魔法と科学
病院でアマノリリスを先に家へ帰した俺は科学課の研究室に来ていた。何人か見知った人とすれ違いながら会釈をして進んでいるとハロルドが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「乾斗! 無事だったのかい! 異世界からの襲撃に遭遇したって聞いてハラハラしたよ!」
「ハロルド達科学課の装備のおかげでなんとか無事だ。少し怪我はしたけどさっき回復術師の先生に直してもらったしな」
「そうか良かった。装備が役に立ったようでなによりさ。ところで疲れているだろうに科学課へ何の用だい? お礼を言いに来ただけじゃないんだろ?」
「ああ、陸式・己の状況を聞きたくて来た。出来ればまた装備してみたい」
陸式・己の単語を聞いたハロルドは呆気にとられた顔をした後、大きくため息をついた。
「乾斗、ついさっき大変な目にあったばかりだろう? 今日は家でゆっくりしたらどうだい?」
「大変な目にあったからこそだよ。自分の実力の無さを痛感させられた。今まで以上に」
「だからって新装備に頼るのはどうなのかな? 訓練して実力を上げるとかが普通じゃないのかな」
「当然、訓練はする。だけど一朝一夕で実力は上がらない。いずれ今回の敵にも一人で対抗できるようになるかもしれないけれど、今すぐは無理だ。侵略側は俺の実力が上がるのを待ってくれたりはしない。明日にもまた襲ってくるかもしれないんだ。早め早めに出来ることはしておきたんだよ」
「……もっとも、もっともではあるけど」
ハロルドが渋っていてなかなか話が前に進まない。
「ハロルドがそこまで嫌がるってことは陸式己はまだまだってことか?」
「言いにくいけどそうだよ。前回よりは良くなってはいるけど、まだ乾斗に装備させていい段階ではないんだ」
以前に陸式・己を装備した際は一度使っただけで両腕の神経が焼き切られる大怪我を負った。その前例があるだけに次の実験にはより慎重になっているのだろう。
「……分かった。困らせるようなこと言って悪かった、ハロルド」
「いや、科学課として戦闘課の要望に応えられていないのは反省すべき点だからね。乾斗が謝ることじゃないよ」
「で、いつ頃なら出来る?」
「乾斗ぉ……」
ハロルドが深くうなだれた。それほど変な質問をしただろうか。
「最低でも後一週間は欲しいかな」
うなだれるハロルドの背後から近づいてきた漆さんがどこから聞いていたのか会話に参加してきた。
「漆さん、お疲れ様です」
漆さんは数週間前に見た時よりも幾分か健康的な様子だ。髪に寝癖が無く、白衣の汚れが無いだけで随分と真人間に見える。
「お疲れだったのは乾斗君でしょ。お手柄だったね」
「いえ、全てはベルカさんと緑郎さんのおかげです」
「でも一般人の怪我人は逃げる際に転んだ数人だけ。これは立派な君の手柄だ」
「それも科学課の装備が、隔離装置があったからですよ」
「道具は道具。使い方で有能にも無能にもなるんだ。今回君は隔離装置を有能な使い方をした。で、怪我人は数人。もう一度言うよ。これは君の手柄だ」
「なんか漆さんに励まされるというか褒められるなんてちょっと気持ち悪いですね」
「ひどいっ! せっかく褒めたのに!」
「すいません。あまりにも珍しい事でしたので」
言葉選びが下手だとは自分でも分かっているが今のはさすがに失礼すぎた。
「そんなに僕が褒めるのって珍しい?」
「主任は基本的に他人を茶化していることが多いですから実は褒めていても気付いてもらえないんですよ」
「茶化しているつもりもないんだけどなぁ」
ハロルドの言葉に漆さんが首を傾げている。漆さんはテンションがハイになっているか、ローになっているかの二つの状態が通常で今のように割と普通の状態自体が珍しい気がする。
「まあ、そこの認識はどうでもいいね。改善する気もないし。でだ、陸式・己だけど最近は他にも仕事が立て込んでいるおかげで進捗は良くなくてね。最低でも一週間、余裕があるなら二週間はテストは待ってほしいね」
「分かりました。では、テストができるようになったら連絡をくれませんか?」
「連絡するよ。それまで体調を整えて健康にしててくれよ。せっかくのテストでちゃんとしたデータが取れないのは嫌だからね」
「はい、整えておきます」
俺が頷く横でハロルドが漆さんに訝しげな視線を向けていた。
「主任が健康とかいいますか?」
「僕は僕なりに健康に気を付けているよ」
「気を付けている人は700時間以上起きつづけて研究しませんよ。いや、そもそも普通は起きてられないんですけどね。そんな長時間連続で」
「正確には727時間15分だよ。ちなみにギネス記録。すごいでしょ」
「非公式ですけどね」
「女神とか神様の中には睡眠が必要ない、寝ない神様もいるみたいですよ」
アマノリリスの事を思い出して話題に挙げてみた。
「乾斗、これ以上話を横に逸らさないでくれ。いや、最初に逸らしたのは私なんだけど……。ああ、ごめん、ちょっと混乱してる」
「ははっ、チャールストン君も昨日から徹夜だからね。情緒不安定なのは仕方ないさ」
「主任、それは地元の州都です。私の出身地は州境の……。乾斗、疲れているんで失礼していいかな」
「あ、ああ、すまないな。急に来たせいで」
ここ数分でハロルドの疲労が急激に蓄積されたような気がする。俺が訪ねてきたせいでもあるので申し訳ない。
「それじゃね」
ハロルドは背中を丸めてとぼとぼと歩いて行ってしまった。確かこの先には研究課の仮眠室があったはずだ。
「ハロルド君は優秀なんだけどちょっと神経質だよね。まあそれは科学者として必要な事でもあるけど」
「ハロルドのことちゃんと名前で呼べるなら呼んであげてください」
「うーん、それはどうしようかな? ちょっと外して名前を呼んだ時に彼がどんな返しをするか実は楽しみにしてるんだよね」
漆さんは子供のような笑顔を浮かべてハロルドが去っていった方へ視線を向けた。
分かってはいたが漆さんと一緒に仕事をしているハロルドの苦労は心身共に相当なモノになっている。今度科学課に来る時はハロルドの好物を差し入れしてあげよう。
「そうだ、乾斗君。せっかく来たんだ。一つ新しい設備をお見せしよう。ぜひ驚いてくれ」
「新しい設備ですか? 変なのじゃなければいいですけど」
「とてもタメになるモノだよ」
スキップする漆さんに案内されて俺は科学課の研究室の一室へ足を踏み入れた。
薄暗い部屋の中、俺の目の前には大きな円柱型の機械があった。人間の大人一人が余裕で入れる円柱型の機械は前面ガラス張りで中の様子が覗けるようになっていた。機械の中には緑色の液体が満タンに入っており、液体の中に水着姿の男性が寝るように漂っていた。男性の口と鼻を覆うようにダイビングで使うような空気を供給するレギュレータが付けられており、体には心電図を測る時に使うような器具が取り付けられていた。
「これは……いったい」
「メディカルマシーンだよ!!」
急に漆さんがハイテンションになって叫んだ。
「どんな怪我でもこの装置で数時間寝ればあら不思議! 治ってしまうというマシーンさ!」
「怪我の治療なら回復術師の方が……」
「乾斗君! 彼らは優秀だ。とても素晴しい人達だ。だけど、彼らにばかり頼るというのはどうなのかな? かな?」
「……確かに回復術師の方々の労働環境問題は大きな課題だと聞いたことはありますが」
「そうこれは彼らの労働を助ける装置なのだ。足をくじいたなど擦り傷など軽症で彼らの手を煩わせるのはいかがなものかと常日頃から思っていてね」
「いや、それくらいの怪我なら普通のお医者さんで」
「思っていてね!」
「は、はい」
漆さんの反論を許さない圧力に負けた。
「ちなみにこの人はどんな怪我をしていたんですか?」
メディカルマシーンの中の人は見るとどこも怪我をしている様子はない。もう治った後なのだろうか?
「彼は科学課の職員だよ。疲れて寝落ちしている所を拉致して……は言い方が乱暴か。捕縛して入れてみた」
余計に乱暴になった気がする。
「それって本人の同意を取らずにですよね。大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫。ほら、脳波もこうやって図っているから危険な時はちゃんと対処するよ」
漆さんが脳波を測っているらしい機械の液晶画面を見せてくれたが横棒が三本ほど横にまっすぐ流れているだけの映像だった。
「なんか横棒がまったく動いていないんですが……」
「え? ……本当だ。これは死んでる?」
「!? 大変じゃないですか!」
「なーんてっ! 脳波測る機械つけ忘れちゃってね。一人でやるとこういうミスするから医療行為は複数人の相互チェックをしながら行いましょう」
「……」
思わず片手で強く額を抑えて俯き、体の奥から深く息を吐いた。たった数秒の会話で先ほどの戦闘以上の疲労を感じた気がする。いつもこの人と過ごしているハロルドの事を考えるといつか倒れてしまうのではと心配になる。
「脳波以外の心拍数とかは図ってるから本当に大丈夫だよ」
「漆さんの最低限の常識は信用していますが、出来るなら他の職員に疲労を与えないでくださいね」
「その疲労回復のためのマシーンがコレだよ」
漆さんがメディカルマシーンを自慢げに指す。
つまりメディカルマシーンを開発したのは漆さんがこれからも迷惑をかけ続けて、疲労を与えるが疲労回復する装置を作ったらこれからもよろしくという意図が含まれているのだろうか。
少し前まではそれなりに有益な機械に見えていたメディカルマシーンが病院の隔離施設のように見えてくる。
「これ作るのにどれくらい時間かかったんですか?」
「構想から数えると1年と3か月くらいかな。作り始めたのは先週からだけど。意外に熱中しちゃってね。おかげでまた寝不足だよ」
「……漆さん。ちょっと気になったのですけど」
「なんだい? メディカルマシーンに何か気になるポイントがあるかな? 答えるよ」
「さっき陸式・己の調整は仕事が忙しいから時間がかかるって漆さん言ってましたよね」
「確か言ったね」
「それってこのマシーンを作ってたからですか?」
「そうだよ」
「これ仕事ですか?」
「どっちかというと趣味だね」
「……」
趣味が原因で陸式・己の調整が遅れてるのか。
一瞬芽生えた殺意を振り払うため顔を大きく左右に動かした。
「急にどうしたんだい? 何か心配事でも?」
「……いえ、いえ、なんでも……ないです」
漆さんに悪気はないのは分かっている。この人は感情が喜と楽しかないのではというくらいに破天荒なのは分かりきっている。なので今、怒るのは何か漆さんに負けたような気がする。別に勝負をしているわけではないのだが、ともかく負けというのを特に今日はこれ以上味わいたくはない。
俺は落ち着くために深く息を吐く。そして漆さんの顔を見ないように視線をメディカルマシーンへと移す。よく見ると確かに突貫工事で作ったせいなのか沢山の配線や基盤がむき出しになっていた。中の液体が漏れ出して濡れたりしたら大変なことにならないのだろうか。
「この液体って何か特別なモノなんですか? 怪我を治す効果があるみたいな」
「いや、ろ過した水道水に無害な緑色の着色料と少し薬品は入れてるけど基本的にタダの水だよ」
「え? こういうのって傷を治す薬品とか植物から抽出したみたいなのが使われてるんじゃ」
「そんな便利な薬品は今のところ開発されていない。植物は……異世界を探せばどこかにあるかもね。でも今は発見されてない」
「じゃあ、どうやって怪我の治療を?」
「科学」
漆さんはメディカルマシーンに手を添えて静かに言った。先ほどまで一点して急に真面目な顔をされたので戸惑いを感じる。
「怪我を治す魔法というのは大きく二つに分類されているのは知っているかい?」
「はい、<体の自然治癒力を高める>のと<時間を巻き戻してなかったことにする>ですよね」
「回復術師の多くは前者の<体の自然治癒力を高める>方だね。後者は使える人が希少だから。このメディカルマシーンはね、電気信号を体に送り続けることで体を活性化させて<自然治癒力を高める>効果があるんだ。活性化にはエネルギーを使うからね。目立たないけど腕から点滴で栄養補給も行っている」
「回復魔法を科学で再現してるってことですか?」
「そうだよ。回復魔法みたいに速攻性もないし、大怪我も治せないけどね。でもいずれは追い付いてみせる」
「追いつく?」
「僕が科学者をしてるのはね。魔法や異能に勝つためなんだよ。悔しいからね」
漆さんらしからぬ言葉を聞いた。悔しいと。
「ちょっと興が乗ったね。昔話をしたいんだけど時間はいいかい、乾斗君」
「大丈夫です。後は家に帰るだけですし、夕飯までは時間もありますから」
漆さんの昔話は単純に興味がある。子供時代は今のようにハイテンションで回りを巻き込んで迷惑をかけまくっていたのだろうか。
「じゃあ、さっそく。子供の頃にマッチやライター以外の方法で火をおこそうとしたことがあったね。ちなみに落ち葉炊きで焼き芋を作ろうとしていた。マッチやライターは危険だからって親に使わせてもらえなくてね。それ以外に法律的にもアウトだったんだけどそこまでは当時知らなかったね」
『軽犯罪法他様々な法律、条例に抵触する可能性がありますので乾斗様も注意してください』
「ふかし芋の方が好きだから安心しろ。皮も食べられるしな」
サリーの注意は適当に受け流して漆さんの話の続きを待つ。
「そこは一つ論争ができそうだけど続けるよ。いろいろ禁止されていたけど僕はそれでも焼き芋が食べたかった。だから火をおこす方法を頑張って調べて実践して何度も失敗してようやく火をおこして焼き芋を食べたのさ。子供だから出来たことを自慢したくて近所の友達相手に実践していたらその中に魔法を使える子がいてね。一言二言呟いただけで僕がおこした火より大きな火をおこしたんだ。悔しかったね、あの時の悔しさは今でも思い返すよ。自分がやったことが大したことないと告げられているように感じてね。その時、誓ったんだよ。魔法よりすごいことをしてやるって」
漆さんの視線がメディカルマシーンへ向けられる。漆さんにとってこのメディカルマシーンは誓いへの大事な一歩なのだろう。
「魔法や異能の研究を行いながら真似をし始めた。出来ないことが多いけど、ちゃんと調べれば真似できるモノもあった」
漆さんの話で俺が初めて漆さんに出会い、装備開発を依頼した時の事を思い出す。俺の力を解析してそれを装備で増幅させることに漆さんは最初から乗り気だった。他の人に話しても何の意味があるのかとか君だけに関わっていられないと断られていたが漆さんは一言目で受け入れてくれた。
俺は感謝していたが漆さんにしてみれば異能を好き放題研究できる素材が現れたと喜んでいたのだろう。
「科学の利点は使うのに特別な才能が要らないってことだよ。マッチやライターだって子供には危険だけど別に子供が使えないわけじゃない。正しく使えば大人も子供も同じ結果になる。これは魔法や異能ではできない。科学の特権だ。すごいことだって証明させてみせる。だからそのために今は頑張って追いつかないとね」
漆さんと目が合う。が、その目は俺ではなく目指すべき遠くを見ているようでとても力が込められていた。
「主任! どこですか!?」
遠くから漆さんを呼ぶ職員の大声が聞こえてきた。かなり緊急事態のような叫び方だ。
「はぁ、人目が少ない場所でサボっていたのにお呼び出しか……。これは行かないと科学課全員に怒られる呼ばれ方だ」
漆さんはゆっくりと椅子から立ち上がるともう一度メディカルマシーンに視線を向けて部屋の外へと歩き出した。
「あ、乾斗君。陸式・己はちゃんと仕上げておくから心配しないでおくれ。僕は僕が決めたことは守る人だから」
去り際にそう言いながら漆さんが去っていった。
残された俺はメディカルマシーンをじっと見る。科学課の大半の人にしては迷惑なこの発明も漆さんにだけは、いや、もしかして将来的に人類にとって大きな発明なのかもしれない。
『十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない』 アーサー・C・クラーク
漆さんは科学で魔法を目指し追い越そうとしている人です。




