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他人の海外に行った話は死ぬほどどうでもいいが、いざ自分が行くとなるとそれなりに高揚する②

 十五分後。


 私はチンピラ二人組にボッコボコに叩きのめされた。たこ殴りもいいところだった。

 先ほどやっと解放され、フラフラになりながらビルの階段を上がっている。


 畜生。ずるい。あの二人組、思っていたより強いんだもん。

 口の中が切れてとても痛い。あばらの辺りとお尻も痛い。そして財布をとられた。色々辛い。


 それにしてもあの卑怯者共め。途中「ねえ、私はあの『沈黙の死神』だよ?」と名前で威圧を試みたが、「うるせえ」と一切聞かずにボコボコにされた。しかもどこから持ってきたのか鉄パイプのようなもので殴打してきたし。糞ったれ。武器は反則だろ。


 ああ。さっきから脇腹の辺りがジンジンする。大丈夫かしら。骨折とかしていないかしら。とりあえず帰ったら湿布を貼っておこうか。


 私は下がりきったテンションで二階の事務所に入った。薄暗い廊下を抜け、ボスの待つ部屋へと向かう。 


「ボス。遅くなりまして申し訳ありません」


「来たか、沈黙の死神」


 私が部屋に入ると、ボスは大きな椅子を回転させてこちらを向いた。右手には太い葉巻が握られている。


 今までは小僧とかお前とか呼ばれていたが、二年前からボスも私を「沈黙の死神」と裏の世界の通り名で呼ぶようになった。


「貴様には今日大切な話が……って、どうしたんだその顔」


 ボスは目を見開き、葉巻を地面に落とした。


「ええ。実は飼い猫と喧嘩を」


 さすがに見ず知らずの若者にやられたとは言えない。


「か、飼い猫と……? まあいい。そこに座りなさい」


「いえ。このままで結構です」


 椅子を勧められたが固辞した。先ほどのチンピラ二人にお尻をたくさん蹴られたから座るのが怖い。


「そうか。ならこのまま話そう」


「はい」


 ボスは私の方から死線を外し、壁に掛けられているセンスの無い抽象画を見つめながら話し始めた。


「貴様は狙撃手スナイパーになって何年目だ」


「六年目に入ったところです」


「そうか。六年になるか」


 珍しいなと思った。ボスはあまり過去の話をしない。


「貴様の狙撃手スナイパーとしての技量は世界でも五指に入る。不殺を貫きながらも高難易度のミッションを次々とこなしていく技量。我がファミリーの繁栄は貴様無しには考えられないだろう」


 ボスは重厚感のある低い声でそう言い、新しい葉巻を取り出した。そしてそれを眉間に皺を寄せながら不味そうに咥えた。


「勿体無いお言葉です」


 今度はべた褒めか。ボスの真意がわからない。まあ悪い気はしないが。


「うむ。そんな貴様の今月の給与明細だ」


 そしてこのタイミングで給与明細。話の内容からして昇給でもしているのだろうか。

 何だよ。嬉しい話だったら勿体ぶらずに言ってくれればいいのに。


 いつもは封筒に入っているはずの明細が、今日は剥き出しのままだった。

 おや、と思いながら明細を開き、内容を確かめる。


「ありがとうございま……」


 私は明細の額面を見た瞬間に凍り付いた。


 五十二ユーロ。


 今月のお給料は五十二ユーロ。


 日本円にして六千円弱だ。


 何度確認しても金額は同じだった。明細の総額の欄に、申し訳なさそうに五十二ユーロと書かれている。


 ……何だこの金額は。中学生のお小遣いか。


 沸々と怒りが込み上げてきた。

 どうするんだよ。私、昨日クレジットカードで五万円する圧力鍋を買ってしまったんだけど。今月どうやって生活すればいいんだよ。

 いや、ていうかこの明細自体がそもそも間違いだろ。この間トイレ掃除要員として雇って一日で辞めちゃったバイトのおばちゃんの明細と間違えているんじゃないのか?

 そもそも私は無断欠勤は一度もしたことがないし、何かファミリーの不利益になるようなこともした覚えがない。むしろボスが言っていたように、よくファミリーに貢献し、よく働いているという自信がある。私の給料がこんなことになる理由なんて一つも存在しない。


 よし。ここは毅然とした態度で行こう。私はいつも通りの、然るべき給料を貰う権利があるのだから。


「ボス。桁が二つ間違っています」


 私は努めて冷静に、明細の不備をボスに伝えた。


「………すまない。沈黙の死神」


 ボスの口から出てきたのは苦渋に満ちた謝罪の言葉だった。その重々しい口調から、ボスの謝罪が明細の不備によるものではないことを瞬時に察する。


 そうか……。私の今月の給料は本当に五十二ユーロだったということか。


 だとしたら何故だ。私はこんなふざけた大幅な減額をされる覚えなんてどこにもない。到底受け入れられるものではない。


「ボス。理由を教えてください」


「マフィア業界は大不況でな。情けない話だがうちのファミリーも例外ではないのだ」


 いやいや待ってくれ。いくら不況とはいえ限度があるだろう。


「そこまでうちのファミリーの経営は厳しかったのですか」


「銃弾を中国製のものにしたり、冷房の設定温度を二度上げたり、トイレットペーパーを安いやつにしたりと経費削減にも取り組んだのだが……。無念だ」


 確かに去年あたりからお尻を拭くときに「あれ? 何か紙が硬くない?」と思っていたが、そういうことだったのか。


「ボス。何か手はないのでしょうか。私にできることでしたら何でもやります。他の連中だってそう思っているはずです」


 簡単に諦められるはずがない。それに例え給料が少なくても、ここまで自分を育ててくれたファミリーだ。どんな悪い状況であっても、いや、悪い状況だからこそ、何とか役に立ちたい。


「もういいんだ。沈黙の死神。マフィアが儲かる時代は終わったのだ」


 ボスの言葉に力は無かった。


 まるで全てを諦めたかのような物言いに、私はボスの発言が冗談ではないことを改めて思い知った。

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