第三章 旅するものたち
がんばって読んでくださる方に感謝です!
第三章をお届けします。
小樽から札幌、富良野、留萌、羽幌、最北端が舞台です。
それでは、1980年代の普通の若者たちの物語をお楽しみください。
第一章 少年の日
第二章 憧れの大地へ
第三章 旅するものたち (今回はここです)
第四章 こころの風景
第五章 風の吹く丘
第六章 瀬川千賀子
第七章 風の吹く丘で
最終章 あの暑い夏の陽に
第三章 旅するものたち
「おい、起きろよ」
伸彦の声で目を覚ますと、もう、下船の時間が近かった。
友紀も既に起きていてすっかり準備を終え、小さな居間で一服していた。佐藤は舷窓から外を眺めながら、「北海道は植物の植生が違うはずだけど」と言っていた。陸地がもうすぐそこに近づいているのだ。僕も飛び起きて外を眺めた。朝もやのような水蒸気にうっすらとつつまれた陸地は朝の光を浴びて輝いていた。
「ついに、ついにやって来たんだな」
そう思と、うれしさがこみあげてきた。
せわしなく準備を整えたころ、ちょうど下船の時間となった。
下船口は大勢の乗客でごった返していた。僕はあの子を探したが、見つける事が出来なかった。やがて、下船開始の合図とともに、人混みに押されるように、車両甲板へと流されていった。
バイクを船からおろして、ターミナルの前で僕らは記念写真を撮った。
そして、田中に勧められて船内の売店で買った北海道の小旗をタンデムシートの上に山のようにくくりつけた荷物の間に掲げた。
僕はブルーをベースにキタキツネのイラストをあしらった小旗。
伸彦は緑色にキタキツネ。
友紀は赤青黄色の3本をたてていた。
田中は赤。
彼に言わせると、北海道を走るライダーはみんなこうした旗をくくりつけて走っているという。確かに、船から降りてきたライダーたちも殆ど小旗をくくりつけていた。雨が降ろうが、風が吹こうが、毎日掲げて走り、ぼろぼろになった旗を旅の記念にするという。いいアイディアだと思い、僕らも見習うことにした。
「それじゃ、また。お気をつけて!」と挨拶をかわし、田中も佐藤も小旗をなびかせ旅立っていった。念のため、友紀が帰りのフェリーの時間などをターミナルで確認してから、僕たちも出発した。
今日もいい天気だった。
僕らは、先ず札幌を目指した。今走っている国道は山の中腹にあって、そこからは、左手に海が見渡せ、右手には国鉄の線路が走っている。途中、『銭函』という珍しい名前の小さな駅で一休みした。
「北海道の地名ってちょっと変わっているなあ・・・」と、友紀が地図を見ながら言った。
僕もそう思う。
たしか、アイヌ語の発音に漢字を当てたため、そうなっている。だから、面白い。全国どこでも同じような地名だったらつまらないし、ここはもともと自然を愛するアイヌの大地なんだ。地名ひとつひとつにも何か新しい発見がありそうでワクワクする。
とにかく、このまま真っ直ぐいけば札幌に着くから、そこで朝飯にしようということで僕らはまた走りだした。
実際に走ってみて気づいたことがあった。
ひとつは、建物の屋根の形が九州とはずいぶん違うことだった。一方向の屋根の面積が広く、反対側は小さいのだ。しかも、家のかたちは童話の世界に出てくるようなかわいい格好をしたものが多々ある。 また、道路の両側に紅白の矢印をつけた柱が立っていて、矢印は路肩を指している。どちらも雪対策なのだろうということは何となく理解できるが、九州の僕らにはちょっとしたカルチャーショックだった。
やはり、北の国にやってきたのだ。
やがて4車線の大きな、にぎやかな通りになった。市街地の景観は九州も北海道も大差ないように思えた。
しばらく走っていくとオレンジ色の見覚えのあるレストランの看板が見えた。福岡に本社のある、僕らには馴染みの深いファミリーレストランだ。友紀が手で合図した。僕らもうなずいた。まさかこんな遠くの場所に、馴染みの深いレストランがあるなんて。それだけで、感激した。
見慣れた店内に入り、見慣れたメニューを見て、いつものセットを注文した。せっかく遠くまで来たのだが、やはり、自分の世界というか、自分の習慣のものには、安心感を持つものらしい。
札幌に入った僕らは、先ず、時計台を目指した。やはり、札幌イコール時計台のイメージが強い。
札幌の街は、碁盤目状になっていて慣れると分かりやすいそうだが、僕らにはさっぱり分からなかった。あっちへいったりこっちへきたり、停まって地図を見たりして、ようやくビルの谷間にある時計台を見つけることができた。入り口にある看板には、何とか演武場と墨で大書してあった。この建物の前身の名称だそうだ。
「思ったより小さいな」というのが僕の第一印象だった。内部もがらんどうで、何となくそれまでのイメージとは違っていた。とにかく、僕らは記念写真を撮って、近くにあるはずの大通り公園へ移動した。
大通り公園は、それにしても広い公園だった。緑も豊かで、噴水などもあり、僕らのようなツアラーはもちろん、家族連れとか恋人同士とか、多くの人で賑わっていた。どこからともなく、トウモロコシの焼けるいい匂いが漂ってきた。ここには、ずらりとトウモロコシ屋台が並んでいる。
「どうする、買う?」と、友紀が聞いてきた。
もちろん、トウモロコシのことだ。別に腹がへっていたわけではないが、これだけいい匂いがしていたら、やはり食べたくなってしまう。なるべく無駄遣いをしたくなかったのだが、誘惑に負けてしまった。
トウモロコシをほおばりながら、僕らはテレビ塔の方へぶらぶらと歩いていった。1階にある売店では、友紀が『好きです。さっぽろ』のステッカーを買った。記念にバイクに貼るのだという。伸彦は北海道限定というふれこみのアイスクリームを買って食べていた。テレビ塔にある展望室にあがるには、お金が必要だった(これが、貧乏旅行の僕らには結構高い)ので、あきらめた。だけど、せっかくだからここで記念写真を撮ろうということになって、1階の売店の前、子供向けのちょっとした遊戯具があるところで写真を撮った。
僕はピースサインで、ふつうにポーズをとった。
伸彦は近くにあった牛の遊戯具にまたがって牛にかぶりつくようなポーズをとった。その遊戯具は、別に固定されていなかったので、友紀の番には、それをウエイトリフティングのように持ち上げて写真を撮った。牛から見れば、迷惑な二人だ。
札幌の道のつくりも僕らには珍しいものがあった。4車線全部一方通行というのもあったが、緑地帯の真ん中が車線で、緑地帯の両方の外側も車線になっている。歩道はさらにその外側だ。九州にはあまり見当たらないので、あれ、ここは走ってもいいのか?と戸惑ったりした。
僕らは札幌を出て富良野に行こうとして道に迷った。町角にバイクを停めて地図を開いてみた。三人で地図をのぞき込んでいると、客待ち停車中のタクシー運転手が話しかけてきた。
「どこに行くの?」
「はい、富良野に行きたいんですが」
「ああ、それならね・・・」
と親切に教えてくれた。
「あんたたち、九州から?」
「はい」
「遠いところだね」
「今、単車は多いからねえ」そう言って別のタクシーの運転手も話しに混じってきた。
「北海道ではね、町の入り口と出口に注意しなさいよ。警察がねずみ取りしとるから」
「間はいいんですか?」
「町と町の間はまずいないね」
親切に教えてくれたが、その時、僕には街の入り口とか、出口とかいう概念が理解できなかった。僕の常識では国道や大きな県道沿いは山の中とか海沿いとかを除いて殆ど市街化しているか、ところどころに民家があるため、どこが入り口でどこからが出口なのかあまりはっきりしていない。
だが、北海道は違うのだ。
札幌のような大都市の近郊や、山間部はともかく、地方にいくとまるでアメリカのように真っ直ぐな道が延々と続き、その両側には市街地も民家もなく、やがて突然西部劇の町のように町の入り口が忽然と姿を現す。僕の常識と比べ、町の出入り口がはっきりしている。
札幌の郊外へ出た。
ひろやかな平野部の、見晴らしのいい道を僕ら3台のバイクが進んでいく。
ところどころに、まるで衝立のように並ぶポプラの木立が見えた。
僕らの次の目標は富良野だ。かなり距離はある。今日中に富良野へだどりついておいて、明日は富良野観光のあとできるだけ北上する。それからとにかく最北端を目指そうという大まかな計画だった。友紀がどこからか仕入れてきた情報では、富良野の郊外に鳥沼という無料のキャンプ場があって、出入りも自由だから、どんなに遅く着いてもテントを張って休めるということだった。
途中、とあるバイク屋に立ち寄った。僕のバイクの2ストオイルを仕入れるためだ。まだ、余裕はあったが、この先どうなる分からないので、札幌近郊で仕入れておこうと考えた。
僕はタンクに満タンにしてもらい、さらに予備用に一本買った。それを荷物の中にしまいこんでいると、トイレを借りていた友紀が戻ってきて、
「トイレにクーラントを流している」と、目を丸くして言った。
店員が笑いながら答えた。
「北海道は冷えるからね。トイレの水タンクに、クーラントを流しておけば、水が凍結しないんだよ」
なるほどと、友紀はしきりに感心していた。九州の僕らには思いもつかない知恵なのだ。
それから、僕らは順調に飛ばして行った。日差しは強烈なので、降りて歩くと汗が噴き出すが、こうして走っていると、三人とも長袖を着ているのに、湿度がなくてさわやかな分、むしろ寒いくらいだ。
僕らと同じバイク乗りのツアラーとはひっきりなしにすれ違う。その度にお互いピースサインを交換する。噂には聞いていたが、これはなかなか良い習慣だ。心が温まる。
中には、軍隊のように敬礼する人もいるし、仮面ライダーの変身ポーズをする人もいる。力一杯手を振る人もいる。色々あって楽しい。
時に困るのは原付の、しかもカブやメイトといったビジネスバイクのツアラーだ。こっちはそういうバイクの人がまさかツアラーだとは思ってなかったのでうっかり油断して、相手のサインを見逃してしまうのだ。そうしたことが何回かあったので、相手がビジネスバイクの場合、ツアラーか地元の人か、遠くから注意深く見極めることにした。
途中、山あいのさびしい町の小さな駅で一休みした。
地図をみながら友紀が、「このあたりなんだけどなあ」と、しきりに言っていた。
「何、それ?」と、伸彦が聞いた。
「好きなドラマの撮影に使われた建物があるはずなんだ。見たいんだけどなあ」
「ふーん、とりあえず走りながら案内板とか気をつけていたらいいじゃん」
「そうね、そうするか。もうだいぶ陽も傾いているし、見つかればラッキーだと思って・・」
「まあ、そんなに先を急ぐ必要もないけど・・・」
二人の会話を聞いていて、こんなところにもドラマのロケ地があったのかと思った。考えて見ると、友紀は良く下調べをしてきているが、僕は何も調べてきていなかった。ただ、富良野は有名だったから、あの丘陵地帯には行ってみたいと思っていただけだった。あとで知ったことだが、僕のイメージにあるあの美しい丘陵地帯も、実は富良野ではなくその近くにある美瑛町だった。富良野にも美しい丘陵はあるが、僕の持っていたイメージとは違うものだった。
陽もだいぶ暮れてから、僕らは目標のキャンプ場にたどりついた。
細かな案内図を持ってきていた訳ではないが、こんな追いつめられた時(?)は友紀のカンが冴える。いつもおどろかされるが、「こっちだ!」と友紀が行く方向で間違っていたことはあまりない。だから今回も難なくたどりついた。札幌であれだけ迷ったのが嘘みたいだ。
駐車場にバイクを停めて、荷物を全部おろし、キャンプサイトへ行った。
キャンプサイトでは先着のツアラーが思い思いのところでテントを張っていた。いくつも並ぶテントの中に灯るあかりが、ボーッとテントを浮かびあがらせ、とても幻想的な景観をつくっていた。奥の方には大きなタープのようなテントが張ってあって、ランタンのあかりの下で大勢の人が賑やかに談笑している。そのテントには、大きく“レゲエズ”と書いてある。常連さんなんだろうか?ビール片手にみんな上機嫌そうだった。
さて、僕らも今夜の寝床を設営しなければならない。この日のために買った新品テントのおでましだ。
当時、テントはまだ高額なものだった。出発前、予算を節約するために、友紀はキャンプと駅宿を提案していたが、僕らは三人ともテントを持っていなかった。それで、どこかに安いテントはないものか探した。町の小さなスポーツ店に9800円で売っているという話を聞きつけ、僕らは三人で買いに出かけた。
それは、それまでの常識的な三角形の形ではなく、当時としては斬新に思える、ドーム形のテントだった。今でこそ、設営の簡単なこの形はテントの主流になっていて、しかも4~5000円も出せば買えるものだが、当時の僕らには、画期的なデザインと安さだった。
三人で使うにはちょっと狭いかもしれないが、僕らはすっかり気に入って一張り買った。そして、他に必要なもの、固形燃料や、ローソクを使う小さなランタンなどをまとめて、割り勘で買った。
その時、その店ではちょうど抽選会をやっていた。僕らが買った分の金額では、3回くじが引けたのでひとり1回くじをひいた。
一番運の良さそうな友紀はスカだった。
僕はふつうにスカだった。
ところが、伸彦が大当たり!「おおっ!」という、うめき声をあげた。
なんと当たりの景品は、“テント”だった。それも、今、僕らが買ったものと同じ型のテント。何か、おかしいやら、うれしいやら・・・こんな奇跡もあるものだ。テントを買って、テントをもらうとは。
何か釈然としなかったが、一つでは狭いかも知れないと思っていたので、ふた張りとも持って行こうということになった。
そのテントを今、設営している。一張りではやはり狭かったが、もう面倒だったので、ふた張り目はたてなかった。
ローソクを使う小さなランタンに火を入れるとわずかな光が僕らを照らし出した。そして、固形燃料を焚いて、ラーメンづくりの準備をした。僕らは、バイクの服装から、気軽な服装に着替えていたが、やはり北の国の夜は冷える。ぐつぐつと沸くお湯が、なんとも温かだった。
食後に、コーヒーが欲しくなった。途中の一本道のお店に自動販売機があったのを思い出し、僕は缶コーヒーを買いに出かけた。記憶では、すぐそこだと思って、ぶらぶらと散歩がてらに歩いて行った。
辺りは真っ暗だった。頼りない街灯がたまにあるくらいだ。遠くには町の灯りがちらほらと見える。ほんのすぐそこと思っていたのだが、歩いてみると、ずいぶん遠くにあるようだ。
ふと、空を見上げた。すると、今にも落ちてきそうなくらい多くの星が煌めいていた。寒さを感じるほどの澄んだ空気の中だからだろうか?フェリーの上から見た満天の星空よりも、もっと綺麗だと思った。あ、あれが天の川なのか、ずいぶんはっきりそれと分かる。九州の山の中でもこんなにはっきりと見た記憶はない。ちょっとした感動だった。
長い長い一本道の途中の民家で、子供たちが花火をしていた。あざやかな色彩の火花のひとつひとつがあがる度に、子供たちが歓声をあげていた。その側を通りすぎると、辺りはまた、真っ暗になった。わずかな、鈴虫の鳴き声が、もう秋の気配を感じさせる。まだ八月に入ったばかりだというのに、結構肌寒い。九州とは違う、遠い北国に、いるのだと実感した。
やっと、自販機にたどりつき、缶コーヒーを買って、テントに戻った。
僕たち三人は、テントの前で雑談していた。北海道での初めての夜に、僕らは興奮していた。
キャンプ場のあちこちから、時折響く歓声の他に、雑談の声が聞こえている。みんなも旅の話に花を咲かせているのだろう。僕らも、明日の観光の予定をあれこれ話しあっている。
星空を見上げて、僕はふと、フェリーで出会った、あの子のことを思い出した。
「結局、あれっきりになってしまったな・・・」
今頃何をしているんだろう?今日は札幌だと言っていた。名前と連絡先くらい聞いとけば良かった。まさに、後悔先に立たずだ。
「あのー、すみません」
突然声をかけられ、見上げるとそこに一升瓶を抱えたライダーらしい男が立っていた。
「あのー、僕は、バイクで一人旅をしているんですけど、なかなか眠れないので、お話に混ぜてもらえませんか?」
「ああ、どうぞどうぞ」友紀がにこやかに言った。
「ああ、良かった。これ、お近づきの印です」男はそう言うと持っていた一升瓶を友紀に差し出した。
「あ、すみません。じゃ、早速みんなで空けようか」と言って、伸彦がコッヘルの準備をした。
「そう言えば、まだお菓子が残っていたかな?」僕はテントの中のバッグを開きつまみになりそうなお菓子を取り出した。
そうして、今夜もまた、見知らぬバイク乗りと宴会になった。いくらかの酒が回ると、結構盛り上がった。
「あー、そうですか。学生さんと社会人さんと、プーさんですか」
その男、森田は言った。僕らの社会的な立場のことだ。友紀は大学生、伸彦は本屋で働いている。プーと言うのはもちろん名ばかり浪人生で実質無職の僕のことだ。続けて森田は言った。
「だけど、社会人さんは良く休みがとれましたね」
「ええ、経営者が親戚ですからね。それでも大変だったですよ。もうやめる覚悟で休みをもらったんです」
「僕は、辞めちゃったんです」
「はあ?」
僕らはみんな驚いた。
「7年も勤めた会社だったんですけど、どうしても北海道に来たくて、それで」
「気持ちは分かるなあ。長期の休みってなかなかとれないからですねえ・・・」
伸彦はいかにも良く分かると言った感じだった。
「そうでしょう?まあ、仕事にも飽きてきていたし、ちょうどいいかなって思って」
僕らは同意していいのか悪いのか分からなかったので黙ってしまった。やがて友紀が話題を変えるように言いだした。
「で、どうでした?もうあちこち行かれたんでしょう?」
「ええ、こっちに来てもう一ヶ月くらいかな。大体一周してきましたよ。そろそろ退職金もなくなってきたから、適当にバイトでもしながらまだずっといるつもりです」
森田の言うことは、僕にとっていちいち新鮮だった。
なるほど、そういう生き方もあるんだなと思った。僕はふつうに生きていきたいと思いながらも高校に4年もいたおちこぼれだったし、現に今もプーさんなのだ。自分は何をしたいのか?何が出来るのか?その答えを見つけられずにただなんとなく生きてきたのだ。それなら、自分の好きな場所で、好きなように生きる。それもひとつの道なのではないだろうか?少なくともただ何となく生きていくより、余程いい。
その後、森田からいろいろと見所を教えてもらい、お開きとなった。
自慢の新品テントに潜り込んで寝る時がやってきた。実際にシュラフをひいて三人が川の字になって寝てみると、荷物もあるので、案の定の狭さだった。
伸彦が、天井に吊していた小さなランタンのローソクの炎を消そうとし、誤って固まっていない熱いままのロウを浴びた。
「あちい!」
と言って手を離したため、そのロウは飛び散って寝ていた友紀の顔にまでかかった。
「あちい!」と、友紀も叫んで飛び起きた。
「おまえ、もおー、なんしよっとや」
そう言って、怒りながらロウを払いのけていた。
被害を受けなかった僕は事のなりゆきに笑いをかみ殺しながら、その事件に『テント密室ローソク飛び散り事件』と心の中で命名して眠りについていった。
これが、北海道での初めての夜だった。
キャンプ場の朝は早い。
周りの人たちのテントを畳む音、歩く足音、バイクに火を入れる音に飛び交うかけ声などがさわがしく、なんとなく目が覚めた。やがて、友紀がゴソゴソと起き出し、外でタバコに火をつけた。もう、何時頃なんだろう?うつらうつらしていたが、僕も起き出した。
時計はまだ、7時前。
北海道で迎える初めての朝だ。
さあ、今日はどんな一日になるのだろう。テントの外に出てみると、あんなにたくさん並んでいたテントの半分くらいが、もうなくなっていた。今日は残念ながら、曇り空。肌寒さを感じる。早速、お約束の固形燃料を取り出し、ラーメンの準備を始めた。
朝食の後、僕らはキャンプ場の周辺を散歩してみた。
案内板によると、キャンプサイトは、この鳥沼公園のほんの一角にすぎず、池や森のあるずいぶん大きな公園のようだ。
木立の奥にある池に行ってみた。辺りはしんとしていた。無料のボートがつながっている他は人工物が見あたらず、とても落ち着いた、いい雰囲気だ。
道に戻ってぶらぶらしていると、農産物の無人販売所があった。友紀がめざとく見つけて駆け寄っていった。そこには、野菜や果物が並べてあって、メロンが一玉30円だった。
「安いー」
友紀が唸り僕らはそれぞれメロンを買ってテントに戻った。友紀は大喜びで二玉買った。早速かぶりつく。見た目はあまり良くなかったが味は良い。値段を考えると御の字だ。友紀はにこにこしながらほおばっていた。インスタントラーメン三昧の僕らには思いがけないご馳走だった。
さて、僕らもテントを畳み、いよいよ出発する。先ずは、富良野の最大の目的地、麓郷へ向かう。
キャンプ場から進んで行くと、やがて、砂利を敷き詰めたダートロードの上り坂になった。唯一のオフ車に乗る伸彦が、
「ダートなら、俺にまかせい!」と叫んで、先頭きって突っ込んで行った。
僕も友紀もオンロードで、しかも、荷物を山のように積み上げているのでバランスが悪く、ちょっと嫌な道だった。そんな二人をしり目に、ぐんぐんスピードをあげて走っていく。伸彦は、「うおりやー!」と気合いを入れながら、まさに調子に乗っていた。
僕も伸彦も、125のバイクだが、僕は2ストロードスポーツタイプなので、加速力も、最高スピードも、あまり問題はなかった。というのも、北海道の道は見通しがよくて真っ直ぐなので、つい、スピードを出しすぎてしまう。地元の車も時速100キロくらいは平気で出している。速度超過の善し悪しは別として、そうした、ハイスピードの環境に、4ストオフロード125の伸彦はストレスを感じていたのかも知れない。だから、ここが見せ場だと思って突っ込んでいったのだろう。
僕と、250のオンロードバイクの友紀は伸彦の背中を見つめながら慎重に走って行った。
「うおりやあー」という伸彦の叫びがいつのまにか、「ああああああああー」に変わった。
見ると、伸彦のバイクがよろけている。わだちにでもつかまったのか、見る見る車線を外れ速度をおとしていく。やがて、
「あひゃー」という声にもならない叫びを残して、パタッと路肩の草むらに転んでしまった。
僕と友紀は大爆笑。
転び方がソフトだったので、大したことはないだろうと見切った上での大爆笑だった。
伸彦はバツが悪そうに、草むらにへたり込んでいた。見たところ、やはりけがはなさそうだった。
友紀が、「事故1号」と言って笑いながらカメラを取り出した。
「やっぱり、これは記念写真ものやね」
「あー、わかった。じゃ正座して反省するからちょっと待って」
「はい、チーズ!」
友紀のかけ声とともに、伸彦は倒れたままのバイクを背景に、正座して頭をちょこんと下げたような格好で写真に収まった。
ともかく、伸彦にけががなくてよかった。しかし、バイクは多少やられていた。ミラーが曲がり、ウインカーが折れていた。傷もついていたが、ハンドルとエンジンは無事だった。
応急処置として、友紀が持ってきていたビニールテープと適当な添え木でウインカーを固定し、ミラーを回してほどほどの位置に戻した。とりあえず走ることに問題はなさそうだった。
麓郷では、有名な観光施設にやってきた。それは涼しげな木立の中にいくつかのログハウスが点在していて、それらは、ひとつは喫茶店、ひとつはお土産売場、ひとつは写真館という風になっていた。もちろん、有名なテレビドラマのロケに使われた小屋も残っている。
僕らはそれらをひとつひとつ見てまわった。敷地が広いので、そんなに混み合っているようには見えないが、延べ人数にすると、かなり多くの人出のようだ。三人とも大好きなドラマのメッカだったので、僕たちバイク野郎三人組はふつうの観光客となってはしゃいでいた。
次に、ワイン工場へ行った。
風通しのよい高台の上にある。
ここは、ワインの製造工程が見学できて、試飲もできる。また、ふらのチーズも試食品もおいてあった。独特なラベンダー色の模様が入ったチーズで、ラッキーとばかりに、ごちそうになった。友紀は、それらを買って、実家に郵送してもらっていた。
わずか数日前、一人で舞鶴を目指して走っていた時は、疲れと不安と緊張の中、走ることだけで精一杯だったのに、今はこうして、楽しく観光している。そのギャップの大きさが何となく面白かった。
それから僕らは、観光地図を片手にいくつかのスポットを訪ねてまわった。
ただ、ラベンダーの季節はもう終わっているらしく、伸彦がとても残念そうにしていた。広々とした丘陵で、風にそよぐ一面のラベンダー畑の中を駆けてまわりたいと思っていたらしい。わずかに残ったラベンダーを見つけて、「あーあ・・・」とため息をついていた。
僕らはまた走りだした。
富良野で時間を食いすぎたが、とにかくいけるところまで走ろうということになった。
今日はあまり天気も良くなかったので夕方にはかなり寒さを感じた。冬物のライダージャケットを持ってきていて正解だった。
出発前、僕らは、持って行く装備についてあれこれ悩んだ。問題は北海道の“寒さ”だった。三人とも初めて行くのだし、僕らの周りの人も誰ひとりバイクで行った人はいない。 雑誌の情報では“寒い”ということだったが、それが、一体どれくらいのものなのか、考えあぐねていた。
ライダーの冬用ジャケットは、結構かさばるので、必要ないなら邪魔になる。伸彦は、
「夏は北海道も暑いに決まっている」と主張していた。友紀は、
「そりゃ、天気の日はいいだろうけど、くずれたらわからんと思うよ」と、慎重だった。
「だから、トレーナーの一枚もあればいいんじゃないかな」
「そうかなあ・・・」
僕は二人の話を聞いていて、さァどうだろう、北の国といっても夏だしなァとも思った。
ただ僕は一度冬の阿蘇の山の中を夜走った時、それはもう、ひどい寒さを経験したことがあった。何枚も重ね着していたのにまるで役に立たず、指先はかじかんで動かなくなり、鼻水は凍った。道路凍結に怯えながら、冷え過ぎて固まった体に鞭うって、やっと走り抜くことができた。
だから、寒いのは、もういやだった。多少重装備になっても、安心できるように持っていった方がいいのでは?と思った。
さすがに夏だから、冬の阿蘇ほどひどくはないだろうが、それでも、僕らには未知の北国なのだ。慎重すぎてちょうどいいと思った。
結局、僕と友紀は冬装備を持って出かけた。伸彦はトレーナー一枚の軽装備だった。
その差が冷酷な結論となった。
信号停車で停まる度、伸彦は「寒い寒い」と連発していた。確かに寒かったが、その寒さは冬の阿蘇とは段違いで、ちゃんと着ていれば我慢できないほどではなかった。
それにしても、今日の伸彦はふんだりけったりだ。転ぶし、寒いし。
夜はとっぷり暮れていた。
三台のバイクは煌々とヘッドライトを照らして、日本海側を目指し走っていた。
そろそろ今日の寝ぐらを決めないとまずい。基本的に北海道では、夜は走らないと決めていた。というのも、これも、友紀がどこからか仕入れてきた情報だったが、第一に、北海道の夜はスーパーも、ガソリンスタンドも開いていないらしい。第二に、夜走っていると、いきなり野生動物に出くわすこともあるそうだ。九州でも夜の田舎道で、鹿や狸などと出くわすことがある。しかし、ここは北海道、狸くらいならともかく、熊が現れたら最悪だ。しかもそれは最強のヒグマであろう。
「何でも、熊は時速50キロくらいで追いかけてくるらしいよ」
本当か嘘かは知らないが僕らは友紀にさんざん脅かされていた。道内各地のお土産売場で“熊出没注意”のステッカーを売っているが、あれはひょっとしたらシャレじゃないかも知れないと思って僕は内心ビビッていた。
道沿いに、自販機コーナーを見つけ、友紀が停まった。僕らも続いて停まった。友紀は地図を取り出し、自販機の灯りを頼りに地図をのぞき込み、独り言のようにと言った。
「この先だったら、増毛か、留萌か・・」
伸彦が「どうすんの?」と聞くと、
「いや、今日は駅宿かなあと思って」
友紀が説明を始めた。
駅宿というのは、駅の軒先か、構内を勝手にお借りして泊まる、野宿の一種だ。出発前から計画に入っていたので別におどろかなかったが、ただ、早く決めたいという気持ちはあった。
「この先だったら、増毛か留萌かどちらかになると思う。増毛は、髪の毛の神様の神社があるからお参りついでに行ってもいいけど、ちょっと遠回りかな。留萌の方はここから距離も近いし明日の最北端ゆきにも有利だな」と、友紀が説明した。
「駅はどっちが大きいの?」と、伸彦が聞いた。
「うーん、良くわからんけど、この感じじゃ、留萌かなあ・・・」
僕は内心、熊にビビッていたので、「近いとこに行こうか」と言った。
「そうねえ、もう遅いし・・・」
「よし、じゃあ、留萌に行こう」
という次第で今夜の寝床が決まった。本当にアバウトな旅だ。
留萌の駅に着いてみると、既に僕らと同じ駅宿ライダーが20人位いた。他にもチャリダーが10人位はいるだろう。 みんな駅の横側の軒下に、思い思いにシュラフをひいていた。何人かはその上に車座になって騒いでいた。駅宿する人がこんなにたくさんいるとは思いもしなかったので、その数の多さに驚いた。北海道ツーリングではわりと当たり前の宿泊手段なのかも知れない。
「すみませーん、僕らも入れてもらっていいですか?」
友紀がそう声をかけた。
「ああ、どうぞどうぞ、おい、みんなちょっとつめてくれ!」
面倒見の良さそうな髭づら人が言った。みんながつめてくれたおかげで、僕らのシュラフを敷くスペースが、万一の雨でも心配なさそうな軒下にできた。お礼を言ってシュラフをひいていると、横にいた黄色いツナギの人が友紀に声をかけてきた。
「どちらからですか?」
「はい、九州からです」
「九州の?」
「博多です」
「ああ、そうですか。俺は神奈川。三人とも?」
「ええ、三人できました」
「やっぱり、フェリーで?」
「ええ」
フェリーといえば、僕はまたあの子のことを思い出した。一日に一回は思い出すなあ、
・・・もうどうしようもないのに・・・。
声をかけてきた黄色いツナギの人は、大園という大学生だ。神奈川から陸走してきたらしい。愛車は2スト350のオンロードバイク。僕のバイクの兄貴分にあたるバイクだ。彼は、ツーリングが趣味で、日本中走り回っているという猛者だ。友紀とすっかり意気投合している。
その夜は結構冷えていた。みんな、シュラフはひいているし、寒さ対策のためライダースーツを着ていたのだが、やはり屋外なのでどうしても底冷えする。あちこちから「寒いね」という声が聞こえた。そのうち誰かが、「風呂にでも行って暖まろうか!」と言い出した。留萌の駅の前にはアーケード付きの商店街が広がっているが、その奥に銭湯があるらしい。みんなでそこに行こうということになった。行かない人に荷物の番を頼み、10何人かで連れ立って銭湯へ歩いて行った。予期せぬ展開だったが、昨日はキャンプだったので風呂に入ってなかったし、今日はとても寒いので、僕ら三人も喜んで参加した。こういうなりゆきもまた楽しいものだ。
番台のおじさんは驚いたんじゃないかと思った。なにしろ僕らはみんなバイクに乗る時の汚いままの格好で、ブーツを履いてタオル一本ぶらさげて、10何人もいきなりどやどやとやってきたのだから。それでも、番台のおじさんは平然としていたから、ひょっとすると留萌の駅宿ライダーはここを良く利用するのかもしれない。
思いがけずお風呂にありついて、僕らは上機嫌だった。
疲れた体をざぶざぶと湯船に沈める。お風呂はこんなに嬉しいものだったのか。日常の暮らしの中では、お風呂に入ることが当たり前になっていて、こんなに有り難みを感じることはあまりないだろうと思った。
僕の隣では、途中寒い思いをしてきた伸彦が、鼻歌まじりに、「はあー生き返ったあー」と何度も言っていた。
全員があがってきたところで、僕らは今晩の宿である留萌駅に戻っていった。さっきまでは寒いばかりだった北海道の夜風が、風呂あがりの僕らを心地よく冷やしてくれた。
駅に戻ると、お約束の宴会が始まった。あちこちで旅の話に花が咲いている。みんないい顔をしている。今日たまたまここで出会い、一緒に風呂に入り、楽しく談笑している。中にはさっさと寝てしまった人もいるが、やはり、これも何かの縁なんだろう。そして、明日になれば、またみんなそれぞれの道をゆく。いい思い出を持って。だから、この一瞬が大切で、いとおしく感じるものなのかも知れないな。
やがて、夜も深まった頃、例の面倒見の良さそうな人が言いだした。
「はい、みなさん。今日はお疲れさまでした。ちょうど盛り上がっているところですが、僕らは駅の庇を借りているものですから、駅員さんにも周辺の住民の方にもご迷惑をおかけしないように、そろそろお開きにしたいと思います。僕らバイク乗りが無法者の集団と思われないためにも、もう寝ましょう。ご協力をお願いしまーす」
みんな賛成したかのように、寝袋の中に潜りこんでいった。
僕はその後も何度か、駅宿を経験したが、この日の駅宿が最高に気分良かった。なかなかできない連帯感だった。
やがて、みんな寝袋に収まって辺りは、シーンとなった。まるで、修学旅行のような感じだった。空気がピーンと張りつめ、誰かが、「ぷぷぷ」なんて笑い出そうものなら、一気に大爆笑してしまう、あのノリだ。
誰かが、ボソッと言った。
「わしら、蓑虫のようやなあ・・・」
つられて、ひとりふたり、「ぷぷぷ」と笑った。
「今、無法者に襲われたらボコボコにやられるで」
ついにみんな笑い出した。もちろん、声は抑えているが。確かに寝袋にくるまったまま暴漢に襲われたらまさに、“手も足も出ない”ままボコボコにやられそうだった。そこのところが妙におかしくて、僕も笑いながら眠りについていった。
北海道での、2日目の夜だった。
北海道での2回目の朝がきた。今朝もまた、互いに挨拶をかわしあって旅立ってゆく。そんな風景を眺めながら、僕らはラーメンの準備をしていた。近くでは、チャリダーが2~3人、朝食の準備をしている。彼らは手際がいい。ちょっとしたクーラーバッグの中から食材を取り出し、コンパクトなコンロを使って上手に料理している。やはり、体力勝負の彼らには、食事は大切だろうし、また、大きな楽しみでもあるのだろう。僕はしきりと感心した。
今日から、大園が僕らと一緒に走ることになった。4人でラーメンをすすりながら今日の予定を話し合った。最北端を目指すのに、内陸を走っていくか、海沿いを走るか。
大園によると、海沿いの道の先の方には、どこまでも続く直線があって、そこは恐らく日本最長のダートロードだという。昨日の富良野でのこともあって、僕らは黙っていたが、あと何年かすると舗装されてしまうらしいというので、当時日本最長というダート道を行くことになった。
どこまでも続く広い平野が、この道を境に海に変わっている。
僕らは留萌から、海沿いの道で北を目指していた。今日は特に観光する予定はなかったので、のんびりと走っていた。大園を先頭に、伸彦、僕、友紀という順番で右左にジグザグになるような“編隊”を組んでいた。
やがて先頭の大園が見晴らしのいい道端にバイクを停めた。僕らもそれに続く。
「休憩しよう」
大園はそう言うと、ポケットからタバコを取りだし一服しはじめた。
「この先に・・・」
大きく煙を吐き出しながら僕らに説明を始めた。
「羽幌という町があって、そこの駅前にちょっと面白い喫茶店があるよ」
「どんな?」
「そこで、ライダーが食事とかすると写真を撮ってくれるんだ」
「へえー」
「その写真はアルバムに貼ってずっと保存してくれるらしいよ」
「はあ、」
「それは、お店にいつも置いてあって、次に来た時に見ることができるんだ」
「へえ、そりゃ面白いね」
友紀は既に乗り気になっているようだ。大園は続けて言った。
「それに、夏が終わって、ずいぶんたってから、ひょっこりその喫茶店から手紙が届くんだって。そのタイミングが絶妙で、手紙をもらうと妙にうれしいらしいよ」
「そうかもなァ」と、伸彦が言った。
「まだ、昼めしには早いけど、ちょっと寄ってかない?」
「いいねえ。寄ってこうか」
友紀が乗り気になって賛成した。僕も伸彦も賛成した。
「よし、決まりだね」
そう言うと、大園は吸っていたタバコを、バイクに括りつけていた空カンに押し当てて火を消し、その中に捨てた。
「なるほど」
友紀が感心した。大園はさも当たり前のように、「吸い殻のポイ捨ては嫌だから」と言った。当時は、ポイ捨てが、まだあまりやかましく非難されていない時代だったが、彼は自分のポリシーだと言っていた。
羽幌の町に着くと、僕らは、その喫茶店を捜した。店の前に大勢のバイク乗りがたむろしていたので、ほどなく見つかった。
ちょっとアンティークな雰囲気のあるその喫茶店は、まだ開店していないようで、バイク乗りたちは、開店になるのを待っていた。ここは、バイク乗りの間では有名な店らしい。こんなに大勢集まっているのだから。
やがて開店の時間になった。集まっていたライダー達がなだれ込むように店内に入った。
まだお昼にはちょっと早かったが、僕らは食事することにした。料理を待つ間、写真に添えるコメントを書いた。これは、ずっと残って色んな人の目に触れるんだなと思った。だから、何を書くか、ちょっと緊張した。
食事を済ませ、支払いをした時女性の店員に、「じゃあ、外で写真を撮りますから」と言われて外に出てみると、マスターらしい人が大勢のライダーを相手に写真を撮っていた。
みんなそれぞれ自分の愛車の前で思い思いのポーズをとって写真に収まっていた。
これも、ずっと残るんだなあと思って緊張しながら僕も愛車の前で写真を撮ってもらった。
羽幌の町を後にした僕らは、いよいよ、直線では日本最長というダートロードに入る。その道は見渡す限りの直線で、砂利を敷き詰めたダートロードだ。伸彦はにが笑いをしている。
右手は背の高い草が生い茂る原野で、左手は原野の向こうに海が広がっている。視界を遮るような山も電柱もなく、だだっぴろい道がどこまでも続いている。まるで日本とは思えない風景だった。
「さあ、行こうか」
大園に促され、僕らは走りだした。
大園が先頭切って砂煙を巻き上げながら進む。友紀が2番目、伸彦は3番目。僕は最後尾だった。
バイクのタイヤに押さえつけられる石っころの反撃は強烈で、バイクは激しく上下動を繰り返す。わだちにでもつかまろうものならどこに連れていかれるかわかったものではない。あわててブレーキをかけると、あっけなく滑り出す。伸彦はどうだろう?今日は先頭をいく二人の後からおとなしく走っているようだが。
四台のバイクが砂塵をおそろしく巻き上げている。一番後ろの僕はそのまっただ中にいる。砂塵があまりにひどかったためと、わだちに気をとられていたため、周囲の様子まで見渡すことができなかったが、やっと、辺りを見渡す余裕ができた。右手には相変わらずどこか寂しげな原野の風景が広がっていたが、左手に牧場の風景を見つけた。赤いとんがり屋根のサイロがあり、白樺の木立を隔てて、木製の大きな柵の中に白黒の牛が放牧されていた。牛たちは間のびしたのんきな顔でむしゃむしゃとその辺りの草を食べている。牧場から向こうには海が広がっているのだが、そこに、なんとも息をのむような迫力で巨大な山が浮かんでいる。先頭を行く大園もそれに気づいたのか、適当な所にバイクを停めた。僕らもバイクを停めるなり、「あれは何ていう山なの?」と話あった。友紀が地図で調べると、どうも利尻島にある、利尻山らしい。夏だというのにうっすらとした雪化粧したその姿は、その大きさとともに、どこか神々しい雰囲気があった。僕らは目の前に広がる風景に、ただただ圧倒される思いで見入っていた。
どうやら、40キロはあるだろうというダートロードを走りきったようだ。終わってみると、ホッとする反面、あっけなかったようにも思える。途中思いがけず美しい風景も見たことだし、みんな埃まみれの顔でにこにこしている。初めはちょっとビビッたが、とにかく全員無事に走り抜いた。
その日僕らは最北端を目指していた。
最北端というのは、もちろん“日本最北端の地”のことで、それは、稚内の街から湾曲した海を挟んで対岸の半島にある宗谷岬のことだ。僕らがその数キロ手前にある漁村に着いた時には、もう陽が傾きかかっていた。そこで、これからどうしょうかと相談した。とりあえず、今日の寝床は決まっていた。それは、この漁村にあるバスホテルだ。
バスホテルというのは、内部の椅子などを取り外し寝袋がひけるように真っ平らに改造した中古のバスを、ライダーに無料開放しているもので、気軽に泊まることができるという。それは、日本で一番最北端にあるというガソリンスタンドが始めたものだ。そこで給油すれば最北端給油証明書という記念品と、貝殻で作った交通安全のお守りをもらえるという。もちろん、僕らも今、そのスタンドで給油している。バスホテルはすぐ隣だ。給油の順番待ちをしていると、夕日の光がにわかに強くなって、最北端があるという半島を照らしだした。陸地はオレンジ色のフィルターがかかったようになり、深い紺色の海と抜けるような青空の間にあって、すがすがしく輝いている。僕は文句なしに美しいと思っっていると友紀が言った。
「ここまできたから、別にあわてて今日行かなくてもいいんじゃない?」
「そうねえ、どうしょうか・・・」
伸彦がそう答えると大園はちょっと不満そうに言った。
「早く行って見たい気もするけど」
僕はこの美しい夕日を見て、なんとなく穏やかな心境になっていたので、急がなくてもと思った。
「今日くらいは陽のあるうちにのんびりしたい気もする」
3対1となったため大園もあきらめたようだ。
「まあ、いいか、そうするか」
「うん、別に最北端は逃げないし」
今日はバスホテルでのんびりすることにした。
「すみません、バスホテルに泊めさせてもらっていいですか?」
友紀が給油所のおばちゃんに聞いた。
「ああ、どうぞ。ゆっくり休んでいってください」
ガソリン代を支払い、記念品とお守りをもらって、僕らはバスホテルに行った。
先着のライダーがいた。一人は、僕らと同い年くらいの男性。あと一人は、ショートカットでやや丸顔の女の子だった。僕らは「こんにちは」とあいさつしながらバスホテルにあがった。
シュラフをひいて自分の場所を確保し、荷物を整理し終わった頃、その女の子が僕らに、ノートを差し出しながら言った。
「はい、これ、よかったらどうぞ。旅の記念の雑記帳らしいです。私はもう書いちゃったから」
「いろんな人がここに泊まって、いろんなことが書いてあるので結構面白いですよ」
「ああ、すんません」
伸彦が受け取った。
「君はどこから?」と、大園が聞いた。
「はい、千葉県です」
「ああ、そう。俺、神奈川」
「ああそうなんですか。同じ関東ですね。みなさんも、ですか?」
「いや、僕らは九州です」
「えー九州ですか!遠いとこですねー」
「ここまで来たら九州も関東も遠いとこだよ」
伸彦が笑いながらそう言った。
「そうですね。最北端ですから」
その子は明るく笑った。はじけるような笑顔だった。
「もう、最北端には行ってきたの?」と、大園が聞いた。
「はい。ここに来る途中だったので」
「じゃあ、僕らとは逆コースかな?」
「そうなんですか?私は苫小牧に着いて、知床まわって網走行ってここに来たんです」
「一人で?」
「はい」
「勇気あるねー女の子の一人旅?」
「あはは・・・そうかも知れませんね。でも、私ツーリング大好きだから」
「良く出かけるの?」
「ええ、信州とか東北とか、一人で廻ったんですよ!」
「たいしたもんだ」
そうした会話に伸彦が割って入った。
「こいつなんか、九州から京都に行くだけでも相当弱音を吐いていたのに」
いきなり僕の話題がきた。舞鶴までの一人旅のことだ。
「だって、あれは一人旅のつもりじゃなかったし・・・」
僕はバツが悪くて言い訳した。伸彦はかまわずに続けた。
「まあ、いいじゃん。こいつなんかねえー・・・」
あの時のつらかった話なんか、二人にしなきゃ良かった。まさかこんなところでいきなり“ネタ”にされるとは。それから、先着のもう一人のライダーも加わって、各地の旅の話に花が咲いた。もう一人のライダーは、色白でおとなしい感じだった。反対に女の子の方はとても明るくて、何にでもよくケラケラ笑う子だった。二人は別に連れではないそうで、僕らと同じように今日、ここで初めて会ったそうだ。それにしてもこの女の子は、これだけの男に囲まれて、怖くはないのだろうか?とにかく、みんな楽しく旅がしたいのだ。よこしまな考えは厳禁だ。
近くの“よろづ屋”のような商店に行って、適当な食料を買い込み食事を採った。
外はもう、真っ暗になっていた。バスホテルの中でみんななんとなく時間をつぶしている。
友紀と大園は一緒に地図をのぞいてあれこれ相談している。
女の子は、その側で二人の話をふむふむと聞いていた。
伸彦はバスホテルにあった雑誌を読んでいる。
もう一人のライダーは、ウオークマンを聞きながら寝っころがって、何か考え事をしているようだ。
僕は、例の雑記帳に何か書いてやろうと思って、頭をひねっていた。そんな時、
「あ、そうだ、みんなで花火しません?」
もう一人のライダーが突然言い出した。
「あ!あるの?」
伸彦が身を乗り出して聞き返した。
「ええ、確かまだ残りがあるから・・・」
「いいねえ、やろやろ!」
友紀も乗り気になった。女の子も元気よく言った。
「さんせー!」
バッグの中からはけっこうな量の花火が出てきた。
「どこでやる?隣はガソリンスタンドだからここじゃまずいよ?」
「そうねえ・・・そうだ!船が繋いであるとこでやらない?船に迷惑がかからないようにすればいいのよ」
女の子の案にみんな賛成した。港なら、海沿いだから安全だろうし、確かに船に迷惑をかけなければいいだろうと思った。
バスホテルから、道を挟んだ向こう側は漁港になっていて、何隻もの漁船が繋いである。
僕らは花火を抱えて、ライターを持って、漁港の方にぞろぞろと歩いて行った。風が多少吹いていて船を揺らしている。潮騒の音に混じって時折、船同士のあたる音が響いていた。
大園が適当な場所を見つけた。
「ここなら、いいんじゃない?」
「うん」
「船も遠いしね」
「海に落ちないようにだけ気をつけようよ手すりもないわけだし」
「今落ちたら寒いだろうねえー水温も低いし、心臓止まるかもね」
などと話ていると、うずうずしていたのか、女の子が、友紀が持っていた花火の中から打ち上げ花火を取りだして、
「さ、はじめよ!私これー!」と言って、火をつけた。
シュパン!という音をたてて、赤紫色の火の玉が天空を目指して飛んでいった。
ささやかな花火大会のはじまりだ。
「きゃあー!きれい!」
「じゃ、俺これ!」
伸彦が吹き出し花火を持ってそのまま火をつけた。鮮やかな花火がぱあーっと吹き出した。伸彦は笑いながらそれを大きく振り回した。
「おまえ、危ないからやめれ!」
そう言いながら友紀も棒状の花火に火をつけ伸彦の方に向けている。
「あぶなーい、ふたりとも」
そう言って、女の子は空に向けていた花火を水平にした。悪気があった訳でなく、たまたま手を緩めただけだったのだが、運わるく火の玉が飛び出し、僕を直撃した。しかも、2発。まったく意表をつかれた僕は「ひえっ!ひえー」と叫んで、僕は踊った。正確に言うと、両手両足で火の玉を避けようとしたのだが、その様子が傍目には踊っているように見えたらしく、みんな大笑いしていた。
「ごめんごめん」
笑いをかみ殺しながら女の子があやまった。
「おまえ、踊らんでもよかろうもん!」
伸彦が人一倍笑っていた。僕らは思い思いの花火を手にとって遊んだ。しばらくすると、もう一人のライダーが近くの自販機で缶コーヒーを買ってきた。
「どうぞ、これ、差し入れです」
「ああ、すみませーん、いいんですか?」
「気にしないでください。僕が飲みたかっただけだから」
「すみません、いただきます」
缶コーヒーがいきわたると、僕らは花火を休んで、車座になって腰をおろし、友紀はタバコに火をつけて一服を始めた。女の子が大園に言った。
「花火楽しかったね」
「まだあるから、これ飲んでまたやろうぜ」
「うん」
ちょうどいい一息タイムだったし、貧乏旅行の僕には缶コーヒーの一本でもゴチになるのはありがたかった。もう一人のライダーは存在感のないおとなしそうなやつだけど、なかなか気のつくいいやつだなあと思った。
「あのーちょっと、伺ってもいいですか」
もう一人のライダーが言い出した。みんな「何?」という感じで一斉に顔をむけた。
「みなさんは、何故バイクに乗っているんです?」
唐突な質問だ。僕は「はァ」という感じで、ここは笑ってもいいところなのか?つまりギャグなのか?マジなのか?と思って、もう一人のライダーの表情を窺った。彼は、うっすらと微笑んでいたがその目は間違いなくマジだった。
「何故って・・・何故なんだろう?」と、伸彦が言った。
「自分の車を持ってないからかなあ、手軽な交通手段だし」と、友紀が言った。
大園は「そういえば、気がついたらバイクに乗っていて、あちこちに行ったなあ」
女の子は「はい!私はバイクが好きだから!」
僕は「・・・はやりだからか?いや、爽快感か?」
もう一人のライダーは、続けて聞いてきた。
「じゃ、何故北海道にやって来たのですか?」
「え?」
「そんなこと聞いて何すんの?」
伸彦が聞き返した。もう一人のライダーはにこやかに、
「こんなこと言ったら笑われるかもしれませんが、僕は将来作家になりたいんです。だから、こうして旅をして、そこで聞いたこと感じたことを作品にしたくて・・・」
「ああ、そう。なるほどねえ・・・」と、友紀が感心したように言った。
大園は頭を掻きながら言った。
「参考になるほど立派なものじゃないけどなあ」
「いいんですよ。なんでも」
「いいですねーちゃんと目標があって。私はふだんはただ学校に行って友達とおしゃべりしていて、休みの日にはどこにツーリングに行こうかなんて考えているだけだから」
「僕は・・・」
僕は言葉につまった。もう一人のライダーはマジなのだ。自分のやりたいことをしかりと持っていて、実践している。そんな彼に、考えなしに生きている僕が何かを言うことができるのだろうか?と迷った。そんな僕をさぎるように伸彦が言った。
「そうそう、俺はラベンダー畑が見たかったんだ。もう終わっていたけどね」
女の子がすかさず突っ込む。
「えー男の人がラベンダー畑ですかー」
「いいじゃん。憧れだったんだから」
「何かヘンー」
女の子はそう言ってケタケタ笑った。みんなつられて笑い出した。
僕は表面的には一緒に笑っていたが、心の中では笑えなかった。そう言えば、何故僕はバイクに乗っているんだろう。何故ここに来たんだろう。友紀は、伸彦はどうなんだろう。みんなの話し声が遠くにかすんでいって、僕ひとり取り残されたような心細さを感じた。
みんなでしばらく話こんだあと、再び花火を始めた。
「よっしゃ!」
伸彦が、ロケット花火をつかみ、女の子に言った。
「ロケット花火はね、何本も束ねて発射すると迫力あるんだよ」
「へー」
「いくぞ!」
一斉に点火されたロケット花火はバシュバシュと海のほうへ連続して飛んでいった。何発もの爆音が轟き、辺り一面に、鼻をつく火薬の匂いが漂う。
「すごーい!一本だけよりずいぶん迫力あるんですね」
「そうだろう!」
みんなそれぞれ花火を楽しんでいる。
僕も考えこむのをやめて連発花火を手にとった。その時、
「おまえ、元気ないねーほらっ!」
伸彦が吹き出し花火を僕に向け、「うっほほーい!」と変な叫びをあげながら、火花を浴びせた。
「ワッ!ちょっと待て!」
意表をつかれた僕が花火を避けようと、やみくもに立ちあがった時、女の子と激突した。「しまった!」はずみで、女の子は海に落っこちそうになった。
「ワッワッワッ!」
僕は必死でその子を抱き止めようとしたのだが、もつれあったまま、ふたりともザッブーンと海に落っこちてしまった。
みんな唖然としたようだ。海をのぞき込んでいる。やがて僕らは海面に浮かびあがってきて叫んだ。
「ツ・ツ・ツ・ツ、冷たーい!」
「さ、さみー!」
みんな僕らの無事を確かめ、大爆笑した。
水深はそれほどなくて、立つには立てるのだが、陸はちょっと高いところにあって、自力ではあがりづらそうだ。それに、海水はとても冷たかった。
「わらいごとじゃねーよ!すごく寒いって」
僕が必死に言えば言うほど、みんなの笑いは大きくなった。
「いいから、手を貸せ!この子を引きあげろ!」
僕が怒鳴ると、さすがに女の子はまずいと思ったのか、笑いがおさまり、
「わりい、わりい」
伸彦が手を差し出した。女の子は伸彦の手につかまり、
「こうなったら、おまえも落ちろ!」と叫んで伸彦を海にひきずりこんだ。
「わー」
バッシャーン!と大きな音を立てて、伸彦も海に落っこちた。
「げ、さみー!マジでさみー!」
みんな大爆笑した。そして、大園が言った。
「こうなったら、俺たちもいくか!」
着ていたシャツを脱ぎ捨て「ひゃっほうー!」と叫びながら海に飛び込んだ。
「え、え、ちょっと待って」という友紀を連れて、もう一人のライダーも海に飛び込んできた。
「ひえー」
情けない声をあげ、友紀は情けない格好で落っこちてきた。
「うははははは!」
みんなで大笑いしながら、バシャバシャと水をかけあってさわいだ。
それから、僕ら大ばかものの集団は、それこそ、いたずらをして廊下に立たされる小学生のように、バスホテルの前に立たされていた。
「さみーよ、まだー?」と大園が、バスホテルの中で着替えをしている女の子に声をかけた。
「まだ、だめー」
「急いでくれよ、寒いよ」
海からあがって、先に女の子に着替えさせていたため、僕らはまだ、濡れたまま外で待っていたのだ。
さすがに、日本最北端だけあって、気温は低い。おまけに風があるので、体感気温はおそろしく寒い。僕らは、肩を寄せ合って寒さにうち震えながら、ひたすら待っていた。
これが、北海道での3回めの夜だった。
朝が、またやってきた。
僕らツアラーにとって、朝は別れの朝でもあるのだ。特に、気の合う仲間との別れはつらいものがある。昨日の夜に出会って、ともにばかをやった仲間たちは、それぞれの道をゆくことになる。
「ちょっと風邪をひいたかなあ。でもね、多分この旅で一番の思い出になりました!みなさん、お気をつけて!」
そう言って、女の子が旅立って行った。赤いオフローダーに乗る、その後ろ姿を僕らは見送っていた。
「ありがとう。またどこかで会えるといいですね」
作家志望の、もう一人のライダーもそう言って旅立って行った。
僕らはまた、4人になった。
「さて、と。じゃあ、そろそろ行こうか」と、大園が言った。
北海道では、お互いに名乗らないこともある。その場の雰囲気で名乗ったり名乗らなかったり。お互いに非日常の中で遊んでいるのだから、それはそれでいい。逆にその方が、相手に優しくできることもある。日常の世界で自分が抱えているもろもろのしがらみを脱ぎ捨てて、とにかく楽しくやるために、大抵の人は自分を抑え、相手のことを思いやる。その総和が、いい方向に向かっていくと、せつないくらいに楽しくなるのだ。僕は北海道に来て、それまでの自分と違う自分を見つけたような気がした。まあ、そのことはまた、ぼちぼち考えてみることにしよう。ただ、あの二人の名前と連絡先は聞いておきたかった。またいつか一緒に遊びたかったから。だけど、何となく聞きそびれてしまったので、あの二人は僕の中ではいつまでも、はじける笑顔の女の子と作家志望のもう一人のライダーのままなんだろうと思った。
実は大園はしっかり女の子の住所と名前を聞いていた。おかげで何年か後に僕はいい意味で大変な目にあってしまったが、それはまた別の話だ。
さて、僕らも、僕らの道を走らないといけない。そろそろ、出発しよう。
最北端に着いた。
バスホテルから、海沿いの道をいくと、ほんの近くにあった。既に大勢の観光客がやってきていて、記念写真を撮ったりと、賑わっていた。お土産屋さんのスピーカーからは、大園の情報通り、“最北端の歌”が流れている。それは、一日中流れているそうで、何回も聞かされるので、いやでもあらかた憶えてしまう。
辺りを一通り見渡して、やはり、あの三角形のモニュメントの前で、みんながしているように、記念写真を撮ろうということになった。
先ず、一人づつ撮った。
友紀は万歳のポーズで。
伸彦はヘルメットを被ったまま逆立ちをして。
僕もヘルメットを被ったまま、モニュメントの向こうに広がる海を指さした格好で。 大園は伸彦と同じように逆立ちをしたが、ヘルメットは被らず、満面の笑顔で写真に収まっていた。
最北端を後にして、僕らは海沿いの道を網走方向に走っている。
この辺りの地形は、ひろやかでなだらかな丘陵が、いきなり切り立った崖となって海に落ちている。まるでイギリスかどこかの風景のような美しさと迫力があるが、何か、もの寂しい最果ての地といった感じもある。
僕には、何故か心惹かれる風景で、試しに振り返って反対からの風景を眺めてみたりした。すると、また違った表情があって、面白い。
僕らは、北国の大地と海と大空に抱かれるように、快調にとばしていった。
紋別という町があった。
ここは大きな魚市場でもあるのだろうか?あちこちから魚の匂いが漂ってくる。
僕らはその町の駅でひと休みしていた。 駅からはひとすじの大きな道がまっすぐ海の方にのびていて、両側には駅前らしい商店や民家が並んでいるが、あまり高い建物は見あたらず、見晴らしがいい。
駅舎へ登るための階段に腰をおろして、そんな穏やかな、のんびりとした風景を眺めていた。
タバコを吸いながら、大園が聞いてきた。
「どうする?」
というのは、今後の予定のことだ。
大体のことは決めていたが、ちょっとした話が飛び込んできた。それはホタテ漁師をやってみないかというものだった。
今日これから向かうサロマ湖の辺りではホタテ漁が盛んらしく、朝早く出る船に乗って漁を手伝うバイトがあるという。それがけっこういい金額になるらしいのだ。とある民宿に行くとそのバイトを斡旋してくれるということだった。旅費の足しになるならば、ちょっとやってみてもいいかもという話になっていた。何しろ僕らはインスタントラーメンが主食の貧乏旅行をしているのだから。
「いっちょう、やったるか!」
伸彦が言い出した。それで、何となく決まってしまった。
紋別を出発した僕らは、その斡旋をしてくれるという民宿を目指した。それは、サロマ湖のすぐ近くにあるという。
僕らはオホーツク海沿いの道を走って行った。その民宿は通り沿いにあったから、すぐに見つかった。
まだ夕方ではあったが、他に当てがないので、そこに泊まることにした。
その民宿は、白い2階建ての今風の建物で、外観は民宿というよりも、ペンションのようだった。内部はペンションというよりも、ユースホステルのようで、男女別の相部屋だ。
僕らはバイクを降りるなり、先ずは手続きをしようと中に入ってみて驚いた。もう既にたくさんの宿泊客がやってきていた。オフローダーののっぽのブーツ、ふつうのブーツをはじめ、バイクブーツやウオーキングシューズなどが玄関に溢れていた。奥に視線を移すと、玄関から真っ直ぐに延びた廊下の先に居間があった。ユースホステルでいうミーティングルームのような所だ。そこに先着の宿泊客が大勢集まっていて、もう既に出来上がっていた。
最初の印象は、「すごいところに来てしまったなあ」という感じだった。
僕らは、チエックインの手続きを済ませ、荷物を2階の部屋にあげた。
楽な格好に着替えて1階の居間に行ってみた。そこでは、大勢の宿泊客の真ん中に、ジャージをはいた、角刈りの無精髭のおじさんが陣取って、みんなと一緒に楽しそうに騒いでいる。このおじさんもツアラーなんだろうか?とにかく僕らもその人混みの中に潜りこんだ。こんなに大勢の人がいるのに、しかも殆どが初対面であるはずなのに、ひどく盛り上がっている。よく観察すると、中央のジャージのおじさんが巧みに話題を盛り上げていた。というか、進んでバカ話をしていた。
僕らの隣に女の子の三人連れが座っていて、その内の一人が僕に、
「どちらからですか?」と聞いてきた。もう、何回も聞いた質問だった。まあ、北海道ではあいさつみたいなものだ。
「九州からです」
「九州ですか、いいですね九州も。一度は行ってみたいなあって思っているんですよ」
友紀が、「どちらからですか?」と聞き返した。
「私たちは岐阜県なんです」
今度は大園が質問した。
「岐阜のどちらですか?」
「高山です。飛騨高山ってご存じないですか?」
僕は知らなかった。友紀は聞いたことはあるらしかった。さすがに、日本中を回っている大園は詳しかった。
「ああ、知っています。何回かツーリングに行ったことがあるから」
「え、九州からですか?」
「あ、いや、俺は神奈川だから」
「あーそうなんですか」
「昔の町並みが残っていて、いいとこですよね、高山も」
「ありがとうございます」
「ツーリングって、やっぱりバイクで?」と、三人組の別の女の子が大園に聞いた。
「ええ、いつもバイクです。今回も」
「へえー。私、あまり興味はなかったけど、こっちに来たらいろんなとこにバイクの人たちがたくさんいるじゃない?それでみんな楽しそうに走っているから、急に好きになっちゃった」
彼女たちは、バイク乗りではないそうだ。鉄道を利用して道内を回っているという。そうした話をしていると、漁師の話を聞きに行っていた伸彦が、
「おう、すまんすまん。俺も入れてくれ」と言って僕らの中に潜り込んできた。友紀が彼女たちに紹介した。
「コイツも俺たちの連れなんです。で、漁師はどうだった?」
「え?漁師ってなあに?」
また別の女の子が目を丸くして聞いた。友紀が笑いながら答えた。
「いやー、バイトなんです。ホタテ漁の手伝いをするという」
「で、どうだったんですかァ?」
「うん。問い合わせてくれるらしいよ。でも、もし連絡がつかなかったら明日になるって」
最後に話しかけてきた子は、
「でも、楽しそうでいいですね。漁師さんって」と言ってクスクスと笑った。
そうこう話している内に僕たちは仲良くなった。
ちなみに、彼女たちの名前は、最初に話しかけてきたのが千秋さん。髪をショートカットにしたふつうの子だ。
二番目に話しかけてきてバイクの話をしたのが祥子さん。長い髪のちょっとした美人だった。
最後に話しかけてきて、漁師に驚いたのが里美さんという。やや丸顔でどちらかというとおっとりしたかわいらしい感じの子だ。
彼女たちは中学からの仲良しらしく、みんな僕よりも一つ年上の女子大生だった。
完読御礼!
読んでくださる方に感謝です!
次章もよろしくおながいします!
*この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。