ACT11.失われた記憶
9月29日。
学園祭の後の代休でゆっくり療養することができ、体調はすっかり良くなった。波留くんとお母さんの看病のおかげだ。
玄関を出ると、理成くんが道路に立っていた。
「一緒に行こう」
理成くんが言った。デジャヴ。同じようなことが前にもあったような気がする。私を心配して迎えに来てくれた朝が……。
理成くんは何も聞かない。歩きながら、いつもと変わらない会話をする。でも、いつもとは明らかに違う。理成くんは普通家まで迎えに来ることはなく、300メートルくらい離れた曲がり角のところで待っているのだ。
だから家の前で待つのは多分これが二度目。そう思う。
「遊くん、今日バスケ部の練習ある?放課後、一緒に行きたいところがあるんだけど」
「今日は部活休みだから大丈夫だよ。どうしたの?」
「一緒に映画館に行ってほしいの」
「何か観たいのでもあるの?」
「うん……まあ」
「珍しいね。晶乃から誘ってくれるなんて」
理成くんは嬉しそうに笑った。
教室に入ると、すぐにイコちゃんが駆け寄ってきた。
「晶ちゃん、体調はもう大丈夫なんですか?」
一瞬、なんでイコちゃんが体調を崩したことを知っているのだろうと思ったけど、考えてみたら学園祭の片付けに参加できなかったのだから気づかれて当然だった。しかも倒れたのは学園内だし情報はどこからでも伝わっただろう。
「うん、もう元気だよ。イコちゃんにまで心配かけて……ごめんね」
イコちゃんは首を横に振る。
「……晶ちゃんの顔色が悪かったとき、やっぱり理成くんを呼んでくればよかったって、ずっと反省してました。多分、理成くんだったら晶ちゃんを絶対無理させなかったと思います」
「私が勝手に動き回って倒れたんだよ。もう、大丈夫だから、イコちゃんがそんな顔しないで」
「良かった。また会えて」
大袈裟だなって思った。それでも、イコちゃんの笑顔に癒される。
「私……晶ちゃんのことホントに好きです」
思ってもいないイコちゃんの告白。恋愛感情ではない好き……。改めてそんなこと言われて驚いたけど、何だか心が温かくなる。
「私もイコちゃんのこと大好きだよ。いつも一緒にいてくれて、ありがとう」
心から思った。不思議だね。私はもう死んでいるのにこんなに大切だと思える友達ができるなんて。
始業のチャイムが鳴る。イコちゃんは少し照れたように笑って、私の前の席に座った。
昼休みに、南波会長のクラスに行った。倒れた私に付いていてくれた会長にお礼を言いたくて。結局、私は後夜祭の準備も学園祭の後片付けも何もできなかった。
3年生のクラスは緊張する。一度教室を覗くも、怖くなって教室から出てきたモブの女の人に南波会長を呼んでもらえないか聞いてみた。彼女はすぐに会長を呼び出してくれた。
「体調、大丈夫そうで良かった」
南波会長は私を見るなり、そう言った。
「君は仕事を断るということを知らないようだ。引き受けるにしたって限度というものがある。……無理をしすぎだと思う。でも、元はといえば私が強引に生徒会に誘ったせいかもしれないな」
「そんなことないです!!」
私は強く否定する。会長は哀しい顔をしていた。
「心配をかけて、本当にすみませんでした」
お礼を言うより、謝らなくてはいけない状況だった。会長が心の底から私を心配しているのが分かったから。
「君が倒れた時、心臓が止まりそうになった」
「え?」
「君は私を殺せるかもしれない」
私は何も返せず、ただじっと会長を見つめた。
会長は赤くなり目を反らす。そして「気にするな。冗談だ」と言い、教室に戻って行った。
放課後、私は理成くんと駅前に向かう。ずっと考えていた。何だかわからないけど、何の根拠もないのだけれど、映画館で何かを無くしたような気がして。
私の中で何かが引っかかっている。
理成くんと一緒に行けば、それが見つかるのではないかと思った。
彼が優しい顔で右手を差し出す。私たちは手を繋ぐ。この手の温もり、何度も感じた。最初に繋いだのはいつだろう。繋いだまま歩き続ける。
駅前に近づくにつれ、私の手はどんどん汗ばんでくる。
はっきりと分かった。
映画館ではない。
ホームに電車が停まるのが見える。そしておぞましいブレーキの音……。怖い!!
私は汗ばむ手で理成くんの手を強く握る。
「晶乃?」
私は彼の手を離した。そしてホームから背を向ける。
「晶乃……?」
ブレーキ音は続く。私は咄嗟に耳を塞いだ。
「晶乃、記憶が?」
理成くんが驚いた顔で私を見る。
「また、消すの?」
緊張のせいか、私の声は掠れていた。
「え?」
「あの時、電車もホームも消した遊くんが、私の記憶まで消したの?」
戸惑いの表情。理成くんは黙っている。
黙ったまま、私に近づく。
「やめて……勝手に記憶を消さないで。電車は怖いけど……あの時、遊くんが助けてくれた記憶を忘れたくなんてない。それに、電車に轢かれて死んだ事実をなかったことにはできない!!」
私の声は次第に大きくなっていった。
「……そうだね。でも、この世界ではそんなこと忘れて欲しかっただけだよ。例え一時でも」
彼は寂しそうに笑う。そしてあの時と同じように、一瞬でホームごと電車を消し去る。急に途切れたブレーキ音と気配で背中越しにそれが分かった。
「遊くんは優しすぎるよ」
「ホントに君は、変わってるね」
どこかで聞いたセリフ。誰かに同じこと……。
「……波留くん?」
理成くんと波留くんが一瞬シンクロする。
痛いところに触れられたような理成くんの顔。
「波留くん……晶乃の弟だよね。間違ってたらごめん。もしかして晶乃はその波留くんのことが好きなんじゃないの?」
「波留くんのこと?……勿論大好きだよ」
「そうじゃない。恋愛感情で」
「恋愛感情?……波留くんは、小学生だし、弟……なんだよ?」
「全部取り払って考えてみて。……俺より、彼のことを大事に思ってない?」
理成くんは真剣な瞳で私を見ている。
「……ごめんなさい。分からない。波留くんのことも遊くんのことも大好きだから、比べられない」
私はそう答えるしかなかった。だって本当に分からない。ハッピーエンドを目指さないといけないのに、どんどん遠ざかっている気がする。
理成くんは大きく息を吐き出した。
「遊くん?」
理成くんは私を見ようとしなかった。俯いて頭を押さえる。表情は分からない。彼だけはどんな時だって私を真っ直ぐに見てくれていたのに。
「ごめん……。そんなこと言われたら、まともに見ることができない。平静を保てない、ずっと前から無理をしてるけど……もう、さすがに限界」
理成くんの苦しげなセリフ。意味が分からなかった。
「……遊くん?どういう意味?」
「少し考えさせてほしい」
小声で呟く。
沈黙が重い。理成くんはそれでも「家まで送るよ」と言い、二人で無言のまま歩いた。家まで、途方もなく遠く感じた。