第一章 少年の日
1980年代、北海道ツーリングの一大ブームがありました。
あの夏の空気感をあなたに!
*「エブリスタ」にも掲載しています。
序 章
第一章少年の日(今回はこの部分です)
第二章憧れの大地へ
第三章旅するものたち
第四章 こころの風景
第五章 風の吹く丘
第六章 瀬川千賀子
第七章 風の吹く丘で
最終章 あの暑い夏の陽に
序 章
星の数ほどの若者たちが、かつてそうしたように、当時二十歳になったばかりの私も、ハーフクォーターのバイクに跨って、遥かな北の大地を駆け抜けた。
目を閉じると、懐かしくて美しい風景が、きらきらとした光彩をまとって甦る。
あのさわやかな風は、今も大地をつたい一面の草原をおし渡っているのだろうか。
あの抜けるような青空も、夏の日差しも、旅人を優しく見守ってくれているのだろうか。
その風景の中に、千賀子は、いた。
第一章 少年の日
その年の春。
僕、吉村貴志は高校を4年もかかってやっと卒業した。
そこそこの大学には合格したのだが、一流の大学には落ちた。「なんとなく」で、どうでもいい大学には行きたくなかったし、自分が本当は何がしたいのかをじっくり考えてみたかったから、とりあえず浪人という肩書きで、進学も就職もしなかった。僕は、女友達と遊んだり、仲間とバイクを乗り回したりして、一日一日を浪費していた。
それは、自由と放埓の日々を謳歌しているように傍目には見えるかもしれない。確かに、若さという弾けるような時間を好きなように使っているのだ。しかし、本当にそうなのか。少なくともそのことに悩むだけの理性は持ち合わせていた。先の見えない不安はとても息苦しく、憂鬱なものだ。
やりたいことがどうしても見つからない僕は、本当は、暗い淵の底でもがいているだけの少年だった。
とある日。
僕は高校時代の友人で地元の大学に進んだ北川友紀のアパートに転がり込んでひまつぶしをしていた。
友紀は現役で大学に進んでいたので、もう2年生になる。最近、親元を離れてアパート暮らしを始めた。もともと孝行息子の友紀なのだが、僕とは違って自分の道というものをしっかり考えていた。それで、もの思うところがあって一人暮らしを始めた。おかげで、そのアパートは僕らの格好のたまり場だった。
その日はもう一人、高校卒業後、親戚の経営する本屋で働く長谷部伸彦が仕事の帰りに遊びに来ていた。本屋といっても、いくつかの支店があるような、地元ではわりと大きめの本屋だった。そこで事務処理をしたり、得意のバイクで配達したりしている。僕らは高校時代のクラスメイトで、よく一緒にバイクを乗り回して遊ぶ仲間だ。
それは、なんの変哲もない一日の、穏やかな夕方だった。
友紀は雑誌を読んでいた。伸彦は寝そべって漫画を読んでいた。僕はファミコンで歴史もののシミュレーションゲームをやっていた。
そんな時、友紀がふと言い出した。
「今度の夏、北海道に行こう」
あまりに唐突な話だった。友紀は北海道特集のバイク雑誌を読んで思いついたようだ。
「バイクで?」と僕は聞き返した。
友紀が「うん」と答えると、伸彦はちょっと考えるように言った。
「いいねえ、俺も一度は行ってみたいと思ってたんだ。けど、仕事あるしなァ」
「貴志はどうする?」
そう聞かれた時、僕のイメージにある丘陵の風景がふっと、穏やかな風をはらみながら頭の中に浮かんだ。何故か小さい頃から北海道というと思い浮かべるイメージだ。
「何か見つかるかも知れないな」
そんな期待が、僕の心に吹き抜けていった。
「ああ。行こう」
僕は即答した。
問題は伸彦だ。やはり行けそうにないと言っていた。
「社長の叔父さんに頼み込め!」
友紀はそう言いながらバイク雑誌の写真のページを開いて伸彦に見せた。
「ほ~ら、お前の好きなラベンダーが見渡す限り続いているぞ。あのテレビドラマのロケ地もあるし」
「それは、わかっているケド・・・」と言葉を濁す伸彦に、横から僕が口を出した。
「店番じゃないから盆休はあるんだろ?それに有給でも付け足せよ」
友紀もたきつけるように言った。
「おまえには、十代最後の記念だろう、そう言っておじさんを丸め込めよ」
なるほど、友紀はそう思っていたのか。確かにその通りだ。僕と友紀は8月までには二十歳になるが、伸彦は12月。僕らは二十歳の記念に、そして伸彦は十代最後の記念となる。
伸彦は「そうねえ・・・」と、その場で即答しなかったが、やはり、“十代最後の”というコロシ文句に心が動いていたのだろう。数日後友紀に電話があって、弾んだ声で、「そうとう頼み込んでなんとかOKをもらった」という返答があった。
浪人生の僕には、旅費が問題となる。「勉強しろ」とうるさい親に「帰ってきたら真面目に勉強するから」と半ばけんか腰に頼み込んだ。何度も掛け合い、ようやく旅費の半分を出してもらえることになった。あとは貯金の全てを注ぎ込むつもりだ。
友紀はバイトで稼いだ貯金がそれなりにあるそうで問題はなかったうえに、「いらない」と断る友紀に、親が「旅先ではお金が頼りだから」とたくさんの餞別をくれたそうだ。
いよいよ北海道に行く夏がやってきた。
計画はこうだ。
予算と時間を節約するために、伸彦の勤めが終わる夕方5時すぎに福岡の街を出て、一晩中走り続け、翌日の夜、京都舞鶴の港から出発する小樽行きのフェリーに滑り込む。丸一日眠らずに、しかも700キロ彼方の見知らぬ土地へわずか125(僕と伸彦は125CC、友紀は250CC)のバイクで走って行こうというのだから、結構怖いもの知らずの計画だ。勤務あけに出発する伸彦は大変のはずだが、僕らはその行程の苦しさを想像するより、見知らぬ土地を走る楽しみの方が勝っていた。普段のツーリングでは、一日2~300キロくらい平気で走っていたので、単純にその倍くらいの数字にビビッてはいなかった。
三人は、集合場所である友紀のアパートを予定通りに出発した。
夕方だったので福岡の街は渋滞していた。
荷物を山のように積み上げた3台のバイクは車の間を小気味よくすり抜けながら走って行った。
信号停車の時、車の見知らぬおじさんが友紀に何やら話しかけている。どうも、僕たちの大変な荷物を見て、どこまで行くのか興味を持ったようだ。後で聞いた話では「北海道」と聞いて感心するようなあきれるような顔ではげましてくれたそうだ。
先ずふつうに考えると九州から北海道というのは、バイクで行くには、やはりあきれるくらいの距離があるし、僕ら九州の人にとって、北海道というのはイメージのはるか向こうにおぼろげながら浮かんでみえる異境の地といった感じだ。分かりやすく言うと身近に感じる場所ではないのだ。意識的なものも、物理的な距離も九州と北海道では大きな隔たりがある。だから、行ってみたいし、走り甲斐もある。
15分も走った頃、予想だにしなかった出来事に見舞われた。
大きな交差点で、右折信号が出た時に、先頭を走っていた友紀が信号停車中の直進車の右側を強引にすり抜け右折車と並ぶようにしてギリギリのタイミングで右折して行った。伸彦もそれに続く。僕は、一番後ろにいた事と、車にちょっと引っかかったのでやや出遅れ、右折のタイミングを逃してしまった。実はこの当時、免許証の減点が5点だったことも僕を慎重にさせた。信号が青になり、僕はゆっくりと右折した。しかし、いつもなら一人でも信号にひっかかった場合、その辺で待っててくれるはず二人が見あたらない。まあ、そのうち会えるだろうと思って進んで行くが、いつまでたっても見あたらない。どうやら僕ひとりはぐれてしまったようだ。
計画をたてた友紀が地図を持っているし、道順やフェリー案内などこの旅の計画全てを友紀に依存していたので、これは大変なことになった。
当時は携帯電話なんてなかった。はぐれたら、それきりだ。
とにかくこれ以上先に進むのは危ないと思い、通ってきた道を引き返した。
そして、とうとう集合場所だった友紀のアパートにまで戻ってきたが、誰もいなかったので、アパートの前でしばらく待ってみることにした。二人の方も僕がいないと気づいたらきっと ここに戻ってくるはずだ。
それにしても、まさか出発して15分くらいの間に、しかも地元の街の中でいきなりはぐれてしまうなんて想像もしていなかった。出発早々“いきなり迷子”などと言う“事件”を起こしてしまったなあなどと思って、おかしさがこみ上げた。
西の空には、きれいな夕焼けが広がっていた。
やがて、10分がたち、20分が過ぎ去ろうとしていた。
僕はさすがにあせってきた。ひょっとして二人は僕が先に行っていると勘違いして、そのまま進んでいるのかも知れない。なにしろ僕は普段のツーリングでも、先頭を走るサブリーダー(僕らのチームでは実力ナンバー2がサブリーダーとして先頭を走り、ナンバーワンはリーダーとしてみんなの様子を見渡せる最後尾を走るという取り決めがあった)が遅いと見るや、さっさと追い抜き好き勝手に飛ばしていく札付きの無法者だ。サブリーダーは、その時に参加したメンバーの実力を考えてペースメイクしているのに、だ。だから、また僕が勝手なことをしていると思われていても別に不思議ではない。日頃の行いがこんな時に祟るのかも知れないな。
さて、困った。
もし、このままずるずると時間が経てば、明日の夜のフェリーに乗れなくなって、僕ひとり北海道へ行けなくなるような気がした。そんなことを、友紀のアパートの外階段に腰をおろして、なんとなく西の空の綺麗な夕焼けを眺めながら考えてこんでいた。
辺りの空気は昼間よりも随分涼しくなったが、それでもかなり蒸している。
やかましいくらいに鳴いている蝉の声が遠くに聞こえている。
やがて、「しょうがねぇなぁ」と思って立ちあがった。
ここまで1時間近く待ってみて、二人が来ないということは、僕がまた勝手なマネをしていると思って走り続けているに違いない。ということは僕も今から、とにかく走って行けば二人に追いつくかも知れないし、最悪でも明日出発のフェリーに乗れれば、そこには必ず二人がいるはずだ。
道順も、情報も何もなかったが、とにかく走ればなんとかなるだろと思って、一人ではなかったはずの旅が始まった。
2時間も走っただろうか?
僕は北九州の街に入った。
福岡から見ると隣まちのような都市なのに、バイクでやってきたのはこれが2回目なので道がよくわからない。
事前に友紀からあらかた聞いた説明では、国道3号をこのまま北上して門司から下関へ関門トンネルで渡る。トンネルは一般国道だが、50の原付バイクは車道の下にある人道を押して渡らなければならない。しかし、同じ原付でも125のような原付二種は車と一緒に車道を走ることができるということだった。その後下関から山口へ行ってそこから主に国道9号で日本海側を走って舞鶴を目指すことになるらしい。
さて、先ずは関門トンネルを探さなければならない。
国道3号を門司方向へ走っていて、あまり、親切とは思えない標識のおかげで、うっかり高速道路のランプに案内されてしまった。125である僕のオートバイは当然入れないので、側道に逃げ込んだ。(125の悲しい習性だ)するとそこはアップダウンの激しい細い道路で、しかも住宅地の中を走っている。本当にこの道でも大丈夫なのかと迷ったが、後戻りするのは嫌なので、そのまま進むことにした。
併走する高速道路をうらやましく思いながら、いくつかのアップダウンを越えていくと、やがて国鉄(当時はまだ民営化されていなかった)の操車場らしきところが見渡せる高台の上に出てきた。オレンジ色の照明に照らされたいくつものレールが幻想的に輝いている。そこに吸い込まれるかのように道路は下り坂。急降下といってもいいくらいの傾斜があった。僕のバイクは、なにしろ荷物を山のように積んでいるので背中から押されるような感じで、それにエンジンブレーキも期待できない2ストマシンだ。ギアを落とすと、エンジンが無駄にうなりをあげていた。
坂をくだりきりきると、そこはT字型の交差点になっていた。正面に見える標識をようく見ると、目の前の道は国道3号らしく、ここで右折すれば門司に行けるようだ。
僕は路面電車のレールを慎重に跨いで右折した。
門司駅を過ぎると、国道3号は道幅がせまくなっていく。その上を、当時、路面電車が走っていて、最も狭いところでは車道と線路がほぼ重複している。軌道敷内が車道になっているという珍しい構造で、そこには敷石が敷かれているので、豪勢な石畳の道だった。
無事に九州を脱出し、本州に上陸した僕は、いつの間にか山間部を走っていた。
時計はもう、11時くらいを指している。考えてみると福岡を出て関門海峡をわたり、もうすぐ山口に入ろうとしているのに、先を行っていると思われる二人に追いつこうと勢い込んでいたため、ここまで一度も休憩していなかった。ゆるやかな高速コーナーが連続したこともあって、やや疲れを感じてきた僕は、ここらで一休みしようと思った。
しばらく行くと適当な休憩所があった。
そこの建物の近くにバイクをつけた。エンジンを止めて降りようとした時、足がややふらついた。さらに、さっきまで生ぬるい夏の夜風の風圧に曝されていた両腕がビンビンと突っ張るような感じがした。疲れている自分をはっきりと自覚した。そして、ちょっと心細くなった。
休憩所の外灯には、多くの虫がまとわりついていた。
虫にさえ、こんなに仲間がいるのに、今僕はひとりぼっち。見渡すと、辺りは深い暗闇と静寂。人の気配すら感じられない寂しいところだ。通りすがりの車が、大きな騒音とともに僕を照らしては過ぎていった。そして再び静寂に包まれる。底抜けな寂しさが込み上げてきた。
店の中に入って、お決まりの缶コーヒーと自動販売機のチーズバーガーを買った。話す相手もなく、ときおり行き交う車のテールランプを眺めながら、無言で食った。
山口市に近い小郡に入った。
市街地の中を、9号目指して走っていた。
沿線の民家も商店も、深い眠りについている。僕のバイクの風圧が商店のシャッターを押しのけようとして激しい音をたてている。道がよく分からなかった。市街地はやはり、めんどうくさい。標識のひとつでも見落とせば、方向が大きく違ってしまうこともよくある。スピードはやや落としていたものの僕の視線はいくつかの信号の先にある案内標識を見つめていた。
その時。
右前方を走っていた車がいきなり僕の進路を遮るように左折した。ウインカーもついていなかった。
「あぶねー!」
瞬間的に心が叫ぶと同時に僕は、おもいっきりブレーキをかけた。リアサスが一杯に持ち上がり、キキッ!とタイヤが鋭く短い悲鳴をあげる。そして、前輪のほんの鼻先を、車は通り過ぎていった。
危なかったが、とりあえず事故にはならなかった。
その瞬間は夢中だったので、意外な冷静さがあったけれども、一安心すると同時に恐怖感がわいてきた。僕はバイクを止めて、大きく深呼吸した。
ふと見ると、左折した車も止まっていて、中から人が降りてきた。その人は黒いズボンに黒いTシャツ、黒いカーディガンに黒いサングラス、そして、雪駄を履いた角刈りのオニイサンだった。肩を怒らせ、のっしのっしと僕の方に歩いてくる。僕は、事故とは違った意味の恐怖を感じた。しかし、ここで気後れすればどんな目に遭わされるかわからない。僕はとっさに、さっきの様子を頭の中で再現してみた。よし、僕は悪くない。別にぶつかってもいないし。来るなら来て見ろと、気合いを入れた。
こんな時は弱気な方が負けなのだ。それは、経験上知っている。
あれは、僕の高校留年が決まった2回目の2年の、7月頃の話だ。
僕はそのクラスではちょっと浮いた存在だった。年下の連中になめられないようにと精一杯虚勢を張っていたからだ。
そんな僕に、学年中のワルが目をつけた。
ある日の放課後、下校しようと何気なく校舎の階段を降りていた僕は、踊り場で待ち伏せしていたワル軍団に囲まれてしまった。ワル同士の横(縦?)のつながりはすごい。よくもこんなに集まったものだ。踊り場に7人くらいはいるだろう。その他、上の階にも下の階にもどこからともなくサッと数人が現れて、見張りをしている。
めんどうくさいことになった。しかし、それまでさんざん虚勢を張っていたので、今更みっともないマネはできない。同じやられるにしても最悪だれかひとりだけに的を絞って、そいつだけでもやっつけてやる。中学まで野球をしていた僕は体格も運動神経も自信があるし、何より1対1のけんかに負けたことはない。そう思って僕は怖い顔して突っ立っていた。僕を囲んだ連中は、やや遠巻きにして様子を窺っているようだった。
やがて、その中の一人(コイツがボス猿か!)でガタイのいい体育会系の男が、
「お前、ちょっとこい」と、言ってきた。
僕はそいつの方に振り返り睨みつけたまま、ここで逃げたらやられると思った。それで僕は連中を睨みつけたまま憮然として突っ立っていた。ふとみると、囲んでいる連中も目一杯緊張しているようだ。ボス猿以外は。いや、ボス猿もわからない。みんな拳を握りしめたまま青い顔をして固まっていた。なんだかんだ言っても、こいつらは僕よりも年下なんだという気がした。僕は急にばかばかしくなった。もう相手にするのはやめようと思った。
僕は、低い、落ち着いた声で言った。
「どけ、俺は帰る」
そして、囲んでいるうちの一人を押しのけて下の階に行こうとした。押しのけられた男が、僕をひきとめようと、腕につかみかかった。僕がそいつの腕を払いのけると、その男はビクッとのけぞった。僕は睨みつけたまま全員を睥睨し、そして、さっさと階段を下りて行った。誰も追ってこなかったし、見張り役も僕の邪魔はしなかった。
僕の気迫勝ちだったのだろう。それから二度と囲まれることも呼び出しを受けることもなかった。
時には一歩も引かない姿勢を見せる事は大切だ。あの時うろたえて弱気を見せていたら、おそらくつけ込まれたのだろうと思う。しかし、僕の高校は県内トップの進学校なので、ワルといってもたかが知れている。
が、世の中には本当のワルもいる。
はたして今、目の前にいるオニイサンはどうなのか?
とにかく気合い負けだけはしないつもりで逃げもせずその場に立っていた。すぐに、そのオニイサンは僕に近づいた。僕は心の中で身構えた。来るなら来い!
「よお、大丈夫か?」
意外といえば失礼かもしれないが、意外に優しげな感じオニイサンはそう言った。
僕は肩すかしを食らったような気がした。拍子抜けしてキョトンとしている僕に、オニイサンは笑いながら言った。
「あんたのバイクはちょうど死角に入っていて、わからんかったよ、すまんな」
「あ、いえ、別に・・・」
「福岡からか、これからどこまで?」
「はあ、北海道に・・・」
僕と向き合ったまま、そのオニイサンはズボンのポケットからタバコを取り出して、さらに聞いてきた。
「一人でか?」
「はあ・・・」
「そうか」
オニイサンはジッポライターでたばこに火をつけ一気に大きく吸い込むと、また、大きく吐き出しながら、「そら、楽しみやな」といってニカッと笑った。その笑顔には何とも言えない親しみがあった。
僕は戸惑った。何だこの笑顔は?僕はてっきり「気をつけろ!」とか、いちゃもんをつけられるものとばかり思っていた。僕は理解に苦しみ、早々にこの場を離れたいと思った。
「じゃ、僕、急ぎますから・・・」
「おう、そうか、気をつけてな」
それだけのことだった。
時間にすればほんのわずかな時間でしかなかった。
しかし、その瞬間はたくさんの出来事が凝縮されていたような気がした。
僕はこれまで物事を一直線、一方的にしか考えていなかった。だから身構えた。来るなら来い!とも思った。しかしそれは、見事に肩すかしを食らった。
正直なところ、めんどうにならなくて助かった。という気持ちが大きかったがそれにしても、僕よりもあきらかに年上のあのオニイサンの態度は何だろう。優しさなのか?それともあれが、大人の余裕というヤツか!だとすれば、僕は自分がどうしようもない子供のような気がして、激しい悔しさを感じた。それは、これまでにも感じたことのある悔しさだった。
ちょうど一年前、高校4年目の3年生の夏休みのことだ。
仲間とツーリングに行った帰り、みんなで夕飯にしようと、ファミリーレストランに立ち寄った。そこで、思いがけず中学時代に好きだった子と再会した。
その子の名前は、森崎慶子。中学2・3年の頃のクラスメイトだ。色白で、サラサラした髪のほっそりとした子だった。
中学時代の僕は、野球部に入っていて丸刈りの坊主頭。おまけに日焼けで真っ黒だった。僕は、森崎のことが好きだったので、彼女の前で妙にカッコつけたり、笑わせたり、そして、ちょっとだけいじわるしたことも憶えている。だけど、肝心なことは言い出せなくて、そのまま卒業した。
ファミレスで再会した森崎は、きれいになっていた。
地元の短大に進学したという。女友達と3人で来ていた。
僕は、これは神様がくれた最後のチャンスだと思った。
僕の仲間も、森崎の友達も無視して、彼女をファミレス入口の、電話の置いてある風除室に連れていった。そして、一度二人で会ってくれないか?と頼んだ。あまりにも唐突だったが、森崎は以外にあっさりと「いいよ」とOKしてくれた。
僕は天にも昇る気持ちで席に戻った。
バイク仲間のみんなから冷やかされた。
3つ向こうのボックス席に戻った森崎も、友達から冷やかされていた。その会話がおぼろげながら僕の耳にも届いた。
「森崎ィ今のだあれ?」
「ただの友達よ。中学時代の」
そうか、僕は“ただの友達”なんだ。
それは、確かにそうだ・・・。周りで騒ぐバイク仲間の雑音をシャッタアウトして森崎たちの会話に耳をそばだてた。
「そうよねぇ、森崎にはあんなに優しい年上のカレがいるんだから」
「もう、やめてよ」
森崎は笑った。
僕は笑えなかった。
というか、ひきつった。じゃあ、何故OKなんだ?あの笑顔は何?と心の中で何度も繰り返した。
やがて、秋の気配が深まる頃、僕と森崎は、けやき通りの小さな喫茶店で会うことになった。
けやき通りは、その名とおり、けやきの木が、車道と歩道を隔てるようにどこまでも続いていて、福岡の中でも秋が似合う街だ。紅葉した紅やオレンジ色のけやきの葉っぱと、濃いチョコレート色の幹が見事なコントラストをなして、レンガづくりの歩道に覆いかぶさるように並んでいる。
僕は約束の時間通りにやってきた。
店内をのぞいてみると、森崎は先に来ていて、僕を見つけるなり、笑顔で手を振った。
その笑顔につられるように、僕は森崎の側に行った。
「もう、ずいぶん寒くなったね」と彼女は言った。僕は、「ああ」と言って、彼女の前に座り、アメリカンコーヒーを注文した。森崎は既に紅茶を注文していた。
僕らは中学時代の思い出話とか、何気ない世間話をした。
ひとしきり話をした後で、僕は思いきって、中学の時から、実は森崎のこと、好きだった。と打ち明けた。
森崎は穏やかな笑顔で聞いていた。
僕はカッコ悪くても構わないからとにかく包み隠さず僕の気持ちを話した。やがて、森崎は言った。
「貴志くん、野球部のエースで4番だったから、女子にも人気だったよね。ホントはね、私も貴志くんのこと好きだったよ」
僕の心臓は破裂寸前になった。
森崎は笑顔のまま続けた。
「でもね・・・」
「今、わたしには他に好きな人がいるの」
僕の全身から、サーッと血の気が引いた。
それが、例の優しい年上のカレだということは見当がついた。だけど、そんなこと関係ないと思って、僕の森崎への思いを一方的に話し続けた。やがて森崎は言った。
「そこまで思っていてくれているなんて、思わなかったわ。だって貴志くん、時々ひどいいじわるだったもの」
いや、それは好意の裏返しなんだって言おうとした僕を遮るように、森崎は言った。
「彼はね、とても優しいの。なんていうか、いつでも見守ってくれているっていうか、なんでもわかっていてくれるっていうか。だから、彼のそばにいるとなんだか落ち着くの・・」
僕には、森崎が言っていることの意味が理解できなかった。理解しようともしていなかった。僕はこんなに森崎のこと、好きなのに、何で分かってくれないんだ!年上のおやじ(?)といて、何がそんなに楽しいんだ!としか思わなかった。しかし、どんなに僕が話しても、森崎は笑顔で聞いているだけだった。
とりつく島もない。
というのは、まさにこの事なんだろう。
やがて、僕らは店を出て、そのまま別かれた。別れ際、彼女は穏やかな笑顔のままで、「ごめんね、貴志くん・・・」と言った。
けやきの枯葉が舞い落ちる中、帰っていく彼女の姿がどんどん小さくなった。その後ろ姿は、僕にはなんだか力強く見えた。それは、まるで彼氏から与えられている幸せを物語っているような気がした。
彼女の心の中に、もう僕の居場所はないんだな。ということだけは理解できた。
思えば、こんなうっすらと寒い秋の夜、文化祭の準備で帰りが遅くなった時、僕は彼女をチャリンコの後ろに乗せて送って行ったことがある。その時二人は何も話さなかった。どうして、僕はあの時彼女に告白しなかったのだろう。あの時告白していれば、また違った展開になっていたろうに・・・
僕は後悔した。
心に穴があく。とはこういうことを言うのだろう。よく、失恋した女の子のセリフとして耳にする。それが、今初めて実感できた。
僕は帰ってから、何もする気になれなかった。そのままベッドに倒れ込んで悶々としていた。心がとても重たくて、眠る気にもなれなかった。
時計を見ると、もう夜中の2時になろうとしていた。
僕は、どうせ眠れないならと、バイクで走りに行くことにした。
走ることで気分を紛らわしたかった。さっさと着替えて、バイクに跨り、いつもひまつぶしに走りに行く小戸のヨットハーバーを目指した。
ヨットハーバーは、冷たい風が吹いていた。
セイルに張るロープがマストにあたり、カランカランと、どこか寂しい音を立てていた。冷たい月が沖天にあり、その光を受けて沖合の海がキラキラと輝いていた。今日は、珍しくアベックの車も族も見あたらず、僕ひとりきりだった。
近くの自動販売機で最近入りはじめたホットの缶コーヒーを買って、堤防の突端まで歩いて行った。そこに腰をおろし、缶コーヒーを開けた。
堤防の外の海の輝きを眺めながら僕は今日のこと、中学時代のことを次々と思い出していた。そして何故か高校2年の時に付き合っていた、芳香のことまで思い出した。別れ話になった時、彼女は確か、
「あなたは子供だから、人の気持ちがわからないのよ」と言っていた。
その時は僕も頭にきて、「おまえ、何言ってんだよ、意味わかんねーよ」と言い返した。
つまりはそういうことなのか?僕は子供なのか?それじゃ、大人ってなんだ?人の気持ちがわかるのが大人なのか?じゃあ、僕の気持ちは誰がわかってくれるんだ?みんなそこそこ人の気持ちがわかる振りをしてテキトーにやっているだけじゃないのか?本当は何なんだ?それがわかるのが大人なのか?本当のことがわかって、優しいヤツが大人なのか?そんなのウソッパチじゃないのか?
僕には、もう自分の考えていることさえ、何がなんだかわからなくなった。
あれから、半年以上たった今も、僕には何もわからない。
そういえば、あの時森崎は何故僕に会ってくれたのだろう。軽い気持ちだったのかも知れないし、あるいは、自分の気持ちに整理をつけたかったのかも知れない。ひょっとすると、僕の気持ちをわかっていて、それをシャットアウトするためだったのかも知れない。だとすると、それは、意地悪なのか?いや、たぶんそうじゃない。あの時の森崎の笑顔に嘘はなかった。僕の気持ちをわかっていただけに、はっきりと断った方がいいと思ったのだろうか?そうなのか?それが、大人ってヤツなのか?
やっぱり、わからない。
まったく、ちょっと事故に遭いそうになっただけで、なんちゅうことを思い出してしまったことか。とにかく、事故にだけは気をつけよう。
峠を越えていた。
眼下には津和野の町のともしびが見える。
他には車もバイクもいないので、僕のバイクの爆音のみが辺りに響き渡る。トンネルが迫って来た。規則的に並んでいるオレンジ色の照明を受けながら進む。トンネルを抜けると急角度のコーナーになっていた。まるで条件反射のようにアクセルを絞る。ブレーキをかける。クラッチを切る。シフトダウンする。半クラであたりをつけながらアプローチに入る。コーナーの深さにあわせて、バイクを寝かし込む。クリップポイントを過ぎたあたりで、アクセルを開く。エンジンがうなり、爆煙が飛び散る。
僕は、無言で走り続けた。
霧が出てきた。
夜の闇を切り裂くはずのヘッドライトが、真っ白な壁をつくっていた。
平野部の真っ直ぐな一本道。街灯も、民家の灯りもみあたらない。おまけに、ガソリンもそろそろなくなる頃だ。リザーブに切り替えてからもう随分になる。こんなところでガス欠したらたまらない。疲労と不安とガス欠に加えて、走っても走っても、そこは真っ白な世界。どこか、異次元の世界にでも紛れ込んだような、そんな錯覚を感じた。猛烈なスピードで一気に近づいてくる霧たちが僕の直前でスピードをゆるめ、そして僕をからかうようにして後方へと流れていく。それこそきりがない。
どれくらい走ったのか?
僕はもう、うんざりしていた。いいかげん手をあげて降参したくなった。
そんな時、遠くに輝くオレンジ色の灯を見つけた。それは、紛れもなく、ガソリンスタンドの灯だった。
「たすかった・・・」
ガソリンスタンドの灯がこんなに嬉しかったのは、初めてだった。
潮の香りがする。
風の音。
波の音。
そして、行き過ぎるトラックの騒音も聞こえる。
僕のオートバイは日本海側を走っている。
夜がうっすらと明けてきた。ちょうど、島根県の益田を過ぎ、浜田に差し掛かろうとしていた時だ。
相変わらずなまあたたかい空気の中にも、朝の独特なひやりとした感じがまじってきている。
闇夜は、永遠に続くかのように思えた。その中でたくさんのマイナス思考が堂々巡りしていた。それに、いつまでたっても仲間と合流できない焦りが僕を相当追いつめていて、とてもまともな精神状態ではなかった。しかし、気持ちが負ける、その一歩手前で夜が明けてきたのでなんとか持ちこたえることができた。不思議なもので、こうして陽が昇ろうとしているのを見ると、新しい一日への力が湧いてくる。
鳥たちもお目覚めのようだ。ところどころ集団で騒がしいくらいに鳴いている。
僕は海沿いの道を快調に走っていた。
健康な気分になった僕の体も、その現れとして空腹を訴えていた。ちょうど登り坂にさしかかったところで食堂を見つけたので一休みすることにした。そこは、トラックの運転手が利用するような食堂だった。駐車場も店内も広々としていた。献立を見ると、僕にはちょっとショックなくらい高かった。というのも、今回、フェリー代も含めて、全予算10万円+アルファくらいしか持って来なかったからだ。出発前の打ち合わせでは、とにかく食事代を切りつめて安くあげようということで、みんなでお湯を沸かしてカップラーメンで済まそうなどと決めていた。
これは、まだコンビニが普及する以前の旅だ。当時お店といえば、スーパーだ。そこでは、まずお湯をもらえないので、僕たちは固形燃料と鍋を持って出発した。それは、友紀が持っている。
とにかく、高くても休憩のためと空腹のために、1000円もの豪華な焼き魚定食を注文した。
食後に一息入れていると、店のおばさんが話しかけてきた。この時間帯に僕みたいな若者は珍しいのだろう。それまで、殆ど無言で走り続けてきた僕は、久しぶりに人と話ができることがうれしかった。一人旅というものは結構人が恋しくなるのかもしれない。僕は、出発してすぐ仲間とはぐれて一人旅をしていること、途中の霧のこと、これからのこと。それから、一晩中走ってきたので、今少々きついということを話した。すると、そのおばさんは、「心配だからちょっとここで寝ていったらいいよ」とすすめてくれた。
こんな時、その何気ない親切はとてもありがたい。お言葉に甘えて、僕は20分くらいの、短いけれども深い仮眠をとった。
鮮やかな朝焼けの後から、やがて、強烈な朝日が差し込んできた。
今、島根県の江津市に差し掛かっていた。左手のほんのわずかな一角に松並木が見える。その向こうは、どうやら海が広がっているようだ。平野部の一本道を走りながら、大好きな歌を絶叫しながら快調に飛ばして行った。
やがて、松江に差し掛かった。左手には、まるで入り江の海のように大きな宍道湖が見える。朝もやのかかるその風景はとても優しげで、沖合に浮かぶ姫島が独特のアクセントになっていた。
もう、舞鶴までの半分も走ったのだろうか?あと半分?この調子なら、なんとか夜11時に出航するはずのフェリーには間に合うだろう。そこには、友紀と信彦と、ゆっくり休める寝床がある。そう思うと、アクセルを開く手に力が入る。
やがて、因幡の海岸に差し掛かると、道の向こうにとても綺麗な海が広がっていた。
エメラルドグリーンなんて簡単な言葉で表現したら失礼にあたるような、そんな美しい海が太陽の光をいっぱいに受けて輝いていた。
魚見台という展望台があった。そこは崖の上にある展望台で周囲の海岸線がよく見える。 僕はバイクをとめて、その海の美しさにみとれていた。
「どこからですか?」
不意に声をかけられた。見るとその人もどうやら、ツーリングの途中らしい。皮のブーツに黒い皮のパンツ、青いトレーナーという出で立ちで、僕とおなじくウエストバックを着けていた。
「博多です」
「ああ、そうですか。でどちらに?」
「北海道に」
「いいですねー僕も一度行ってみたいんですよ。今回はこの辺をぐるっとまわるだけなんですけどね」
「この辺は海がきれいですね」
「そうでしょう?僕も好きなんですよ。良かったら写真とりましょうか?」
後に北海道で多くのライダーと出会いともにその時を過ごした。そしてこれが、この旅で初めてのライダーとの交流だった。
完読御礼!
ありがとうございました。
冒頭にもありますように、最終章まで(需要があれば)アップしていきますのでどうぞよろしくおながいいたしまする。