ACT8.夏休みがやってきました
7月23日。
今日から夏休みだ。といっても、早速初日から生徒会の仕事があるので、学園へと向かう。
外は日差しが強い。そういえば、熱中症に気を付けるように朝のニュース番組でも頻りに取り上げていた。
夏休みの学園はとても静かだった。部活で来ている生徒はこの広い学園のほんの一部の場所に居るだけのようだ。
生徒会室前の廊下は、更に全く人気がなかった。誰もいないと思ったのに、廊下を歩いていくと誰かが座り込んでいる。
廊下の壁に背をあずけて俯いているから顔が見えない。緩いウェーブの黄緑色の髪から、南波会長だと分かった。横に彼の眼鏡が無造作に置かれている。
「会長?大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。少し……気分が悪くて」
顔を上げた会長の顔は、びっくりするくらい青白い。
「保健室に行きましょう。私の肩につかまってください」
「少し休めば平気だ」
会長にはその場から動く意思がないようだ。
「待っていてください」
私は駆け出した。
戻った私はしゃがみ込んで、自販機から購入したミネラルウオーターと濡らしたハンカチを彼に差し出した。
「すまない」
会長の言葉に否定の意味で首を振り、隣に座る。そうしてただ、長い時間何も話さず隣に居た。
「……もう、大丈夫だ。みっともないところを見せた。ハンカチは洗って返す」
会長がそう言った。顔色が大分良くなっていたので安堵する。それにしても、眼鏡をかけていないだけで無防備に見える。何故か、いつもよりずっと眩しくて目が離せない。
「何をじっと見ている?」
会長が怪訝な表情で言った。
「すみません。南波会長ってとても綺麗ですね。エメラルドの瞳も本物の宝石みたいで……」
「君の方が綺麗だ。外見だけではなく、その心も」
真面目な顔でそんなこと言うなんて、ノックアウト寸前。破壊力は抜群だった。
「生徒会室に入ろう」
「は……い……」
軽い眩暈。くらくらしながら、ようやく返事をした。今度は私が倒れそうだった。
後から他のメンバー、美麗先輩と賢持先輩がやってきて、学園祭についてのミーティングが行われた。さっきの南波会長のセリフが木霊のように何度も頭の中を駆け巡り、みんなの話している言葉がとても遠くに感じる。私一人ミーティングどころではなかった。
7月27日。
加賀井さんと約束していた公園デートの日だ。
早起きしてお弁当を作る。三種類のおにぎりと、定番のエビフライや卵焼き、鶏肉の紫蘇巻き、ポテトサラダ、リサーチしておいた加賀井さんの好きなカニクリームコロッケも作った。なんと、はりきって超豪華重箱二段重ね。ついでにデザートも作り、アイスコーヒーとアイスティーを用意する。天気は曇りだけど気温が上がるかもしれないので、保冷用のバックに入れる。
加賀井さんはいつものようにバイクで迎えに来てくれた。近くの海が見える大きい公園へと向かう。
話をしながら、公園をしばらく歩いた。私たちは小高い場所の芝生に座り、海を見ながらお昼を食べることにした。
私は加賀井さんの右側に座る。加賀井さんの服装は今日も黒がメインだけど、大きく襟が開いた丸首のTシャツを着ていた。首筋に等間隔に3つの黒子が見える。いつもは大抵襟付きのシャツを着ているので、襟に隠れて今まで全く気付かなかった。
「え?すごい!!」
私は黒子の点と点を一繋ぎに指でそおっとなぞった。まるで子供がやる、点つなぎのように。
「綺麗な正三角形です!!」
加賀井さんが放心したように私を見ている。私は彼の目の前で、ひらひらと手を振った。途端、彼は我に返ったように首を手で押さえた。
加賀井さんの顔が赤い。
「……お前、無邪気な顔してずいぶん大胆だな。天然か?天然なのか?男にあんまり気軽にさわんな」
「え?……ええ?いつもバイクに乗せてもらってるじゃないですか?」
「それは、そういうこととは違うだろ」
「あ……気持ち悪かったですか?……そうですよね。す、すみませんでした……」
反射的にしてしまったけど、あまりにも失礼だったと今更思う。加賀井さんに言われて気づいた。……恥ずかしい。
「だから、気持ち……違う。男っていうのは、俺以外のって意味で……ああ、もういい!!昼飯食べよう」
「……は、はい。自信作です」
それから二人でぎくしゃくしながらも、楽しくお弁当を食べた。
「すげー美味かった。お前、料理上手だな」
加賀井さんが言った。
「お母さんが仕事で居ないことが多かったので自然と……。お口に合って良かったです」
これは勿論、生前の話。父は登山家、母は結構有名なカメラマンで両親ともに仕事で家に居ないことが多かった。私は疲れて帰ってきた両親においしいものを食べさせたくて、自己流で頑張って料理を覚えた。両親が嬉しそうに料理を食べてくれるのは嬉しかったけど、本当は幼いころからずっと兄弟が欲しかった。やっぱり一人は寂しかったんだと思う。だから今、お兄さんみたいな加賀井さんや弟の波留くんが居てくれて、嘘のゲームの世界だとしても嬉しい。
「ホントに、プロの料理人とかなれそうなレベルだよ」
「それはちょっと褒めすぎです。そういえば聞いてなかったですけど、加賀井さんは大学で何を勉強してるんですか?」
「言ってなかったか……。俺、医大に行ってる」
「え!?お医者さんになるんですか?……意外です。でも、こんな格好いいお医者さんに診てもらったら、患者さんみんな元気になりますね!!」
「……お前、馬鹿じゃねーの?」
加賀井さんは笑った。
それから、暗くなる前に彼は家まで送ってくれた。そこらへんが大人だなって思う。加賀井さんは口の悪さから想像できないくらい配慮がある。きっといいお医者さんになると思う。
7月30日。
いつも心配をかけている波留くんにお菓子を作ることにした。大分前から疲れているようだし、甘いものでも食べて元気を出してもらいたい。波留くんを疲れさせているのは私に他ならないから、せめて少しでも何かしてあげられたらとずっと考えていた。
高機能のオーブンがあるのは、お弁当作りの時に確認済みだ。焼き上がったガトーショコラに生クリームを添える。
波留くんの部屋を、いつものように三回ノックした。
「どうぞ」
波留くんが返事をする。
「どうしたんですか?」
そう聞いて、両手でケーキと紅茶がのったトレーを持っている私を不思議そうに見る。
「一緒に食べましょう。ケーキ焼いたので」
「え?僕……ですか?」
「ちょっとだけ焦げちゃったんですけど、ガトーショコラです。嫌いですか?」
波留くんは何故かきょとんとした顔でじっと私を見ている。
「波留くん?」
「……どうして?」
金色の瞳がこれ以上ないくらい見開かれている。それから、
「僕にそんなことしたって意味ない……のに。貴方は本当に変わっています」
と静かにそう言った。
「迷惑ですか?波留くんに元気になって欲しくて。それと、いつも助けてもらっているお礼です」
私の言葉に、彼は困ったように笑った。元気になって欲しかったのに、また何か間違ったことをしてしまったのだろうか?ガトーショコラが悪かったのかもしれない。今度は焦がさないよう気を付けて、チーズケーキにしてみようと思う。チーズケーキがダメならシュークリーム。モンブラン。プリン。まだまだレパートリーはいっぱいある。波留くんが喜んでくれるまで何度でも……。
8月5日
今日は波留くんから教えてもらっていた、水希くんの誕生日。私は事前にプレゼントを用意していた。水希くんとはあの日以来会っていない。思い切って携帯に電話してみる。
「はい」
コール音5回ののち、水希くんがようやく電話に出てくれた。……緊張する。
「急に電話してごめんなさい。斉田です」
「晶乃先輩?」
彼はとても驚いているようだった。
「あの、水希くん今日お誕生日でしょ?渡したいものがあって……。おめでとうも直接言いたいから、良かったら会えないかな?」
「……ありがとうございます。分かりました。今から先輩の家に行きます」
「え?来てくれるの?私が行くよ?」
「いえ、大丈夫です。絶対行くので、待っていてもらえますか?」
水希くんの声がいつもより低いような気がして、なんだか心配になる。電話越しだからだろうか?
それから水希くんが来たのは3時間後だった。
「遅くなって……すみません……」
息も絶え絶え、汗で綺麗な水色の髪が一部顔に貼り付いている。
私は彼を部屋に招き、冷たいレモネードを差し出した。
「水希くん、一体どうしたの?」
「急いで来たので。でも家を抜け出すのに時間がかかって。車田に乗せてもらうと見つかっちゃうから……」
「え?もしかして、白百合さんと一緒に居たの?」
「薫子もだけど、誕生会で家族や友人がみんな家に集まっていたんです」
「じゃあ、水希くんが居ないと困るじゃない。無理しなくても言ってくれれば、私の方は今日じゃなくても良かったのに……」
「僕が会いたかったんです。晶乃先輩が僕の誕生日、覚えていてくれて嬉しかったから。先輩の顔見たら、すぐ戻るつもりで来たんです」
水希くんはふわりと笑った。久しぶりに見る笑顔だ。
「……水希くん、お誕生日おめでとう。これ、気に入ってもらえるか分からないけれど」
私はプレゼントを渡す。
「開けていいですか?」
「うん」
プレゼントは手作りのペンケースだった。大人っぽいデザインにしたつもりだけど、手作りなんてお金持ちの水希くんには、似合わないものなのかもしれない。水希くんはまじまじとペンケースを眺めている。恥ずかしくなってきた。
「……すごく……すごく嬉しいです。僕のために作ってくれたんですよね?一生大事にしますから」
水希くんは本当に嬉しそうに笑ってくれた。
「あのね……水希くん。この間の返事だけど……もう少しだけ待ってほしくて」
「勿論!!……ずっと待ってます」
水希くんは、笑顔で言った。すぐに気持ちに応えてあげたなら、きっともっと幸せにしてあげられるのにと思った。
水希くんをじっと見つめると、また赤くなり視線を反らした。
決断力のない自分が憎い。
彼はペンケースを大事そうにいつまでも胸に抱いていた。