「東から太陽が昇ってきた時の日陰の動きか。これは実際に見た方が分かりやすいよ」
俺は鉛筆を一本立てると懐中電灯を太陽に見立てて日陰の動きを再現してみせた。
「東の反対だから西側に影ができるんだね」
「そうそう、方角についてもう勉強してるのか」
「うん、社会で習ったんだよ」
声、しぐさ、そして笑顔、全てが愛らしい。
ちゃんと心構えをしていないと心臓がショックで止まってしまうほどだ。
最近いろいろ大変なことがあったがこの時間を迎えるためと思えば軽すぎる出来事だったと認識を改めざるを得ない。
「ええっと北が前ですから東は右、左が西ですね」
『アマノリリス様、その覚え方ですと混乱しますので左右と東西南北は一緒にしない方が良いと助言いたします』
些細な問題としてはこの場に何故かアマノリリスがいることだ。彼女はコンパスを手に部屋の中をうろうろ歩いている。本当に何故いるのだろうか。
「千華ちゃん、千華ちゃん、不思議ですよね。どこを歩いても赤い印が北を示すだなんて」
「アマノリリスさん、私知ってるよ。それはね、地球の北側に大きな磁石があるからなんだよ」
「そうなんですか? 物知りですね、千華ちゃん」
そしていつの間にか千華ちゃんと仲良くなっている。いや、前に仲良くしてくれとお願いしているのでアマノリリスは頼んだ通りにしてくれているのだが、いざ目の前で仲良くされるとこう……なんというか嫉妬心が芽生えてくる。
「サリー、なぜアマノリリスさんがここにいるんだ?」
『乾斗様が最近気落ちしているアマノリリス様の気晴らしにとお誘いしたと記録があります。必要であれば録音、録画映像がありますがお出ししますか?』
「いやいい」
思い出した。
確かにそう思って千華ちゃんの勉強会に誘ったのだった。千華ちゃんが可愛いのですっかり忘れていた。それならば今のアマノリリスの様子は狙った通りのものだろう。嫉妬はするが。
「乾斗さん、すごいですね。この世界の教育というか知識!」
アマノリリスが少し興奮した様子で俺の隣に座ってコンパスを見せてくる。
「そうか? 他の世界でも似たようなものだろう」
「いえいえ、私の世界ではコンパスなんてありませんでしたし、方角は太陽や星の位置から推測してましたから。これ便利ですよ、持って帰っていいですか!」
「アマノリリスさんの世界でもコンパスが使えるとは限らないだろ。北を指すか分からないし」
「それもそうですね。残念です」
『いえ、提供していただいているアマノリリス様の世界情報から同様に使えると思われます』
サリーが会話に割り込んできた。
『アマノリリス様の世界であるヴァラリアはこの世界、正確に言えば地球と同じ型の惑星と思われます。なので地球同様の地磁気が発生しているはずです』
「アマノリリスさんは自分が住んでいる世界というか星がどういう形なのか知っているのか?」
「はい、丸いというのは分かっています。ある探検家が世界を一周することで証明しました。私自身もかなり昔から世界中を飛び回っていたんですけど、丸いかどうか気にしたことなったので全然気が付きませんでした」
「そこは何を不思議に思うかだろうな。人間は何かに対して疑問を抱くことが多いらしい。けど、神様っていうのは基本的に自分で沢山の事を決めているせいで疑問があまりない……WDWCの研修でそんな話を聞いたことある」
「ねぇねぇ、アマノリリスさんの世界のお話もっと聞かせて」
千華ちゃんが俺とアマノリリスの間に割り込むように座る。座った際に髪が舞い、シャンプーだろうかいい匂いが俺の鼻をくすぐった。思わずうっとりしているとアマノリリスのじっと睨むような視線に気が付いた。
「乾斗さんって本当に千華ちゃんの傍だと人が変わりますよね。別人みたいです」
「そうか?」
自覚はない。だが、好きな子が傍にいるのだから多少テンションが上がっても仕方ないだろう。
「アマノリリスさんの世界ってどんな世界なの?」
「千華ちゃん、それは勉強が終わってからだよ」
好きだからといって甘やかすわけにはいかない。今は勉強の時間だ。俺が勉強を教えて学力が下がったということになれば申し訳がない。
「今日の分は終わったよ、ほら」
千華ちゃんに渡された問題集を見ると確かに今日のノルマと決めていた箇所まで回答が出来ていた。いつの間にと思うが、出来ているのなら反対する理由はない。
「分かった。今日の勉強は終わりだ」
「うん、じゃあ、アマノリリスさんのお話聞いてもいいよね」
「あ、ああ」
千華ちゃんが俺よりもアマノリリスに夢中な様子に俺の心情は穏やかではない。ので、先ほどの仕返しでないがアマノリリスを軽く睨むことにした。
「なにか怒ってます?」
アマノリリスの疑問の声に千華ちゃんが俺の方に顔向けてきたので慌てて睨むのをやめる。
「怒るって何をだ? 何もないだろ」
「そうですか~」
「そうだよ、ほら、千華ちゃんの質問にちゃんと答えてあげてくれ」
アマノリリスは納得いかない様子ながらも千華ちゃんと改めて向き合った。
「えっと、私の世界の話ですよね。何が聞きたいですか?」
「動物! 可愛い動物とかいますか?」
「動物ですか? それならエミリュっていう小さくてモフモフ毛皮で丸い子がいますよ」
「写真とかありますか?」
「写真? あーっと絵ですよね。生憎と持ってませんけど、私、描けますよ」
「描けるの!? じゃあ、描いて!」
千華ちゃんが嬉しそうに絵描き道具を取りに自分の部屋へと走って行ってしまった。
「意外なといえば失礼だが、女神様にしては珍しい特技だな」
「はは、他にすることがなかっただけですよ。絵については過去の私もずっと好きだったみたいで自画像とかあったりするんですよ」
アマノリリスが女神として長い時間を生きる上で何度か人格をリセットしているという話を思い出した。全てがリセットされているわけではなく何かは引き継がれているということなのだろう。
「記憶は受け継いでなくても技術は何千年も受け継いでいたわけか」
「そうみたいですね」
千華ちゃんがスケッチブックと色鉛筆を両手に抱えて戻ってきた。
「アマノリリスさん、描いて描いて」
「分かりました。久しぶりですし、気合入れて描きますね」
「これも勉強かな」
国語などの科目については俺でも教えられるが図工、美術については教えられる気がしない。何千年も絵を描き続けてきた絵描きの技術を目にする機会など今の世界でも希少だ。千華ちゃんにとって良い経験になるだろう。
「出来ましたよ!」
「わぁ、写真みたい!!」
千華ちゃんがアマノリリスが書いたエミリュという動物の絵を見せてくれた。色鉛筆で描いたとは思えないほど精密な絵だった。
「こういう画法は何て言うんだっけ?」
『画法というよりも写実主義の作品といえます』
「しゃじつ、しゅぎ?」
千華ちゃんが疑問を口しながら首を傾げる。
『現実のありのままを捉えて絵にする主張のことです』
「?」
サリーが説明してくれたが千華ちゃんはよく分からないらしく首を傾げたままだ。俺もよく理解していないので正しい説明ができないが、千華ちゃんの疑問には答えなくてはいけない。
「つまりは写真みたいな絵を描こうっていう考え方だね」
「うん、それなら分かる。アマノリリスさんの絵、写真みたいなんだもん。すごいね!」
「えへへ、褒められるのは久しぶりでちょっと照れますね」
千華ちゃんに褒められるとは羨ましい。俺も褒められるようなことを考えるが今この場で何も思いつかず、歯を食いしばる。
「他にも描いて! アマノリリスさんの世界の街の絵とか」
「いいですよ~。沢山描いちゃいますね」
アマノリリスは慣れた手つきで絵を描き続けた。下書きなど一切せず、書き損じなど一度もせずに色鮮やかな街並み、壮大な景色、楽しそうに笑う人々の絵を。
いつでも頭の中に光景があるからこそこれほど鮮明に美しく絵におこせるのだろう。
「これはイトバラという港町で透き通るような青い海と白い建物が立ち並ぶ綺麗な町なんです。港町ですからお魚料理が有名ですね。全部塩味でしたけど」
「ここは? すっごい滝」
千華ちゃんが指さした風景画には広大な湖の高い段差から流れ落ちる大量の水と舞い上がる水しぶきに太陽光が反射して発生した虹が一面に描かれていた。大自然の大瀑布。思わず俺もすごいという感想をつぶやく。
「アスリットの滝と呼ばれている場所ですね。天気がいい日は本当にすごい景色なんですよ。虹が幾重にもかかって幻想的で」
「これはお祭り?」
「ガルバリタ王国のお祭りですね。恥ずかしながら私への感謝祭なんだそうです」
「みんな楽しそう。アマノリリスさんも楽しかった?」
「とても楽しかったですよ。毎年毎年、私は楽しみにしていました……」
話しながらも絵を描いていたアマノリリスの手が不意に止まった。描きかけの絵はまた別の祭りの様子らしく賑やかな姿が描かれていた。その祭りを楽しむ人々の絵の上にアマノリリスの涙が落ちた。
「アマノリリスさん?」
千華ちゃんの呼びかけに反応したアマノリリスは慌てて涙を拭う。
「すいません、ちょっと思い出しちゃって……。さあ、いっぱい書きますよ。私の世界がどれほど素晴らしいか千華ちゃんや乾斗さんに知ってほしいですからね」
アマノリリスは明らかに感情を無理やり押し込めて笑顔を見せている。
「うん、教えてほしい。沢山沢山教えて」
千華ちゃんがアマノリリスに寄り添うように肩を寄せてわずかに震えていた腕を優しく掴んだ。
少し驚いた表情を浮かべたアマノリリスは一度目を閉じて気持ちを落ち着かせるように小さく息を吐くと今度は目を全開に開いて絵を描き始めた。
腕の震えが収まったことが分かったのか千華ちゃんは邪魔にならないように腕を離してアマノリリスの絵が描く様子をじっと見続けていた。
俺も何をするわけでもないが、千華ちゃんを挟むようにしてアマノリリスの近くに座ってアマノリリスの絵描きを見続けた。
小野路千華という子は人の痛みに敏感な子なんです。




