610話 『最悪の取引』
「我々‶龍の一族〟は魔獣の中でも最強の種族と称されており、そんな龍たちが暮らす‶龍の里〟には‶魔獣軍〟ですら近づくことができないほどだったんじゃ」
「それは私もよく耳にしておりました」
パイロンがいうことにスフィアは激しく同意する。彼女は15年前にこの世界に飛ばされているため、‶魔獣界〟の情勢については大体は知っているつもりであった。
「だが8年前、とある鉄仮面の男の紹介でこの世界にやって来た一人の人間が、我々と取引をしに来たんじゃ」
「取引……ですか?」
「ああ、それも我々‶龍の一族〟の誇りを踏みにじるような内容だったがな」
パイロンはそう語ると、8年前の出来事を鮮明に思い出す。
「どうされたのですか? 龍長老様」
「む……巨大な魔力がこちらに急接近しておるのでな」
「巨大な魔力ですか!?」
龍長老の側近のライディアスは神経を研ぎ澄まして魔力を感じ取る。
「確かに強い魔力が近づいてますね。しかしそれ以外にも微弱な神力も感じられますよ!」
「お前さんはまだ神力の扱いに慣れておらぬからそれくらいしか感じられないのじゃろう。だが実際はその逆で、敵になれば‶龍の里〟の危機に陥るかもしれない。神力の強さだけで言えばわしより上かもしれぬ」
「龍長老様よりも上ですか!? 冗談ですよね?」
「わしがお前さんに一度でも冗談を言ったことがあるか? これは由々しき事態じゃ!」
パイロンはそう言うと、ライディアスはすぐに臨戦態勢を執り、部下に訪問者を出迎えさせる。しかし龍の里の門には訪問者は現れず、龍の一族はどよめく。
「いきなり警戒されるなんて少し失礼ではないですか? ‶龍長老・パイロン〟さん」
何と訪問者はすでに龍長老のいる屋敷の大広間に到着しており、障害物も何もない空間で誰にも気づかれることなく話しかける。
「「!?」」
これにはさすがの2体の‶王格の魔獣〟も驚きを隠せないようで、ライディアスはすぐに左手を龍の鉤爪へと変える。
「あ……当たり前だろ! そんなにデカい魔力を垂れ流しながら近づいてきたら誰だって警戒するだろうが!」
ライディアスは平静を装って話しているつもりだが、明らかに動揺しているように見える。
「それで、お前さんは何しにここへ来たんじゃ? いや、それよりも何者じゃ?」
パイロンはライディアスよりは落ち着いており、冷静に話しかける。
「失礼、自己紹介が遅れましたね。私の名はラディーゴ。今日はある取引をしたく参りました」
黒いスーツを着た男、ラディーゴは礼儀正しく自己紹介し、頭を下げる。
「取引じゃと? 一体何の取引だというのじゃ?」
「はい、それは‶龍樹〟から生み出される‶獣種〟をあなた方の要求するもので買い取りたいと言った取引です」
‶龍樹〟とは‶魔獣界〟の魔獣を生み出す‶万物の世界樹〟と同じ種類の樹木であり、その生息地は‶龍の里〟がある西の山脈の一部だけ。その樹木から生成される‶獣種〟からは龍系統の魔獣しか誕生しない伝説の大樹なのだ。
「‶獣種〟をお前さんに売れと言うのか?」
パイロンはラディーゴの取引の提案に目つきが変わる。
「つまりその買い取った‶獣種〟から生まれる‶龍の一族〟を仲間にして強い戦力を得ようと思っておるのか? だが悪いが我々は誇り高き‶龍の一族〟……人間なんかに従うような玉じゃない」
「別に仲間にする気なんて毛頭ないですよ。ただ私は買い取った‶獣種〟を改造して人間に取り込ませて強化させるつもりなだけですよ」
「……ハァ?」
ラディーゴの発言がパイロンの神経を逆撫でさせる。パイロンは怒りのままに魔力を上昇させ、人型から十数メートルサイズの龍型へと変身する。
「そんな倫理観に反する取引をわしが受けると思っておるのか外道がぁ! お前さんを‶龍の一族〟にとっての危険人物と見なし、わしがこの手で制裁を加えてやる!」
「はっ! 端から取引するつもりなんてないですよ! 力で奪えるものは力で奪う。これが私のやり方だ!」
ラディーゴは神力を爆発的に上昇させ、鋭い鉤爪で襲い掛かるパイロンに反撃する。