他人の海外に行った話は死ぬほどどうでもいいが、いざ自分が行くとなるとそれなりに高揚する④
*
四日後。私は本当に日本の企業に入社した。
濃紺のスーツに青いストライプのネクタイ、更に黒縁眼鏡に七三分け。まさにジャパニーズサラリーマンといった装いで、入社した会社のオフィスに立っている。
「今日から中途入社した上杉くんだ」
私をこのフロアに連れてきた白髪の男性が、雑に私の紹介をした。この人は取締役ということらしい。
「上杉景幸です。よろしくお願いします」
フロアにパラパラと疎らな拍手が起こる。
この中の誰一人として、私を四日前までマフィアの狙撃手だった男とは思っていないだろう。
実際私は不安でいっぱいだった。
裏の社会で生きてきた男が、急に表の世界の第一線に放り込まれたわけだ。どれだけ裏の社会で沈黙の死神と恐れられていても、ここでは赤子同然。一応昨日ボスから渡された、日本のサラリーマンのすべてが描かれているという島耕作で予習はしてきたが、あれもどこまで役に立つかはわからない。
「君は今日からここで事務職員として働いてもらうから。スタッフを紹介するね」
なるほど。今日からこの人たちと一緒に働くわけか。
順番にチームのスタッフを見渡す。
まず左から四十歳代と思しき眼鏡の優しそうな男性。この人がチームの最年長だろうか。
次にその隣がショートカットの爽やか美人の女性。二十代後半から三十代前半くらいだろう。清潔感があり、いかにも仕事が出来そうな雰囲気だ。
で、更にその隣が……ん? 目線を横に移動させても誰もいない。
あれ、と思い視線を下げる。すると身長140センチも無さそうな、小学生にしか見えない女の子がちょこんと立っていた。ウサギか何かのぬいぐるみを抱え、小さな口で眠たそうに欠伸をしている。
さすがにこの子は社員じゃないよな。誰かのお子さんだろうか。でも何故ここに並んでいるんだ。
私は更にその隣に視線を移した。女の子の隣は身長二メートルをゆうに超える全身筋肉の大男だった。
デカい。この男に関してはデカすぎてフロアに入ったときからずっと気になっていた。
この会社は出版社のはずだが、こんなプロレスラーみたいな人間にデスクワークができるのだろうか。ボールペンを握りつぶしてしまいそうだ。まあ四日前までマフィアの狙撃手だった私が言うのもおかしな話だが。
そしてチームの最後の一人は……。
大男の隣にいたのは、頭部に大きな羊の頭蓋骨を被り、首から下を漆黒のマントで覆う謎の生物だった。
正真正銘の変人だ。こいつに関しては人間かどうかも定かではない。
さて。そんな愉快なメンバーを一通り見渡して、一つ思ったことがある。
うん。私にサラリーマンは無理だ。帰ろう。
だって思っていたのと違うんだもの。早速強めのサイコパスがいるんだもの。島耕作と全然違うんだもの。
「じゃあ第八グループのメンバーを一人ずつ紹介をするよ」
「な……! ちょっ」
完全に萎えていた私の気など全く知らず、取締役は話を進める。
「まず、このチームのマネージャーの宮崎くん」
紹介された宮崎さんは私に優しく微笑んだ。
「よろしく。上杉くん」
如何にも余裕のある大人といった感じだ。マネージャーというのも頷ける。
爽やかな容姿と物腰柔らかな雰囲気だけではない。初対面でここまで安心感を与えてくれる人に私は出会ったことがない。
「そしてこちらが主任の……」
部長が紹介しようと喋っている途中で、
「延岡だ。よろしくな」
延岡さんが爽やかな笑顔で自ら名乗った。
物腰柔らかなマネージャーとは正反対というか、いかにも快活なOLといった風で、整っている容姿は「可愛い」というよりも「カッコいい」という言葉の方がしっくりくる。
この人はできる。と、直感が働いた。
これほど自分に自信を持った目をしている人間は、今まで裏の世界でも遭遇したことがない。きっと相当なやり手なのだろう。
優しそうなマネージャーに、バリバリ仕事の出来そうな主任。そこに新たに入社する、右も左もわからない新入社員の私。
この二人となら何とかやっていけそうな気はする。働く仲間で当たりを引けば、サラリーマンなんてぬるゲーだとボスが言っていたが、まさしくこの二人は大当たりだろう。
だが、残念ながらこの会社はそうはいかない。問題は次から始まる三人だ。
次に控える三名は、
女子小学生。大男。羊の頭蓋骨。
……。
ツッコミたい気持ちも山々だが、とりあえず紹介を聞くことにしようか。もしかしたらいい人たちかもしれないじゃないか。
この人たちと上手くやって行けそうかどうかは、自己紹介を聞いた上で判断すればいいことだ。
「この子はシステム担当の綾くん」
部長が女子小学生の方に手を向けて紹介した。女子小学生は誰かの娘ではなく、普通にここの社員だったようだ。
しかもシステム担当って。まだプリキュアの変身セットで遊ぶような年頃に見えるんだが。
「……」
綾という名前の女子小学生は、数秒間じっと私を見つめた。
こちらから「よろしくお願いします」と頭を下げると、ぷいっとそっぽを向き、ぬいぐるみを抱いたまま小走りでどこかへ行ってしまった。
「ありゃ。綾くんはお手洗いかな」
そうなのか? 違う気がするけど。まさか今の一瞬で嫌われたのだろうか。
とりあえずあの子と上手くコミュニケーションがとれる気がしない。
「まあいいか。そしてこちらがストロング・アニマルくん」
な。
「オマエ、キョウカラ、ナカマ」
ストロング・アニマル氏は私に向かって右手を差し出した。
「……よ、よろしくお願いします」
なんだこのバカみたいに大きな手は。キャッチャーミットくらいの大きさがある。見た目からして握力もマウンテンゴリラ並みに強そうだ。
……この人と握手をして大丈夫なのだろうか。握った瞬間に手の骨をバッキバキにされる絵しか見えない。
今まで裏の世界で数々の死線を越えてきた私だが、今が人生で一番危険な気すらしてきた。
ええいだから駄目だ。人を見た目で判断しては。この人はまだ僕に何の危害も加えていないじゃないか。
「キヲツケロ。オレ、ニンゲン、クウ」
何その突然のカミングアウト。
「えーっとそして最後が……」
取締役は何も聞こえていないのか、紹介を続けようとする。
「いやちょっ……待ってください」
「どうかした?」
どうしたもこうしたもあるか。
「こちらの方が人間を食うって」
「あー大丈夫だよ。知っている人は食べないから」
それの何が大丈夫なのかだけ教えて欲しい。
「で、最後にこの変人が羊人間くん」
待て。二連続で名前。
百歩譲ってストロング・アニマルはいいとし……いや、よくない。何を言っているんだ私は。冷静になれ。ストロング・アニマルもアウトだ。何故社内に二匹も魔物がいるんだ。
ただ、色々アウトなストロング・アニマル氏以上に、この羊人間氏からは危険な香りが漂っている。
謎の羊の頭蓋骨に全身を覆うマント。ストロング・アニマル氏ですら口を利いたのに、先ほどからずっと押し黙っている。最早言語を理解しているのかも定かではない。
「……」
羊人間氏は様子をみている。
「……よろしくお願いします」
「……」
駄目だ。意志の疎通は不可能のようだ。
「あの。この人は一体……」
「ああ。上杉くんより一年先輩の大卒二年目の子だよ。歳も近いし仲良くするといいよ」
羊人間氏と私が仲良く……か。
よし。お昼休みになったらラインでも聞いてみようかしらって馬鹿野郎。無茶を言うな。まだ言語が理解できる分、ストロング・アニマル氏の方が仲良くできそうだ。そんで大学出てるのかこの人。
「一通り紹介をしたところで上杉くんの教育係なんだけど」
五分の二を引いたらどうしよう。
「延岡くんにお願いしようかな」
心の底からホッとした。右端の二人だったら入社日に退社していた。
しかし僕が胸をなで下ろしていると、
「チッ」
……ストロング・アニマル氏が不機嫌そうに舌打ちをした。やだ、怖い。
ガンッ。
その隣では羊人間氏が柱を蹴って八つ当たりをしている。やだやだ怖い。
二人とも、まるでどうして自分が教育係じゃないんだと言わんばかりの態度だ。
あなたたち、私の教育係をやりたかったの? 一体どんな人格なの。
「承知しました」
延岡主任は姿勢を正し、取締役に返事をした。ストロング・アニマル氏と羊人間氏のよろしくない態度は完全にスルーされた。
「よろしくな。上杉」
延岡主任は力のある視線と爽やかな笑顔をこちらに向ける。
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
延岡主任。私はあなたがいてくれて本当に良かったです。一生ついて行きます。
「よし。じゃあ私は失礼するね。それじゃあ後は頼んだよ。宮崎君」
「ええ。お任せください」
「じゃあ上杉くんも頑張って」
取締役はそう言い、フロアを出てどこかへと消えていった。
さて。果たして私は日本の企業でサラリーマンとしてやっていくことが出来るのだろうか。
しかもこの個性的なチームで。頭の中が不安で埋め尽くされそうだ。
でもやるしかない。人生を変えるには、多少のリスクは必要なのだから。